みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

よくご存じです

2024年08月06日 | サムエル記第二

サムエル記第二 7章

 夏休みで、ドイツ東部エルツ地方にある小さな町に来ています。ホテルは500年前に建てられたとのこと。ここに二泊、もう一つの町で二泊します。

 この章では、1節の「安息」ということばに目が留まります。他の日本語聖書は「安らぎ」と訳しています。ここから分かるのは、安息はダビデが自分で手に入れるもの、作り出すものではなくて、主が与えられるものだということに、改めて気づきます。

 杉材の家に住んでいるダビデは、神の箱が天幕の中に置かれたままになっているということに気づき、神の家を建てたいという願いを持ちます。しかし、神のお考えはダビデのそれとは違うものでした。神はダビデよりもはるかに高く、深い考えを持っておられたのです。

 キリスト者が用いることばの一つに「神のために」「主のために」があります。私たちはどのような意味でこのことばを口にするのでしょうか。神には私たちが何かをしなければならない不足をお持ちなのでしょうか。もちろんそんことはありません。 むしろ、主は私たちにご自分のあり余るほどの祝福を先にお与えになっておられるのです。

 この箇所で私は、ダビデが主のことばを聞いて従ったことにも目が留まりました。ダビデは「せっかく私が考えたのに…」などと不満を口にすることなどもちろんありませんでした。むしろ、主が自分の考えや願いをはるかに超えて祝福と恵みをあふれるほどに与えてくださるお方をほめたたえ、感謝しています。

 20節の「神である主よ、あなたはこのしもべをよくご存じです」というダビデのことばは、すべての信仰者が知るべき事実だと思いました。


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