ここ数日に起きたことを備忘のために書き残す。
8月10日(月)
朝6:00前電話あり。自宅の電話が鳴り、携帯が鳴ったように思う。逆かもしれない。
自宅で療養していた父親がもうすぐ危ないという母親からの電話。実家に泊まっていた姉(看護師)が電話に出て、脈がだいぶ弱くなっているというような話をする。明日は仕事だなと思い、どうするかなと思って、ちょっと考えると言って電話を切る。もうすぐ危ない、のもうすぐがどのくらいすぐなのか分からない。
妻と話していると再び母から電話。いま逝ったようだ、とのこと。
準備をし、娘が起きるのを待って、実家に車で行く。
10:00くらい。実家の前には車が並んでいて、近くに住んでいる伯父さんや従姉などが来ている。
父が横になっている。顔を見る。
親戚帰る。
義兄が母を連れて役所に行く。
そのあとすぐに葬儀会社が打ち合わせにくるという連絡がある。母を呼ぶために携帯に電話するが家で鳴り、持っていないことが分かる。「いつも忘れる」と姉。
義兄に連絡し家に戻ってもらう。
葬儀会社と打ち合わせ。今後の時間や棺の種類などを決める。通夜は明日になる。喪主は私。
家族葬にし、香典は受け取らないようにしようと話をする。
義兄と母は再び役所へ。
昼はコンビニ弁当で済ませる。姉は朝から何も食べていないとのことで、おいしそうにスバゲッティを食べる。
母から電話で、おくやみを新聞に載せるかどうかを訊いてくる。載せなくていいのではないかと答える。
義兄と母が帰ってきて、義兄が役所の対応にものすごく怒っていた。同じことを何度も聞くし、融通が利かないというような話だった。
父の将棋仲間が新聞を見るかもしれないということで、新聞におくやみを載せることにしたと母が言う。なら僕に訊くな、と思う。
通夜が明日になったのですこしのんびりする。
夜は妻がピーマンのきんぴらを作る。あとは昼に買ったおにぎりなどの残りもの。
おにぎりを食べていた妻がおにぎりから金属片が出てきたと言う。自分の銀歯が抜けていたものだった。
8月11日(火)
朝、予約し、妻を近所の歯医者へ連れて行く。線が引いていない駐車場に適当に停めるような駐車場。
時間がかかりそうだったので一度実家に帰ることにする。駐車場に行くと、おじいさんが私の車の横に駐車しようとしていたが柱などがあって狭く、難しそうだった。車を動かして実家に帰る。帰る前にそのおじいさんの車を見るとこすったような傷がたくさんあり、危ないところだったと思う。
帰りに母親から携帯に電話。急ぎの用かと思い電話を取ると、私の会社からの贈りものを受け取るかどうかを葬儀会社が訊いてきたというような話だった。今帰っているからあとで話すと言って電話を切る。
実家に帰り、葬儀会社に電話。私の会社と姉の病院から問い合わせがあり、花を贈っていいかとの確認があったとのこと。母と姉と相談し、受け取ることに決める。葬儀会社に手間がかかるのですべて受け取ることにする。
昼は近所のひとが持ってきてくれた巻き寿司といなり寿司などを食べる。
13:30 家から通夜会場へ移動。納棺師が二人やってきて父を綺麗にしてくれる。処理の途中で、小さな屏風のようなものを立ててこちらに父の顔が見えないように作業し始める。近くに寄って「見てもいいですか」と訊ね、嫌がる方もいるので、というようなことを納棺師(女性)が言うが、私は嫌がるようなことはないだろうと思い、見せてもらう。おそらくピンセットのようなもので綿を父の口から喉のほうにまでぐいぐい入れている。押し込むので喉が少し盛り上がる感じ。そうすると開いていた父の口が閉じる。母は父の入歯を持ってくるのを忘れて、歯のない口が見えるのを気にしていたが、閉じられる。途中から姉も傍に寄ってきて納棺師にいろいろと質問する。看護師から納棺師への引き継ぎをどのようにすべきか訊いているような感じ。死んでも少し髭が伸びるというような話を伺う。髭などを剃って、父がにっこりしている感じになる。表情があると不思議な感じがする。
通夜まで控え室で過ごす。姉は携帯で調べながら通夜の挨拶を考える。
