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矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』

2016年11月30日 23時15分35秒 | 文学
矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)を図書館で借りて読む。
普通のひとが普通の感覚で書いたような感じで書かれていて読みやすかった。
米軍基地と憲法九条二項がセットで語られていて、なるほどなと思った。
会社で受ける健康診断について、病院がひとびとの健康を心配して健康診断があるわけではない。医者が余っているので仕事を増やすために病気を探している(作っている)だけだ、というような意見を近藤誠などから聞いてなるほどなと思ったりするのと似ている。
米軍があるのは日本を外国から守るためではなく、何かあったら日本をいつでも攻撃できるようにするためだ、というのはそうかもしれないなと思った。
最後のほうにこの人の意見として、九条二項を良いほうに、フィリピンのように変えるべきだという意見があり、そうなればそれがいいのかもしれないとは思うが、私などは、世の中は集団で何かを明確に決定したときに良いほうに向かうことなどないんじゃないかと思ってしまうので、変えないでそのままのほうがいいんじゃないかとどうしても思ってしまう。

以下、メモしたところ。
《こうした弾薬庫に、もっとも多い時期には沖縄全体で一三○○発の核兵器が貯蔵されていました。これはアメリカの公文書による数字です。》(37頁)
《そこで歴史を調べていくと、憲法九条二項の戦力放棄と、沖縄の軍事基地化は、最初から完全にセットとして生まれたものだということがわかりました。つまり憲法九条を書いたマッカーサーは、沖縄を軍事要塞化して、嘉手納基地に強力な空軍を置いておけば、そしてそこに核兵器を配備しておけば、日本本土に軍事力はなくてもいいと考えたわけです。》(39頁)
《米軍機は、日本全土で低空飛行をすることで、いつでも日本中の原発を爆撃できるオプションを持っている》(233頁)
《つまり九条二項は、「日本人の不戦への祈り」がこめられた条文であると同時に、そうした大西洋憲章から国連憲章「敵国条項」へとつづく、「日本の永久的武装解除=侵略政策の再現阻止」という負の起源を、あきらかにもっているのです。》(271頁)
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