みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

贈り物

2016年02月10日 | 民数記

民数記 18章1−20節

 朝は晴れ間が見えていたとしたらたちまち雲に覆われ、日中は雨に。激しい土砂降りのあと、西の方に太陽が見えてきたかと思うと、あっという間に雲が取り払われてしまうという、天候の変化の激しい一日でした。改めてブログに貼る写真を振り返ってみますと、空が多いのですね。けれども、それの表情は無限にあるといってもよいほどでしょう。きょうの夕焼けはこの前のとは同じようだけれども違う…、だからカメラを向けてしまいます。

 祭司を務めるアロンと子どもたちへの不満が、反乱にまで至りました。神にさばかれ多くの人々がいのちを落としますが、民の分裂という危機をはらむ事態に、神はモーセではなくて、祭司アロンにお語りになるというのがきょうの箇所です。「主はモーセに仰せられた」「主はモーセに言われた」ということばは、民数記には50回以上出てきますが、「主はアロンに言われた」「主はアロンに仰せられた」は3回しか登場せず、しかもきょうの箇所にだけなのです。改めて、神がなぜここでモーセにではなくアロンに直接お語りになったのかを考えさせられます。それは、祭司であるアロンに直接伝えなければならないことだったのです。

 この箇所から思うのは、アロンと子どもたちの立場は、特権というよりも重い責任のあるもので、同族のレビ人を見下してはならないという戒めであり、責任を担う祭司の生活を民のささげ物によって主が養われるという約束が明らかにされていろいうことです。

 「贈り物」ということばを覚えます。ともに主に仕える者たちは互いに、主がそれぞれに賜わった贈り物なのだと受け止めるなら、どのように主の教会がなっていくのだろうかと思うのです。

 


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