通夜前にお坊さんと面談。とくに話すこともなく過ぎる。向うもそんなに何か言うわけでもない。
18:00から通夜。
姉が挨拶をする。泣く。
通夜の後、控え室で寿司などを親戚で食べる。私と母は一度家に帰り、シャワーを浴びたりして会場に戻る。妻と娘は実家で寝ることにする。
夜は母と姉と私の三人で父の傍に布団を敷いて寝る。
通夜の前にお坊さんと面談し特に話すこともなかったが、もしかしたらあの時間にお布施を渡すなり、値段を聞くなりするものなのかもしれないと母と姉に話す。
母と姉は看病で疲れていたのかすぐに眠る。
線香と蝋燭を絶やさないように、と言われたわけではないがそうするものなんだろうと思い、気をつけるようにする。が、そんなに難しいことではなく、線香は蚊取り線香にように渦巻き状になっているものでおそらく十時間くらいは保つもので、蝋燭も蓮の花のような形状になった大きなもので22時間ほど保つと説明に書かれているものだった。
明日の葬儀で挨拶をしないといけないので少し考える。葬儀の挨拶の定型のようなものがわからないので携帯で調べたりする。どこらへんまで自由なものなのかわからないが、父の葬儀だし自分が喪主なんだし自由だろうと思い、あまり拘らないようにする。
眠くなって寝るまえに渦巻き線香を交換し、寝る。
8月12日(水)
6:00頃、葬儀場の近所を少し走る。暑くなりそうだがまだ涼しい。
母を連れて実家に帰り、朝食を食べて、妻と娘を連れて葬儀会場に戻る。
カラオケが好きだった父の姿を葬儀で映したいと母が言ってDVDを持ってくるが、CDしか対応していないということで諦める。棺に一緒に入れるために、父がカラオケ大会で着ていた三度笠と道中合羽(時代劇の「木枯らし紋次郎」のような扮装)を持ってきていたので、父の棺桶の前で姉がそれを着る。私の娘も着て、私も着る。みんなで棺桶の前で写真を撮って過ごす。母が「子どもと孫に着てもらえて喜んでいるだろう」と言う。
11:30 昼食に仕出し弁当を頼んでいたのを食べる。
葬儀前に再びお坊さんと面談。母と姉も一緒に話し、お布施について話すが、金額は決まっていないと言う。決まってないと言われると困るので伯母に聞いてみたり、その伯母に葬儀場のひとに聞いてもらったりするがそれでも分からない。まあ、だいたいこのくらいの金額でいいだろうという額を家族で決める。
13:30 葬儀。初七日もいっしょに行う。
お経を聞きながら、挨拶をどうしようか迷う。ほんとうは紙を見ずに話すべきだろうが、おそらく泣くだろうからきちんと話せなくなりそうだと思う。うまく言えなくなるくらいなら紙を見て言うべきかと思う。
マスクを外し、ポケットから紙を出して挨拶する。
「
本日は父の葬儀にご会葬頂きまして有難うございました。
少し思い出話をしますと、父は二十年ほど前に心臓を悪くして、一度死にそうになったことがあります。そのあと私が結婚し、姉が結婚し、孫が二人できました。そのように思うと、あの時から二十年長く生きたことで本当に幸せな人生を送ることができたのではないかと思います。
あまり話の合わない親子だったと思いますけど、たまに実家に帰るとよく、将棋を指しました。またいつもテレビを見ている父でした。
もう、将棋を一緒に指すことも、テレビの大きな音も聞けなくなるのだと考えると、「ああ会えなくなったんだな」と感じ、淋しく思います。
父に対して寄せられました皆さまのご厚情に、心よりお礼を申し上げます。
本日は、本当にありがとうございました。
」
やはり泣いてしまう。
花を棺に入れて、出棺。位牌(私)、写真(母)、骨壺(姉)の順に外に出る。
位牌を母に渡し、母は霊柩車に乗り、私と姉の自家用車二台で火葬場に向かう。コロナ禍で火葬場に行く人数を限っているし、行く人間は住所と体温を書くことになっていた。私たち家族と伯父夫婦(二人)のみで行くことになる。
火葬場に向かい始めるとゲリラ豪雨のような雨が振り、運転していても前が見えにくいくらいになる。葬式らしくて、良い感じだと思う。
もっと待つことになるかと思っていたが、火葬場に到着するとすぐに火葬が始まる。
