ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

吉本隆明『夏目漱石を読む』

2013年09月05日 00時05分14秒 | 文学
吉本隆明『夏目漱石を読む』(ちくま文庫)を読んだ。
いま夏目漱石の『彼岸過迄』を読んでいて、この本も『彼岸過迄』の話の前で読むのをやめていたのだが、『彼岸過迄』がなかなかおもしろくならないので、もう読んでしまえと思って、最後まで読んだ。この本は、漱石の主要な長編小説について順番に語られる。
『彼岸過迄』はある男を探偵してくれと頼まれて、その男を探偵した結果を依頼主に語りに行くところまで読んだ。こう書くと、『彼岸過迄』は探偵小説のようでおもしろそうに思う人がいるかもしれないがそんなにはおもしろくない。こちらが、そのような意味でのおもしろさを漱石に期待していないせいかもしれない。これが作者がポール・オースターだったらちょっと期待値が違うかもしれない。なぜポール・オースターかと言うと、なんとなく話のつくりからの連想です。
吉本隆明の『夏目漱石を読む』は丁寧に漱石作品を解説して読みやすい本だった。
吉本隆明はなにかというと、幼児期の育てられ方に原因を求めてしまいがちなのだが、今回もその理屈が多かったように思う。懐かしかった。
もう一つ懐かしかったのは、昔吉本隆明の本を読んだ時に、長編小説で主人公がどんどん入れ替わっていく書き方をすることに対してものすごく否定的に書いているのを何度か読んだことがあり(いま思い出すのはたしか瀬名秀明『パラサイト・イヴ』の書評)、何を根拠にそんなに否定できるのかと思ったことがあるのだが、漱石の『明暗』について同様のことが書かれていた。
今回は理由らしきことが書かれていて、近代文学は一個の個性ある作者が書いているものであるので主格が入れ替わるのはいけない、というような理屈のようだった。
あまり納得できないのできちんと要約できていないのかもしれない。
しかしともかく、懐かしかった。
来月は江藤淳の本が二冊も文庫になるようなので、ついでに江藤淳フェアを開催し、夏目漱石のものを読んでみるのも良いかもしれないと思う。

NHKの「クローズアップ現代」は向田邦子の特集で、見た。
なんどか読んでみようかと思ったが、読むほどではないかなと思って読んでいない。本人のイメージがいいのだろうと思う。

宮崎駿が引退発表するらしく、同じく引退宣言を何度かした大江健三郎のことを思い出した。『水死』を読んでいないので、読んだほうが良いかなと思う。文章を書いたら「文責」なになにと、書いた人物の名前を書くものであるということを大学の時に初めて知って、そのあとどこでも出会わない言葉であるが、「読責」というものがあるとすれば『水死』の「読責」が私にはあるのではないかと勝手に感じている。
コメント