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ソフィア・コッポラ監督『somewhere』

2011年12月30日 15時46分54秒 | 映画
ソフィア・コッポラ監督の『somewhere』を見た。
映画を見るのはひさしぶり。7月に『借りぐらしのアリエッティ』を見て以来。ほんとうに映画を見なくなった。今年は10本も見ていない。映画館に行っていないという意味ではなく、もちろん映画館にも行っていないのだが、レンタルして見てもいない。テレビを録画しても見ていない。映画館もレンタルもテレビ放送も全部合わせても10本見ていない。
ブルーレイ・プレイヤーを買ったのにほとんど使用していない。
今年見た映画で最もおもしろかった映画はクリント・イーストウッドの『ヒアアフター』なのだが、すでにどのような映画だったかあまり憶えていない。津波と霊能者とディケンズの話だったような気がする。
『somewhere』は、ほんとうは『ブラック・スワン』 を借りようと思っていたのだが、サスペンスよりも切ない話のほうが良いかと思って借りてきた。
予想通りの切ない話だったが、僕にはついていけなかった。ソフィア・コッポラの映画は一言で言うと「生きてても何だが空しい。お金があっても虚しい」ということを表現していて今回も同じだったのだが、しかしそれ以上に何が言いたいのかまったくつかめなかった。思いつきを並べていったようにしか見えなかった。
娘役の女の子がかわいい、ということは思った。
それ以上に何が言いたいのだろう。
最初のほうで主人公の俳優が、双子の女をホテルの部屋に呼んでポールダンスをさせそれを眺める場面が二回あり、そのあとで娘のアイススケートの練習風景を眺める場面があった。ひとが踊っているのを見るんじゃなくて自分で踊ったほうがいいよって言いたいのだろうか。おそらくソフィア・コッポラはそんなことは言いたくないのだろうな。
ヒッチコックの『裏窓』は、ジェームス・スチュアートが外を眺める場面と外の風景を交互につなげることでいかにもジェームス・スチュアートがその風景を見ているのだという印象を観客に与えるということでモンタージュ理論の例として引き合いに出されるが、そんなことを思い出した。ソフィア・コッポラはそれがやってみたかったのだろうか。
ほんとによくわかんない映画だった。ソフィア・コッポラが好きだから退屈しなかったが、普通は退屈な映画じゃないかと思う。
こうやって年に数本しか見ない映画がピンとこないことでひとはどんどん映画から離れていくのだな。
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