みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ダビデを通して語られたことば

2024年08月28日 | サムエル記第二

サムエル記第二 23章1−7節

 8月が終わろうとしていますが、当地では今日と明日最後の真夏日が予想されています。何となく名残惜しいような気がします。

 この箇所は、「これはダビデの最後のことばである」で始まります。これを読んですぐに考えたのは、さて、自分は人生の最後に何を語るだろうかということです。昨日の家庭集会で「私は10年後に生きているのだろうかと考えることがある」と話しましたら、ほぼ同年齢の方は「毎日のように考えている」と言っておられました。

 サムエル記の著者はダビデについて四つのことを紹介しています。誰の子か、神によって上げられた、神に油注がれた、そしてイスラエルの歌の歌い手が、それです。これは、ダビデの人生をまとめているとも言えます。ここでも、神は私の人生をどのようにご覧になるのかとの思いが湧いてきます。

 2節に「主の霊は私を通して語り」とあるように、ここでのダビデのことばは神がダビデに授けられたものです。

 3節は神がダビデに言われたことば、油注がれたダビデに求められたことが確認されています。王として人を治めるのに必須なのは、神の義をもって治めること、彼自身が神を恐れて治めることです。自分の勝手な義を振りかざすのではなくて王が人を治める規準は神の義です。そして治める者自身がが神を恐れることが求められています。

 そしてこれは、ダビデがそうであったということとともに、いやむしろ、やがて来られる「王」にこそふさわしいことばなのだと、読み返す中で思うようになります。


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