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アルカジイ&ボリス・ストルガツキー『ストーカー』

2020年02月16日 22時38分00秒 | 文学
アルカジイ&ボリス・ストルガツキー『ストーカー』(ハヤカワ文庫SF)を読んだ。
タルコフスキー監督の映画『ストーカー』を観たことはあって、暗くてじめじめしたなかをぼそぼそ喋りながら男たちが歩く不気味な映画という印象しかないのだが、映画の印象よりはわかりやすいと思った。
だが、難しい小説だと思う。よく分からない。
異星人がちょっとやってきて還って行った場所ゾーンに、危険を顧みずに足を踏み入れてそこにある不思議な物品を持って帰って売る男たちの話なのだが、いま読むとどうしても、原子力発電所の事故後の危険な地域を歩いているようなイメージで読んでしまう。
ちょっと何かに触れただけで帰ってきて死んでしまう男や、何かの液体に浸かってしまって足の骨が無くなってしまう男が出てくる。主人公のレドリックの子供は障害者のように描かれる。
これはいったい何の話なのか、僕にはよくわかりませんでした。
大江健三郎の『静かな生活』再読のための、予習として読んだ。
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頭木弘樹・NHK<ラジオ深夜便>制作班『NHKラジオ深夜便 絶望名言2』

2020年02月16日 20時04分54秒 | 文学
頭木弘樹・NHK<ラジオ深夜便>制作班『NHKラジオ深夜便 絶望名言2』(飛鳥新社)を図書館で借りて読んだ。
もともとは川端康成のことがなぜか気になっていて、この本に川端康成について書かれているのを見て読もうと思った。
ガルシア=マルケスが川端康成の『眠れる美女』が好きなことが最初に書かれていて、ちょうどガルシア=マルケスを読もうとしているので少し驚いた。しかしこういう偶然はよくある。
もしかするとガルシア=マルケス以外に川端康成のことを好きな人が有名人にいないのかもしれない。
『伊豆の踊子』も意外におもしろいのかもしれないと、引用を読んでいて思った。
川端康成では他に『みずうみ』が気になった。
他にはあまりこの本を読もうと思ったというようなことはなかった。ずっと気になっている、小林秀雄の『ゴッホの手紙』を読もうかなとは思ったが、たぶんまだしばらく読まないだろう。
頭木弘樹がきちんとしたことを語り、こういうひとが本当に文学を愛しているのだなと感じた。
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ダニエル・ペトリー監督『コクーン2 遥かなる地球』

2020年02月16日 10時54分59秒 | 映画
前作に引き続き、ダニエル・ペトリー監督『コクーン2 遥かなる地球』を観た。
どのようなピンチにも陥らないだろうという安心感で、のんびり観ていられる。
繭(コクーン)から取り出されて研究対象にされている宇宙人は、なにも食べ物を与えられずにいるようなのでそれは弱ってしまうだろうと思う。建物にいくらでも侵入者が入ってこられるのもすごい。
まともな映画として真剣には観ていられない。

大江健三郎は、『コクーン』(1985年)と『コクーン2』(1989年)を観て、『治療塔』(1989年連載開始)を書いたのだろうか。『コクーン2』で宇宙に行った老人たちが戻ってくるのだが、『治療塔』となんとなく話が重なる。
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ロン・ハワード監督『コクーン』

2020年02月15日 01時25分08秒 | 映画
ロン・ハワード監督『コクーン』を観た。
楽しいときは歌が流れたりして、ハッピーエンドで、このころの映画はこんな感じだなと思った。懐かしくて、好きだなと思った。
宇宙人が結構開けっぴろげで、正体を見られてもへっちゃらだった。
大江健三郎の『治療塔惑星』はこの映画のイメージなのだろうか。プールの中に繭(コクーン)があるというところが同じだった。ひとがそこに入ると若返るというところは、治療塔と同じイメージだ。
こんな映画を大江健三郎が観て、そして影響を受けていると考えると不思議だ。
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メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』

2020年02月13日 23時14分45秒 | 文学
メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(光文社古典新訳文庫)を読んだ。
おそらく僕はこの本の新潮文庫版を以前図書館で借りて読もうとし、余りに退屈で途中で読むのをやめたのだと思う。なのでブログに感想も残していないのだろう。
今回は最後まで読むことが出来た。
同じイギリスで『嵐が丘』に似ているなと思い、影響があるのだろうと思ったのだが調べてみると、『フランケンシュタイン』が1831年で『嵐が丘』が1847年なので『フランケンシュタイン』のほうが早い。
大学のときに「女性学」というような授業があって、そのときにこの本の作者が女性で、なぜ女性が最初のSFを書いたのかというようなことを論じていたような記憶があり(そしてどのような結論をそのときの先生が言っていたかはまったく記憶にないし、授業に出ていなかったのかもしれないが)、SF小説と言われていることは知っていたので読んでみた。
SFというジャンルがまだ確立していないので、作者にもまだ「SFですけど、何か?」という、ジャンルに安住した気持ちがない。なのでこの作品がなにものなのか分からないというようなところが良いようにも思う。
フランケンシュタインは怪物に自分の周囲の人間を殺されているのに、怪物に「おまえの結婚式の日にぜったいにやってやるからな!」と言われ、それが自分を殺すことであると考えるのはおかしい。それは普通結婚相手を殺すことを意味するだろう。
そういうわかりやすい勘違いや、意味のない移動が退屈で、前回は読み切れなかったのだと思う。
最後まで怪物はフランケンシュタインの話の中だけにしか登場せず、彼の話を聞いているウォルトンには(読者にも)怪物がほんとうに存在するのかフランケンシュタインが頭がおかしいだけなのか分からない、という話なのかと思ったが、最後に登場する。
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フランケンシュタイン甦る