15:10くらいから火葬。控え室で待っている間に雨が上がる。
16:40に骨上げ。娘は少し怖がっているようにも見えたが、きちんと端で骨を拾うことができた。ここでもコロナ禍の影響で五人ずつの交代。喪主の私は前半と後半のどちらも骨を拾う。
ガソリンが無くなっていたので、帰りに給油。
夜は家族で居酒屋で食事。
家に帰ると非常に大きな箱が置かれていて、仏壇でも送られてきたのかと思ったら、遠くに住んでいる叔父叔母から胡蝶蘭が届いていた。
8月13日(木)
香典の整理。帳簿と金額の合計が5000円合わず、中心で整理をしていた妻が気にするが、父がギャンブルに持って行ったのだろうということにする。こういうとき死者がいると便利。
昼はそうめんを食べる。
午後は母と姉と三人でお寺と役所に行く。
お盆のため忙しいらしく、お寺に住職はいなかったが奥さんが対応してくれる。元気の良さそうな好感の持てる奥さん。お布施を渡す。大きめの飼い犬がいて、姉がかわいいと言っていた。姉は犬を二匹飼っているのだが、犬を見たらすぐにかわいいと言ってしまうほどの犬好きとは知らなかった。納骨堂を見せてもらう。母は、まだ仏壇や墓については考えられないと言う。
その帰りに母のキャッシュカードで何かの料金を振り込もうとするができない。
夜は私のリクエストで母がカレーを作り、食べる。
姉は明日から仕事のため帰宅。
8月14日(金)
銀行で父の口座の解約手続き。父の年金が振り込まれていないのがなぜかを母が訊ねると、新聞のおくやみ掲載により入出金が停止されているのだろうとのこと。新聞のおくやみ掲載で仏壇のセールスがすでに何社か実家に来ているのであまり良いことはないなと思う。
通帳は知らないものが他3通あった。ギャンブルのために作っていたのだろうと母。それもいっしょに解約する。解約後に母の通帳に振り込む手続きをする。昨日母のキャッシュカードでの振込ができなかったのは、70歳以上で3年キャッシュカードで振り込みしていないと振込機能を停止するということが分かる。
昼はやきそばとカレー。
少しして実家から帰宅する。
8月10日(月)
朝6:00前電話あり。自宅の電話が鳴り、携帯が鳴ったように思う。逆かもしれない。
自宅で療養していた父親がもうすぐ危ないという母親からの電話。実家に泊まっていた姉(看護師)が電話に出て、脈がだいぶ弱くなっているというような話をする。明日は仕事だなと思い、どうするかなと思って、ちょっと考えると言って電話を切る。もうすぐ危ない、のもうすぐがどのくらいすぐなのか分からない。
妻と話していると再び母から電話。いま逝ったようだ、とのこと。
準備をし、娘が起きるのを待って、実家に車で行く。
10:00くらい。実家の前には車が並んでいて、近くに住んでいる伯父さんや従姉などが来ている。
父が横になっている。顔を見る。
親戚帰る。
義兄が母を連れて役所に行く。
そのあとすぐに葬儀会社が打ち合わせにくるという連絡がある。母を呼ぶために携帯に電話するが家で鳴り、持っていないことが分かる。「いつも忘れる」と姉。
義兄に連絡し家に戻ってもらう。
葬儀会社と打ち合わせ。今後の時間や棺の種類などを決める。通夜は明日になる。喪主は私。
家族葬にし、香典は受け取らないようにしようと話をする。
義兄と母は再び役所へ。
昼はコンビニ弁当で済ませる。姉は朝から何も食べていないとのことで、おいしそうにスバゲッティを食べる。
母から電話で、おくやみを新聞に載せるかどうかを訊いてくる。載せなくていいのではないかと答える。
義兄と母が帰ってきて、義兄が役所の対応にものすごく怒っていた。同じことを何度も聞くし、融通が利かないというような話だった。
父の将棋仲間が新聞を見るかもしれないということで、新聞におくやみを載せることにしたと母が言う。なら僕に訊くな、と思う。
通夜が明日になったのですこしのんびりする。
夜は妻がピーマンのきんぴらを作る。あとは昼に買ったおにぎりなどの残りもの。
おにぎりを食べていた妻がおにぎりから金属片が出てきたと言う。自分の銀歯が抜けていたものだった。
8月11日(火)
