みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

とどまった王

2024年08月10日 | サムエル記第二

サムエル記第二 11章

 金曜日夕方帰宅しました。帰り道はチューリンゲンの森をドライブ。途中の城に立ち寄ると、一隅に、アメリカの東部13州時代の星条旗がはためく白テントがズラッと並び、今から250年ほど前の衣装を着た人たちが大勢で談笑していて、驚きました。

 本章には、ダビデの人生を大きく変える出来事が記されています。聖書は彼が大きな罪を犯したことを隠そうとはしません。

 1節には、それがいつごろ起こったのかを記します。イスラエルの暦の「年が改ま」るのは、太陽暦で3−4月に当たります。冬の間は戦いはしなかったのです。この時イスラエルが攻めたのはアンモン人の地です。前章14節に「…ヨアブはアンモン人を討つのをやめて、エルサレムに帰った」とあります。しかし戦いの時期になると、イスラエルは東のアンモン人を討ち、首都を包囲します。

 「しかし、ダビデはエルサレムにとどまっていた」のです。自分は王たちが出陣する時期にダビデが出陣せずにとどまっていたということばは、何事かが起こるのではとの思いを抱かせます。また、この時ダビデの心に「緩み」のようなものがあったのではないかと考えます。

 そして、とどまったダビデは、とどまることのない罪の泥沼の中にはまりこんで行きます。1節からダビデの行動を示す動詞を拾います。

 「ダビデは…とどまっていた」(1節)、「見えた」(2節)、「調べさせた」(3節)、そして「召し入れた」(4節)と、欲望が増長していきます。さらに、女性の夫を前線から戻して休暇を与え、妊娠をごまかそうと画策します。罪の隠ぺいを図ったのです。しかし、部下は王への忠誠ゆえに帰宅しません。するとダビデは夫を殺させます、王の権威を用いて…。

 この章終わりの「ダビデが行ったことは主のみこころを損なった」ということばが目に留まります。主のみこころを求め続けてきた彼が、その反対に大きくかじを切りました。

 このようなダビデを、他人事とする人はいない、これは誰もが知るべき事実です。


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