列王記第一 11章1—25節
きょうあすと、わが街では「蔵めぐり」イベントがあります。ここにはまだまだ蔵が残っていて、パン屋さん、そば屋さんになっている蔵もあります。きょうは蔵をめぐってあちこちに用意してある個展などを楽しもうという催しです。雨模様ですがどうなるでしょうか。
神の警告にもかかわらずソロモンは心をほかの神々の方へと向けてしまいます。平和のため、友好のためという名分を掲げて近隣諸国と縁戚関係になろうとしたのですが、やり方がいけません。ついには、彼が本来主に向くべき大切な心が、異教徒の妻たちが持ち込んだ神々へと向いてしまったのです。
「自分は大丈夫」だとソロモンが思っていたのかもしれないと、「みことばの光」にはあります。秀でた知恵を持ち、力と富を意のままにしていたソロモンは、確かに多くの妻たちを持っても、私の心は主にあると当初は思っていたことでしょう。しかし、年をとり、自分の立場が特に妻との間において相対的に衰えている中で、彼の心は主にではなくて妻に向き、そして妻たちが恋い慕っていた偶像へと向いてしまったのだと考えられます。
神のことばを聞いているか、聞き漏らさないようにいているかということを、この箇所を読んで改めて問われます。