みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

何を頼りに

2015年05月19日 | 列王記第一

列王記第一 12章16−33節

 

 雨模様の朝です。

 きのうは三重県津市に住む友人夫妻を訪ねました。ご自分の郷里で教会を開拓し37年歩んできた夫妻です。互いに通じ合うことがあり、時間を忘れて話をしました。そして温泉、その後でおいしい野菜たっぷりの夕食。注意してはいるのですが、旅に出るとご馳走を食べることになるので、おなかが出た感じ。きょう戻ります。

 イスラエルの分裂は決定的になりました。しかし、別れて行かれたレハブアム側はそれでももとの領土を取り戻そうとあれこれと画策をし、ついには兵力にものを言わせて戦いを交えようとまでします。一方のヤロブアム。自分たちにはエルサレムがない、そうなると民はやがて離反してしまうのでは…との恐れから、代用の礼拝所を建てるのです。

 「みことばの光」にあるように、どちらも自分の欲望を実現するためにしたこと。この箇所での一つの光は、レハブアムたちが「主のことばに聞き従い、主のことばの通りに…」戦いをしないで帰って行ったことだと思います。

 「自分が、自分が…」との欲望が肥大していくのを収めるのは、信仰者にとっては神のことばです。そのことばに聞き従うのは何にもまさるのだということを覚えます。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki