みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

覚えられている祈り

2015年05月13日 | 列王記第一

列王記第一 8章54―66節

 眠っている間に温帯低気圧が通りすぎていってしまいました。これがもたらした南からの空気で、倒置のきょうは30度を越えると予報されています。バラの花が美しい時期ですね。

 日曜日にお土産でいただいたのが「チャット」というお菓子。「チャット」というと最近のインターネット用語のようにとらえられやすいですが、宇都宮では昔からのおしゃべりの際のお菓子として親しまれているようです。「うさぎや」というお店が作っています。

 ソロモンは、奉献の祈りをささげたあとで、イスラエルの全集団を大声で祝福しました。心に留めたのは、「私が主の御前で願ったことばが、昼も夜も、私たちの神、主のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの言い分や、御民イスラエルの言い分を正しく聞き入れてくださいますように」とのことばです。

 神がここで祈った祈りを覚え続けておられるというのです。「祈りっぱなし」で、祈った当人も忘れてしまっているもあるかもしれません。しかし、祈りに身を乗り出し耳を傾けてくださった主は覚えておられるのです。今は、何かを注文したら翌日、いや場合によってはその日のうちに届くような世の中。しかし、物事をそんなふうにして解決できると考えていたら、そうではありません。

 「みことばの光」が書くように、祈りはささげ続けていくものとならなければならいのだと教えられます。

 


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