みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

だれよりも…悪を

2015年05月28日 | 列王記第一

列王記第一16章21−34節

 きのうは、3期12年にわたってニューヨーク近郊の日本人教会の牧師として働いておられる立石尚志先生がおいでになりました。今年は「報告年」。5月から半年間、およそ100ぐらいの教会を訪ねて、宣教報告をするのだそうです。「山あり谷あり」とはよく言ったものですが、いろいろなことが起こるのですね。しかし、福音を宣教し教会を建て上げる働きは、主なる神がいつもおられるゆえにくじけてしまうことがないのだと、先生のお話を伺っておぼえました。

 北王国イスラエルの王位は、オムリからその子アハズへと受け継がれます。新都サマリヤを建設したオムリについて、列王記の作者は「…主の目の前に悪を行い、彼以前のだれよりも悪いことをした」と書き、サマリヤにバアルの宮を建てたオムリの子アハズについても、「…彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行った」と書いています。どこまで神から心が離れてしまうのだろう、人はどこまで悪におぼれてしまうのだろうかと考えさせることばです。

 私は温泉地で生まれ小さな頃から熱いお風呂に親しんできました。最初は「アチッ!」ととても入れないと思うような温泉にでも、やがて体が慣れてはいれるようになります。(決してまねをしないでください)

 罪についても、「これ以上進んだらあぶない」という自覚を持つうちに引き返せるならばよいのですが、慣れてしまったらどんどん突き進んでしまうのではないでしょうか。何が、罪への深みへの爆走を食い止めるのだろうか、と思い巡らす個所です。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki