日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

旅立ち

2011年10月15日 | 回想
音信が途絶えて数年が過ぎた。

障害で車いす生活の彼は定年退職後も郊外の高台にあるマイホームに一人で住み続けた。彼を知る沢山の人が話をしに訪れた。時には持ちよったつまみを肴に缶ビールを開けた。彼の酒量は、若い元気なころのそれには到底及ばない量に減った。それでも、昔ながらの陽気な笑い声で皆を安心させてくれた。ビールはエビスが好きだった。

障害が進むにつれ一人での生活が難しくなり、ヘルパーさんの訪問を受けはじめた。何度かそのヘルパーさんとも顔を合わせたが、いい人たちばかりだった。症状の進行が目に見えて早くなり、ヘルパーさんの力だけでは生活ができなくなり、介護施設の世話になり始めた。

そこへは2度ほど会いに行った。2度目は数人の仲間と訪ねた。それが彼の顔を見る最後になろうとはそのときには思わなかった。ただ、昼食を食べさせてもらっている姿に胸が痛んだ。それからまもなくアルプスの麓に住む娘さんの所へ移った。娘さんと暮らせることを仲間と喜んだ。アルプスの感じを織り込んだ年賀状が2度届いた。それが最後の便りになった。しばらくして、関東の施設で世話になっていると仲間から聞いた。

春と秋の彼岸には家内の作ったおはぎを持って訪ねていた。「すみません」といいながら仏壇へ供えるようにうながした。どなたが供えられるのか仏壇には花が供えてあったことを思い出す。隣の県に住まいの娘さんだったかもしれない。

「彼が亡くなった」、仲間から電話で知らせがあった。
不自由な体に負けずに仕事をしていた顔を思い出した。

私より若い彼のご冥福を祈る。
コメント (6)
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