オリンピック終わる

2021-08-09 00:00:05 | 市民A
オリンピックの終りはパラリンピックの始めとも言えるので、バブル方式は続くということだが、とりあえずの感想。

まず、無観客のこと。
 特に大きな違和感はなかったが、席があれば観客になることができるし、それはスポーツと人間という関係を人々が考えるときにずっと先に影響があるのかもしれない。個人個人の記憶の中のレガシーということ。
 プラスの面と言えば、最初から「五輪は無観客」(あるいは少観客)ということにすれば、五輪を開くのにむやみに大きな競技場を新設しなくてもいいということになり、候補都市の負担減、つまり途上国、あるいは衰退国にも可能性があるわけだ。東京にしても、国立競技場は老朽化していてしかたなかったとしても、体操競技場とかプールとか新設(体操競技場は五輪後取り壊すらしいが)しなくても、少し小さめの既存施設はあったはずだ。

公式映画
 河瀨直美監督で撮影が続いている公式映画だが五輪開会前のCNNのインタビューによると、五輪に登場する人々のバックボーンを撮りこもうと考えていたらしく、既に300時間分を撮影し、開会後100時間位撮ってから編集に入るようだ。中止になったらどうするつもりだったのだろう。
 開会後は、特段の大事件も起きず(逃走した選手と亡命した選手と追放された選手はいたが)、やや刺激が少ないような気がする。国立建設費、エンブレム疑惑に始まり次々と各種の障害物が登場し、コロナ、不適切人物といったカオスは映画の中に入るのか、切り捨ててしまうか。監督の腕の見せ所。来年のカンヌ映画祭を目標とするらしい(五輪出場選手の目標みたいな感じがするが)。



レガシー(ささやかな)
近くのスポーツ店に出没した、サーファー五十嵐カノア選手。メダルを忘れているような気がする。よく見ると、足首を人工芝の中に埋められていて、逃げ出すことができない。便乗商法というのは、第三者的に観察すると、結構面白い。

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