列王記第一 15章1−24節
列王記はソロモンから始まり、南北に分裂した北王国イスラエルと南王国ユダの王たちのことを交互に描きますが、歴代誌はアダムからアブラハム、ダビデ、そして王国の時代は南王国ユダの王たちに焦点を当てて書いています。ですから、どちらも読むことで王たちの姿を多面的に知ることができます。双方の書が描く王の姿はおおむねズレがないのですが、アサ王の場合は戸惑うかもしれません。
列王記第一15章では、アサ王が「…主の目にかなうことを行った」とか「…心は一生涯、主と全く一つになっていた」と描かれ、歴代誌第二も、エチオピアの大軍が攻め入った時にアサ王が「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください」と信仰の祈りを捧げたことを記します(歴代誌第二14章11節)。すばらしい祈りです。
ところが、治世の終わり頃、イスラエルのバシャ王がユダに攻撃を仕掛けようとした時に、アサは主に頼らず、アラム王にすがります。列王記は書かないのですが、この時預言者がアサのしたことを非難したと歴代死は記すのです。そして、アサは怒ってこの預言者を拘束したことまで書きます(同16章)。
さて、どちらがアサを伝えているのだろうか立ち止まってしまいました。どちらもアサを正しく描いているのです。一生涯主と全く一つになっていたと描かれたアサ。しかし、それは彼が完璧な信仰生活を歩んだということではありませんでした。それでも聖書は、彼をダメだったとは括らないのです。
私は、神のあわれみ、温かなまなざしを覚えました。