アーチゾン美術館で開催中の『ブランクーシ展(~7月7日)』へ行った。美術館の旧名はブリッジストーン美術館。ビル建て替えによってなくなるかと思っていたが、以前にもまして立派な美術館となった。
ところが、地下鉄京橋駅の指定された番号の出口から外にでたところで、見つからずウロウロすることになった。別の外国人夫婦もウロウロしていた。なにしろ入場時間指定チケットなので、時間を過ぎたら入れない。前払い金の1800円は戻ってこない。14時00分から15時30分の枠を予約していて、京橋駅には15時頃到着。そもそも時間枠は1時間30分ごとに区切っていて、14:00-15:30の次は15:30-17:00。1時間半もあると思われるかと思うが、現地到着が1時間半の枠の後ろの方だと、最初からギリギリになる。遅れてもなんとか交渉できないかと思うが、デジタル入場券を読み取る装置の外側には人間はいないわけだ。
余談は終わりにして、ブランクーシは日本よりも圧倒的に欧米で有名だ。日本だとイサム・ノグチが彫刻を始めた頃にパリでブランクーシの助手をしていたことがあるという話は有名で、確かに相似している部分はあると思う。『イサム・ノグチ(ドウス昌代著)』という感動的な伝記の中では、ブランクーシが金属ばかり削っていて、(粉を吸い込んで)体に良くないと思って、アメリカに戻ったということだったと思う。
展示会場のほとんどの場所で撮影可能ということになっている。ただ、多くの人(半分は欧米系外国人と思われる)が作品を四方から撮影しているのでなかなか大変だ。
作風についてだが、通説では、パリで制作を始めた頃に、短期間アフリカ大陸へいって現地の美術品を見て回ってアフリカ的なネーティブな感性を取り入れたといわれるのだが、以前から少し違和感があったのは、アフリカといっても広いわけで、短期間で全アフリカがわかるわけでもないし、という点。
果たして、現在は作風の起源について諸説があるようで、出身国のルーマニアではルーマニアの先史時代の文明に影響されていると言われている。岡本太郎と縄文式土器のような着想だ。また一説ではアフリカではなくゴーギャンがタヒチで描いた絵画を見て、タヒチのネーティブが影響しているともいうらしい。また元々ブランクーシの脳の中にある想像力が生んだものということも言えるかもしれない。
確かに会場に掲げられた彼の年表の中にはアフリカに関する記載は見当たらない。本当はアフリカに行ったことにして、どこかで愛人と遊んでいたのが最近発覚したのかもしれない。
日本ではあまり有名ではないにしても、展示の目玉として、豊田市美術館所蔵の「雄鶏」と横浜市美術館に所蔵の「空間の鳥」という二大代表作が同時に見られる。「空間の鳥」は横浜美術館では広すぎる場所に置かれているため小さく見えるが、今回、ここでは壁の角のような場所で赤幕を背景にしていて、見せ方がうまいと思った。撮影もできるし。
ところで、展覧会の副題の「本質を象る」だが「象る」を読めるだろうか。「ぞうる」とか「しょうる」ではない。「かたどる」と読む。すぐに忘れると思う。
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