高井ゆと里『極限の思想 ハイデガー 世界内存在を生きる』(講談社選書メチエ)を図書館で借りて読んだ。
やはり迷っているのだが、ハイデガーの『存在と時間』そのものを読むべきかどうかを考えている。
入門書だけ読んで、それでいいかなとも思っている。いまさら私が読んだところでなにか得られるものがあるのだろうか(無いだろう)と思ってしまう。文庫で四冊とか、八冊とかとなると怖気づいてしまう。
高井ゆと里の本を初めて読んだが、なかなか独特でおもしろい。
内容は非常にわかりやすい。
若い女性が書いているということを事あるごとに意識させられるが、思えばこれまで様々な著作は男性が書いているということを私が意識してこなかったということなのかなということを反省させられる。
戸谷洋志の本は「いじめ」を題材にしていたが、高井ゆと里の本では自分の性別に悩むひとのことが題材になっている。食事をする前にそこに置かれている新聞を片付けるというようなことも例として書かれていて、感心した。
『存在と時間』を身近な例で語り、より近づきやすくなっているように思う。
〈ひと〉や良心の呼び声など、ハイデガーの話には魅力的な部分も多くあるが、読んでも苦労のわりには得るものが少ないんじゃないかなと思ってしまう。『存在と時間』を読むよりももっとわかりやすい宗教的な読み物やビジネス書のほうが同じような効果を得られるんじゃないかと思ってしまう。
やはり迷っているのだが、ハイデガーの『存在と時間』そのものを読むべきかどうかを考えている。
入門書だけ読んで、それでいいかなとも思っている。いまさら私が読んだところでなにか得られるものがあるのだろうか(無いだろう)と思ってしまう。文庫で四冊とか、八冊とかとなると怖気づいてしまう。
高井ゆと里の本を初めて読んだが、なかなか独特でおもしろい。
内容は非常にわかりやすい。
若い女性が書いているということを事あるごとに意識させられるが、思えばこれまで様々な著作は男性が書いているということを私が意識してこなかったということなのかなということを反省させられる。
戸谷洋志の本は「いじめ」を題材にしていたが、高井ゆと里の本では自分の性別に悩むひとのことが題材になっている。食事をする前にそこに置かれている新聞を片付けるというようなことも例として書かれていて、感心した。
『存在と時間』を身近な例で語り、より近づきやすくなっているように思う。
〈ひと〉や良心の呼び声など、ハイデガーの話には魅力的な部分も多くあるが、読んでも苦労のわりには得るものが少ないんじゃないかなと思ってしまう。『存在と時間』を読むよりももっとわかりやすい宗教的な読み物やビジネス書のほうが同じような効果を得られるんじゃないかと思ってしまう。
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