みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

会おうとしない

2024年08月15日 | サムエル記第二

サムエル記 14章18−33節

 久しぶりに近くの公園を歩きました。火曜日よりは少し気温は下がりましたが、夜半の雷雨のためか湿度が高かったです。西瓜を買い求めてリュックに入れると重さを感じます。帰り道、妻は歩き、私はバスに(西瓜のせい)。途中でバスが追い越しましたが、家に着いたのはほぼ同じというおもしろい体験でした。

 ヨアブの働きかけによって、ようやくダビデはアブサロムをゲシュルから連れ戻すことにしました。しかし、エルサレムに戻って着たアブサロムにダビデは会おうとはしません。24節にダビデのことばがあります。「あれは自分の家に行ってもらおう。私の顔を見ることはならぬ。」

 このような時、何を語るのかで双方が歩み寄ることができるか、反対に亀裂が生じるのかが分かれます。ダビデのことばは後者でした。王として犯罪者を連れ戻しながら、さらに謹慎を命じなければならないという思いから出たのでしょうか。もう一人のダビデは、わが子に声をかけ、ことばを交わすべきだと言っているのです。しかし、ダビデはなおも、アブサロムを心から受け入れることができなかったのだと思います。

 28節以降から伝わってくるのは、父親と会うことがかなわないままのアブサロムの思いです。そのために、間に立つヨアブに何度も人を送り、ヨアブの畑に火をつけさせさえします。厳しく叱責されてもいい、殺されてもいい、とにかく私は父に会いたいというアブサロムの思いを、しかし、ダビデは受け止めることができませんでした。ようやくのことで二人は会うのですが、ことばを交わすことなく、白々しい口づけの後味の悪さを、感じます。

 理に適っているとか筋が通っているとかいうことのまえに、為すべきことがあるのだと……。


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