朝、予約し、妻を近所の歯医者へ連れて行く。線が引いていない駐車場に適当に停めるような駐車場。
時間がかかりそうだったので一度実家に帰ることにする。駐車場に行くと、おじいさんが私の車の横に駐車しようとしていたが柱などがあって狭く、難しそうだった。車を動かして実家に帰る。帰る前にそのおじいさんの車を見るとこすったような傷がたくさんあり、危ないところだったと思う。
帰りに母親から携帯に電話。急ぎの用かと思い電話を取ると、私の会社からの贈りものを受け取るかどうかを葬儀会社が訊いてきたというような話だった。今帰っているからあとで話すと言って電話を切る。
実家に帰り、葬儀会社に電話。私の会社と姉の病院から問い合わせがあり、花を贈っていいかとの確認があったとのこと。母と姉と相談し、受け取ることに決める。葬儀会社に手間がかかるのですべて受け取ることにする。
昼は近所のひとが持ってきてくれた巻き寿司といなり寿司などを食べる。
13:30 家から通夜会場へ移動。納棺師が二人やってきて父を綺麗にしてくれる。処理の途中で、小さな屏風のようなものを立ててこちらに父の顔が見えないように作業し始める。近くに寄って「見てもいいですか」と訊ね、嫌がる方もいるので、というようなことを納棺師(女性)が言うが、私は嫌がるようなことはないだろうと思い、見せてもらう。おそらくピンセットのようなもので綿を父の口から喉のほうにまでぐいぐい入れている。押し込むので喉が少し盛り上がる感じ。そうすると開いていた父の口が閉じる。母は父の入歯を持ってくるのを忘れて、歯のない口が見えるのを気にしていたが、閉じられる。途中から姉も傍に寄ってきて納棺師にいろいろと質問する。看護師から納棺師への引き継ぎをどのようにすべきか訊いているような感じ。死んでも少し髭が伸びるというような話を伺う。髭などを剃って、父がにっこりしている感じになる。表情があると不思議な感じがする。
通夜まで控え室で過ごす。姉は携帯で調べながら通夜の挨拶を考える。
通夜前にお坊さんと面談。とくに話すこともなく過ぎる。向うもそんなに何か言うわけでもない。
18:00から通夜。
姉が挨拶をする。泣く。
通夜の後、控え室で寿司などを親戚で食べる。私と母は一度家に帰り、シャワーを浴びたりして会場に戻る。妻と娘は実家で寝ることにする。
夜は母と姉と私の三人で父の傍に布団を敷いて寝る。
通夜の前にお坊さんと面談し特に話すこともなかったが、もしかしたらあの時間にお布施を渡すなり、値段を聞くなりするものなのかもしれないと母と姉に話す。
母と姉は看病で疲れていたのかすぐに眠る。
線香と蝋燭を絶やさないように、と言われたわけではないがそうするものなんだろうと思い、気をつけるようにする。が、そんなに難しいことではなく、線香は蚊取り線香にように渦巻き状になっているものでおそらく十時間くらいは保つもので、蝋燭も蓮の花のような形状になった大きなもので22時間ほど保つと説明に書かれているものだった。
明日の葬儀で挨拶をしないといけないので少し考える。葬儀の挨拶の定型のようなものがわからないので携帯で調べたりする。どこらへんまで自由なものなのかわからないが、父の葬儀だし自分が喪主なんだし自由だろうと思い、あまり拘らないようにする。
眠くなって寝るまえに渦巻き線香を交換し、寝る。
8月12日(水)
6:00頃、葬儀場の近所を少し走る。暑くなりそうだがまだ涼しい。
母を連れて実家に帰り、朝食を食べて、妻と娘を連れて葬儀会場に戻る。
カラオケが好きだった父の姿を葬儀で映したいと母が言ってDVDを持ってくるが、CDしか対応していないということで諦める。棺に一緒に入れるために、父がカラオケ大会で着ていた三度笠と道中合羽(時代劇の「木枯らし紋次郎」のような扮装)を持ってきていたので、父の棺桶の前で姉がそれを着る。私の娘も着て、私も着る。みんなで棺桶の前で写真を撮って過ごす。母が「子どもと孫に着てもらえて喜んでいるだろう」と言う。
11:30 昼食に仕出し弁当を頼んでいたのを食べる。
