
スーパーマーケット、今ほど大型ではないが昭和40年代のはじめ頃この地でも出店が始まった。お隣の商店から品数豊富な大型店へと購買先がかわり、合わせて食生活が変化を始めたのではなかろうか。今では略してスーパーで通じる。
スーパーマーケットは、主に日用品を扱い、買手が売場から直接商品を籠に入れ、レジで代金を支払うセルフサービス方式の大規模店(広辞苑)と説明されいる。この略称スーパーが駐車場確保の容易さから市街地から離れて久しい。市街地の空洞化現象を起こした1つの要因とも言われている。さほどに集客力があるものなのだ。
器の洗いは得意だが食事を作ることは不得意も良いところ、ほとんど出来ない。せめてもと妻の買物へはイヤを言わないで運転手を勤めている。妻は広告を見てその日のサービスポイントに沿ってメモした品物を手渡す、それを籠へ入れるのは運転手の役目だ。
連日の様にバーゲンだ、大安売りだ、超特価だの謳い文句を見ると本当の値段は幾らだろうと疑う。先日こんな経験をした。
何年か続けて食しているいる黒米系の商品に金属片の混入したことが判明、回収する報道があった。その買置きを返品したところ数日後に現金書留が届いた。「希望小売価格」相当の返金とあた。その金額は購入金額を大きく上回るものだった。
いったい本当の値段は幾らなのか、あらためて思った。
先日あるスーパーで、同年輩の感じいい男性がメモを片手に品物を籠に入れられていた。奥さんが風邪かな、いや独り身の方かなと思っていた。
10個ばかり袋に入った玉ねぎに特価の札がついていた。1個幾らだろうと眺めていた。その時先の男性が玉ねぎの袋を買い求め籠に入れた。続いて手を伸ばされたので2袋目の購入かと思ったら、商品の袋から1個取出し籠の袋へ納め何食わぬ顔で通り過ぎた。関心してはいけないが手際の良さに驚いた。レジでは1個多いことには気づかないだろう。
スーパーは、便利なだけでなく人を惑わせることもある場所なのだろうか。
(写真は食欲と購買意欲を高ぶらせる美しい新聞折込の広告)