日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

金拾円の寄進

2021年05月13日 | 町かど

 日本には維新直後の明治政府の宗教政策として神仏習合を否定した神仏分離政策の時代があった。今はどうだろう、神仏混合は当たりまえ、洋来の宗教も取り込んでそれぞれのそれぞれにあせて、それぞれの人がそれぞれに見合ったお付き合いをしたり楽しんだりしている。時には都市の交差点を占拠している者たちもいる。

 今、信仰は自由、街を歩くと大きな神社に大きなお寺院、教会も多い。小さいが地域の住居に挟まれた社もある。管理しているのが誰か分からないが古びた辻堂もある。また、明治時代の、身寄りなく旅や牢獄で死して弔う縁者のない人の墓もある。その多くの神社仏閣は歴史を刻み信者や地域の人らで受け継がれている。

 時々、神社には立ちよって暑い日には木蔭をかり汗をぬぐいながら歴史を刻む社を眺めることもある。その時、どこの神社にも寄進された金額と名前を刻んだ石碑が並んでいる。寄進額の高い人や灯篭などが社殿に近いように感じるがどうだろうか。最近は石碑でなく寄進礼板などなどに変わっているという。

 古い裏通りにある社の石碑の額は「拾円」が何十柱も並んでいる。石碑は角が丸みを帯びており、寄進者の名前を見ると前の世代の感じがする。最近のある神社の石碑に刻まれた金額は「十万円」が最低で桁数が3倍の金額、時代の変遷もあろうが多くの寄進者がおられることに感心する。神社の祭礼と言って寄付集めに家々を回ったこともあるが、こうした寄付制度はなくなった。
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