葬儀前に再びお坊さんと面談。母と姉も一緒に話し、お布施について話すが、金額は決まっていないと言う。決まってないと言われると困るので伯母に聞いてみたり、その伯母に葬儀場のひとに聞いてもらったりするがそれでも分からない。まあ、だいたいこのくらいの金額でいいだろうという額を家族で決める。
13:30 葬儀。初七日もいっしょに行う。
お経を聞きながら、挨拶をどうしようか迷う。ほんとうは紙を見ずに話すべきだろうが、おそらく泣くだろうからきちんと話せなくなりそうだと思う。うまく言えなくなるくらいなら紙を見て言うべきかと思う。
マスクを外し、ポケットから紙を出して挨拶する。
「
本日は父の葬儀にご会葬頂きまして有難うございました。
少し思い出話をしますと、父は二十年ほど前に心臓を悪くして、一度死にそうになったことがあります。そのあと私が結婚し、姉が結婚し、孫が二人できました。そのように思うと、あの時から二十年長く生きたことで本当に幸せな人生を送ることができたのではないかと思います。
あまり話の合わない親子だったと思いますけど、たまに実家に帰るとよく、将棋を指しました。またいつもテレビを見ている父でした。
もう、将棋を一緒に指すことも、テレビの大きな音も聞けなくなるのだと考えると、「ああ会えなくなったんだな」と感じ、淋しく思います。
父に対して寄せられました皆さまのご厚情に、心よりお礼を申し上げます。
本日は、本当にありがとうございました。
」
やはり泣いてしまう。
花を棺に入れて、出棺。位牌(私)、写真(母)、骨壺(姉)の順に外に出る。
位牌を母に渡し、母は霊柩車に乗り、私と姉の自家用車二台で火葬場に向かう。コロナ禍で火葬場に行く人数を限っているし、行く人間は住所と体温を書くことになっていた。私たち家族と伯父夫婦(二人)のみで行くことになる。
火葬場に向かい始めるとゲリラ豪雨のような雨が振り、運転していても前が見えにくいくらいになる。葬式らしくて、良い感じだと思う。
もっと待つことになるかと思っていたが、火葬場に到着するとすぐに火葬が始まる。
15:10くらいから火葬。控え室で待っている間に雨が上がる。
16:40に骨上げ。娘は少し怖がっているようにも見えたが、きちんと端で骨を拾うことができた。ここでもコロナ禍の影響で五人ずつの交代。喪主の私は前半と後半のどちらも骨を拾う。
ガソリンが無くなっていたので、帰りに給油。
夜は家族で居酒屋で食事。
家に帰ると非常に大きな箱が置かれていて、仏壇でも送られてきたのかと思ったら、遠くに住んでいる叔父叔母から胡蝶蘭が届いていた。
8月13日(木)
香典の整理。帳簿と金額の合計が5000円合わず、中心で整理をしていた妻が気にするが、父がギャンブルに持って行ったのだろうということにする。こういうとき死者がいると便利。
昼はそうめんを食べる。
午後は母と姉と三人でお寺と役所に行く。
お盆のため忙しいらしく、お寺に住職はいなかったが奥さんが対応してくれる。元気の良さそうな好感の持てる奥さん。お布施を渡す。大きめの飼い犬がいて、姉がかわいいと言っていた。姉は犬を二匹飼っているのだが、犬を見たらすぐにかわいいと言ってしまうほどの犬好きとは知らなかった。納骨堂を見せてもらう。母は、まだ仏壇や墓については考えられないと言う。
その帰りに母のキャッシュカードで何かの料金を振り込もうとするができない。
夜は私のリクエストで母がカレーを作り、食べる。
姉は明日から仕事のため帰宅。
8月14日(金)
銀行で父の口座の解約手続き。父の年金が振り込まれていないのがなぜかを母が訊ねると、新聞のおくやみ掲載により入出金が停止されているのだろうとのこと。新聞のおくやみ掲載で仏壇のセールスがすでに何社か実家に来ているのであまり良いことはないなと思う。
通帳は知らないものが他3通あった。ギャンブルのために作っていたのだろうと母。それもいっしょに解約する。解約後に母の通帳に振り込む手続きをする。昨日母のキャッシュカードでの振込ができなかったのは、70歳以上で3年キャッシュカードで振り込みしていないと振込機能を停止するということが分かる。
昼はやきそばとカレー。
少しして実家から帰宅する。