
暖衣飽食、日本人総ての姿ではないが一般的表現として今の日本の一面的な姿ではないだろうか。
終戦直後、国民学校から市立へ学校制度が変わった年に小学校へ入学した。過食などは思いもよらない、弁当持参の出来ない級友もいた。家では「お米を粗末にしたら目が見えなくなる」と祖母からよく聞かされた。食器についた米や麦粒はざるに取り鯉の餌さになっていた。
薩摩芋やジャガイモに玉ねぎ、季節ごとの菜物など畑仕事を子供ながらに手伝ったことをが記憶にある。掘った芋を運ぶ、大根を抜く、大八車を押す、リヤカーで軽い物を運ぶなど両親の喜ぶ顔が嬉しかったのかもしれない。
そんな畑も公共用地になって20数年たち、今は親戚や知人から頂く野菜に感謝し味わいながら頂いている。
出来過ぎて処分される農作物をニュースで見ると何とかならないのかと、もどかしくなるのは1人だけではないだろう。あの農作物の有効な利用は、その立場の人は考えられているだろう。
庭に置いた柑橘類を小鳥たちが突き始めて3週間ほどになる。3種類ほどがやってくる。2羽一緒の時も1羽のときもある。周囲を警戒しながらも一心に突く。突きしろが無くなると近くの枝で羽を休めている。催促しているように思えるから、新しい柑橘類を置いてやる。
上手く食べている。袋だけ残している。人間様のやる食べ残しの様子は見られない。過食と飽食には気を配っているが食卓へつくと薄れている。美味しく食べれるのは元気な証と自己弁護する。今夜は何だろうか。
(写真は袋だけになった食べたあと、左)