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テニスの効用、内田樹・三砂ちづる『身体知』

2011年12月18日 23時50分40秒 | 文学
今週も週末はテニススクール。
このところ打つ時の手足の動きについて毎回指摘される。ボレーを打つ時に左手を添えることと、打つ側と反対側の足を前に出すということを指摘される。これがなかなかできない。自分ではよくわからないが不細工な打ち方になっているのだろう。
かつて何度かスポーツをしようとしたときに、毎回この、手足の動きとか腰の高さとかそういうところを指摘されて嫌になったことがある。「そんなことを言われてもできない」とか「要は打ち返せればいいんだろ、打ち返せれば」などと思い、知るか! という気持ちにこれまでなってきた。
でも、大人になってきたのでそのような反抗的な気分になることもなく(コーチは年下だったりするので)、素直に従おうとしている。しかしなかなか出来ないのではあるが。
で、やっていると思うところがある。スポーツというのは実は勝ち負けを競うものではなくて、身体の動きの作法を学ぶものなのではないかということ。球を打つ時の姿勢が美しくなるということが本当はテニスの目的なのではないか。不細工な姿勢でたまたまラケットに当たった球が相手の打ちにくい場所に行くことよりも、美しい姿勢で球を打って打ち返されてしまうことのほうが本当は良いことなのではないか、とそんなことを考えた。茶道がお茶を飲むことではなくてその作法が重視されるように。
勝ち負けよりも大切な目的が実は隠されているという考えがさらに進んで、タバコについて考えた。
タバコについては、ポイ捨てがいけないとよく言われるけれど、ポイ捨ても含めての一連の行為が喫煙なのだからポイ捨てをするなと言われたらタバコと吸うなと言われているのに等しいのではないかと考えたことがある。(ちなみに私はタバコを吸ったことがない。)
今回考えたのは、タバコというのは男性の社交術であるので、喫煙をしなくなってきて男性の社交性はますます低下してきているのではないかと思った。タバコの火をひとからもらったり、灰皿のそばに集まって自然と話をしたりということが男の子が大人になるのに大切な訓練だったのではないかと思う。
隠されている本当の効用というのが世の中にはあるなと思う。
美しくボレーができるようになりたい。

と、ここまで書いて本を読んでいたらタバコについて同じような、ほぼ同じようなことを内田樹が書いていた。ずっと同じ人の本を読んでいると考え方が同じになってくるのだ。
内田樹・三砂ちづる『身体知 カラダをちゃんと使うと幸せがやってくる』(講談社プラスアルファ文庫)を読んだ。
内田樹が離婚する前の結婚生活について語るのは珍しい気がする。自分の学者としての研究を頑張ろうとしていたから妻に家事を頼まれるとイライラしていたという、いまの内田樹の印象とはそぐわない話をしていた。そういうこともあってのいまなのだなと思った。
子どもから非難される話も初めて聞いた。
そのひとの書いているものだけ読んでいると身近な人たちがその人に対して普通に非難したり怒ったりしていることがなかなか想像できなくなってくる。
なかなかおもしろい本だった。
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