2020年02月13日 03時01分58秒 | 文学
夜中に目が覚めて、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を読んでいたら、この本を読んだことがあることに気付いた。
いつ、どのようにして読んだのかはまったく思い出せないのだが、盲目の老人の家の隣に隠れて住んでいた怪物(いわゆる”フランケンシュタイン”なのだが本当はフランケンシュタインとは怪物の名前ではなくて怪物を造った男の名前)がひとりになった老人の前に姿を現すところを読んで確信した。
それにしてもなんでこの話を二度も読んでしまうことになるのだろう。そんなにおもしろくないんだけど。
なんとなく『嵐が丘』っぽくて、語り手が話していると、さらにその話の中で別の語り手が語るという語りの入れ子構造の物語で興味深いのではあるが、ちょっと内容が退屈なところがあって、二度も読むようなものではない。

SF読書計画は、
・ジョージ・オーウェル『一九八四年』(既読)
・ケン・リュウの短篇集(既読)
・大江健三郎『治療塔』(既読)
・大江健三郎『治療塔惑星』(既読)
・テッド・チャン『あなたの人生の物語』(既読)
・オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(既読)
・メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』 ←いまここ
・オースン・スコット・カード『無伴奏ソナタ』
・ストルガツキー兄弟『ストーカー』
・レイ・ブラッドベリ『華氏451度』
・ザミャーチン『われら』
・マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
・アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』
・スタニスワフ・レム『ソラリス』
となっている。
読んでいると興味が広がりだんだんとリストが長くなるのだがそろそろ打ち止めにしたい。

その後は大江健三郎も読みながら南米的なものを読んでいきたいと考えている。今考えているのは、
・ガルシア=マルケス『百年の孤独』『わが悲しき娼婦たちの思い出』『コレラの時代の愛』など
・バルガス=リョサ『楽園への道』『密林の語り部』
・フォークナー『八月の光』『アブサロム、アブサロム!』『響きと怒り』
フォークナーは代表作の新訳が出ているので読み返したい。
まだまだ読みたければ中上健次を読む。
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オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界〔新訳版〕』

2020年02月11日 08時43分33秒 | 文学
オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界〔新訳版〕』(ハヤカワepi文庫)を読んだ。
『一九八四年』よりも気楽に読める。拷問がない。
もう人びとは特定の父親と母親からは産まれず、瓶で育てられる。
「母親」とか「父親」とかいう言葉が卑猥な印象を与えることになっている。
不安を感じたときはソーマという麻薬を飲んで安心する。
はじめは主人公はバーナードで、社会に疑問を感じて生きているのだけど、野人ジョンを連れて帰って、みんなにちやほやされるうちに性格が変わってあまり社会に疑問を感じなくなる。後半は主人公は野人ジョンに変わる。
ジョンはシェイクスピアを読んで育ったので、シェイクスピアからの引用でしゃべる。
ジョンと世界統制官ムスタファ・モンドとの対決のあたりから話がよくわからなくなってきて、最後はぐちゃっとした印象で終わる。
なので、あまり印象が良くない。途中までとても楽しく読めていたのだけれど。
バーナードとジョンがお互いの孤独で強く結びつくあたりがとっても良かった。
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テッド・チャン『あなたの人生の物語』

2020年02月10日 23時12分40秒 | 文学
テッド・チャン『あなたの人生の物語』(ハヤカワ文庫SF)を読んだ。
名前の印象からケン・リュウと比較してしまうが、ケン・リュウのほうがおもしろかった。

「バビロンの塔」
天まで届く塔を作って、その先には天井があって、さらにそこに穴を開けようとしているという話だった。
穴を開けて、その先に入っていくあたりが何が行われているのかよくわからなかった。
ふりだしに戻る、というような話で、「もっとオチを期待したけどなあ」と思った。

「理解」
薬のせいでものすごく賢くなってしまったひとが、もう一人の賢い人と対決する話、なのだろうか。
あんまりよくわからなかった。
すごさを強調するのだが、あまり僕にはぴんとこなかった。
すごく賢くなるということは、科学的な知識が身に付くということで、倫理的には成長しないことなのだろうか。

