いま所謂「森友学園問題」に注目していて、テレビを見たりネットを見たりしている。
籠池理事長の証人喚問も、あの日は休みだったのでテレビをよく見た。
証人喚問でもっとも驚いたのは、大阪府私学課の担当者が森友学園が建設中の小学校に立ち入り調査をした際に”ガラケー”で籠池夫人が写真を撮り始め、府の担当者が「やめてください」と言ったのにもかかわらずやめないので調査を中止したという話があり、「携帯電話で、でいいのにわざわざ、ガラケーで、写真を撮ったという言い方に、ガラケー所有者を馬鹿にした気持ちが込められているな」と思ったのと、「まあしかしあそこの夫人ならやりそう」と思っていたのだが、証人喚問で籠池理事長がそれも含めて嘘でまわりにはめられているという話をしていて、もしそうだったら本当に怖いことだなと思った。そして先入観で人を判断してはいけないなと思った。(または先入観で判断するのはしょうがないとして自分が間違っている可能性を考慮しておくことは大事だなと思った。)
証人喚問では籠池理事長が驚くほどまともな人間に見えた。それがまた不思議だった。
どんなものであれ、何かを信じているということはこういうことなのかなと思った。
それとそのあとで、安倍総理大臣夫人にお付きの人が籠池理事長に送ったFAXに「当方としても見守ってまいりたい」との文があり、国会でこの当方というのがお付きの人のことかという質問に菅官房長官が「当然、谷さん(お付きの人)です」と答えたのにはびっくりした。そのようなことを言っていたら言葉なんて話せない。相手はこちらの言う意味は理解できるはずだという信頼が成り立たない。この場合「当方」が書いている本人ただひとりということは絶対に、ない。
(政治のニュースは時が経つとすぐに忘れてしまうのでくわしく感想を書いておいた。)
「森友学園問題」で話題の人物で、興味があったので菅野完の『日本会議の研究』(扶桑社新書)を読んだ。
日本会議はたまに名前を見るが、どういう組織なのかよくわからなかったので勉強になった。
しかしすぐに忘れてしまいそうなので他の本も読んでおきたい。
この本では、60年代の学生運動での左翼への恨みを、いまでもまだ晴らそうとしている人たちの物語として描かれていた。(そしてそれはとても馬鹿馬鹿しいことだ、と思わせる。)
思想的にどのような思想をもっている人たちなのかはあまりよくわからなかった。ただただ左翼への反動として描かれていたように思う。明治憲法に戻そうというのも、どうしてそんなふうに思うのかよくわからなかった。
もしかすると、日本会議の人たちも突き詰めて考えて、明治憲法のほうが良いと考えて選択しているわけではなく、そのように尊敬すべき人や親が言っているからそのように信じているというだけなのかもしれない。そんな気もする。
私が今の自分の考えを突き詰めて選んで選択してきたかと言われれば、必ずしもそうでないのと同じなのかもしれない。
菅野完は私と同じ年だが、「ゲバルト」とか「ブント」とかという言葉を使いこなす。読むことはあるが、「ゲバルト」とか「ブント」とかどうも使えないな、知らないしな、と思ってしまう。
籠池理事長の証人喚問も、あの日は休みだったのでテレビをよく見た。
証人喚問でもっとも驚いたのは、大阪府私学課の担当者が森友学園が建設中の小学校に立ち入り調査をした際に”ガラケー”で籠池夫人が写真を撮り始め、府の担当者が「やめてください」と言ったのにもかかわらずやめないので調査を中止したという話があり、「携帯電話で、でいいのにわざわざ、ガラケーで、写真を撮ったという言い方に、ガラケー所有者を馬鹿にした気持ちが込められているな」と思ったのと、「まあしかしあそこの夫人ならやりそう」と思っていたのだが、証人喚問で籠池理事長がそれも含めて嘘でまわりにはめられているという話をしていて、もしそうだったら本当に怖いことだなと思った。そして先入観で人を判断してはいけないなと思った。(または先入観で判断するのはしょうがないとして自分が間違っている可能性を考慮しておくことは大事だなと思った。)
証人喚問では籠池理事長が驚くほどまともな人間に見えた。それがまた不思議だった。
どんなものであれ、何かを信じているということはこういうことなのかなと思った。
それとそのあとで、安倍総理大臣夫人にお付きの人が籠池理事長に送ったFAXに「当方としても見守ってまいりたい」との文があり、国会でこの当方というのがお付きの人のことかという質問に菅官房長官が「当然、谷さん(お付きの人)です」と答えたのにはびっくりした。そのようなことを言っていたら言葉なんて話せない。相手はこちらの言う意味は理解できるはずだという信頼が成り立たない。この場合「当方」が書いている本人ただひとりということは絶対に、ない。
(政治のニュースは時が経つとすぐに忘れてしまうのでくわしく感想を書いておいた。)
「森友学園問題」で話題の人物で、興味があったので菅野完の『日本会議の研究』(扶桑社新書)を読んだ。
日本会議はたまに名前を見るが、どういう組織なのかよくわからなかったので勉強になった。
しかしすぐに忘れてしまいそうなので他の本も読んでおきたい。
この本では、60年代の学生運動での左翼への恨みを、いまでもまだ晴らそうとしている人たちの物語として描かれていた。(そしてそれはとても馬鹿馬鹿しいことだ、と思わせる。)
思想的にどのような思想をもっている人たちなのかはあまりよくわからなかった。ただただ左翼への反動として描かれていたように思う。明治憲法に戻そうというのも、どうしてそんなふうに思うのかよくわからなかった。
もしかすると、日本会議の人たちも突き詰めて考えて、明治憲法のほうが良いと考えて選択しているわけではなく、そのように尊敬すべき人や親が言っているからそのように信じているというだけなのかもしれない。そんな気もする。
私が今の自分の考えを突き詰めて選んで選択してきたかと言われれば、必ずしもそうでないのと同じなのかもしれない。
菅野完は私と同じ年だが、「ゲバルト」とか「ブント」とかという言葉を使いこなす。読むことはあるが、「ゲバルト」とか「ブント」とかどうも使えないな、知らないしな、と思ってしまう。