みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ソロモンでさえ

2015年05月15日 | 列王記第一

列王記第一 10章

 愛用していたノートコンピュータの画面表示がおかしくなり、ついに起動しなくなりました。ハードディスクをSSDに取り換えたりして愛用していたのですが、どうにもなりません。素人判断ではグラフィックボードがやられたらしいのです。さて直すべきか…。

 モノは壊れる、のですね。

 この章にはソロモンの知恵や富がどれほどのものかが記されています。有名なシェバの女王も息が止まるばかりであったとあるのですから、想像もしがたいものだったのでしょう。「うらやましいぞ、ソロモン!」と声をかけたくなりますが、この後のソロモンの変節ぶりを知る者としては複雑な思いです。

 誰もがうらやむ知恵と権力と富を意のままにしたソロモンですが、彼とかかわりが深い伝道者の書には次のようなことばがあります。

「『今や、私は、私より先にエルサレムにいただれよりも知恵を増し加えた。私の心は多くの知恵と知識を得た。』私は、一心に知恵と知識を、狂気と愚かさを知ろうとした。それもまた風を追うようなものであることを知った。実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。」(伝道者の書1章16−18節)

 知恵を得て人々からうらやましがられても自分では「むなしい、悩み多く、悲しみを増す」のだと、世界一の知者が述べることばには重みがあります。

 あったらいいけれども、あったからといって幸せに結びつくのではないものを、私たちはあったら幸せに…として追い求めているのですね。けれども主イエスは、ご自分の従う小さな者たちに、「栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいなかった」とおっしゃるのです。

 


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