「ゼロで割る」
また賢い人の話。
これは何が言いたいのかよく分からず。

「あなたの人生の物語」
映画『メッセージ』を観たときに、気になりながら原作を読んでいなかった。やっと読めた。
映画がよく出来ていたので、原作を読んでも映画以上のことは理解できなかったように思う。
おもしろかった。
ヘプタポットはこれから起きることがすべて分かるので、そうすることになっているから地球に来て、これから地球を去ることになっているので地球から去ったのだろう。
映画を観ていなかったら、ヘプタポットの書く文字「ヘプタポットB」についてどんなものだか想像できなかっただろう。

「七十二文字」
ケン・リュウの「紙の動物園」みたい、といえばみたいなのだが、もっと難しい。
何かに命を吹き込む話というのがSFにはあるのだなと思った。
テッド・チャンはケン・リュウよりも理屈っぽくて、センチメンタルが足らない。ケン・リュウのほうが好き。

「人類科学の進化」
よくわからない。というか、まったくわからない。

「地獄とは神の不在なり」
天使がたまにやってきたり、ひとが天国に行くのが見えたり、たまに地獄が見えて死んだ人たちがいるのが見える世界。
妻が死んで天国に行ったので、自分も天国に行くためには信仰心を持たなければいけないがもてない、という話。

「顔の美醜について――ドキュメンタリー」
顔が美しいか観にくいかを判断することが差別を生むので、そういう価値判断をやめる装置を作りましたという話。
それをいろいろな人のインタビューを載せるという形で描いている。
この短篇集の中ではおもしろいほうだった。
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今後の読書計画

2020年02月09日 18時15分32秒 | 文学
読んでいるとおもしろくなってきたので、大江健三郎を少しずつ読んでいこうかなと考えている。
まずは、未読の後期短篇を読むことから始めたい。
『いかに木を殺すか』も『河馬に嚙まれる』も『僕が本当に若かった頃』も読んでいない。
長篇小説は『同時代ゲーム』以後のものはほぼ全部(『宙返り』以外)読んでいる。気になるものは読み返したい。
なぜか最近、大江健三郎の本の文庫があまり書店に並んでいないので、講談社の『大江健三郎全小説』を図書館で借りてちびちびと読んでいく。

ついでに、と言ってはなんだけれど、中上健次も気になっている。
中上健次については一作も読んだことがない。ずっと昔に、なんとなく尾崎豊を思わせる『十九歳の地図』というタイトルの短篇集を読もうとして、読めなかったことがある。
河出書房新社の池澤夏樹個人編集の『日本文学全集』の一冊が中上健次になっていて、この全集は大江健三郎を読んだときに読みやすかったのでまずはここから始めてもいいかなとも思う。
しかし中上健次を読むくらいであればガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んだほうが良いかなと思う。

SFは、
・ジョージ・オーウェル『一九八四年』(既読)
・ケン・リュウの短篇集(既読)
・大江健三郎『治療塔』(既読)
・大江健三郎『治療塔惑星』(既読)
・テッド・チャン『あなたの人生の物語』 ←いまここ
・オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』 ←いまここ
・メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』
・ストルガツキー兄弟『ストーカー』
・オースン・スコット・カード『無伴奏ソナタ』
・レイ・ブラッドベリ『華氏451度』
・マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
・アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』
・スタニスワフ・レム『ソラリス』
という状態。
『すばらしい新世界』はとてもおもしろい。
中上健次も一作くらいSFを書いておいたらこのリストに加えただろうに、残念。
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井上荒野・江國香織『あの映画みた?』

2020年02月08日 21時56分03秒 | 文学
書店で見かけて、作家二人が映画を語るというのはおもしろいのではないかと思い、井上荒野・江國香織『あの映画みた?』(新潮社)を図書館で借りる。
しかしあまりおもしろくなくて、あまりきちんと読まなかった。
岩井俊二の『花とアリス』について語られるところだけはきちんと読んだ。やはり観ていない映画の話をされても興味が持てないのだ。
井上荒野と江國香織のどちらか、あるいは両方のファンであれば、観たことのない映画の話であっても、彼女(たち)らしいと思って読めるのかもしれない。

筒井康隆の『本の森の狩人』(岩波新書)を図書館で立ち読みし、大江健三郎の『治療塔惑星』についての部分を読んだ。
筒井康隆のこの本は、昔読売新聞に連載されていたときに読んでいて、連載を読んでミラン・クンデラの『不滅』を買って読んだことが懐かしい。トーマス・マンの『魔の山』も読んだ。
『治療塔惑星』の書評があったことを憶えていなかったが、調べていて知ったので読んでみた。はっきりとは書いていないのだけれど、『治療塔』より落ちると書いているように読めた。SFファンに媚びなくてよい、というように。私もそう思う。
SFと大江健三郎と言えば、『静かな生活』にタルコフスキー監督の映画『ストーカー』をテレビで見たという話があり、私の記憶ではその短篇は丸々映画『ストーカー』について語るというようなものだった気がするのだが、どのようなものだったか改めて読み直してみたい。やるならついでに『ストーカー』の原作を読んでから臨みたい。映画は観たことはあるのだが、あの睡魔に耐えきれないだろうからもう観ない。
『静かな生活』は他にもセリーヌの小説を延々読むというものもあった気がする。
よく考えてみれば、大江健三郎はやはりすごいのではないかという気がしてくる。
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