夏の終わり

2010-08-31 00:00:42 | 市民A
夏がいつ、どういう形で終わるのか、よくわからない。毎日1度ずつ下がっていくのか、ある日突然にカトリーナ級の超巨大台風が襲来した後、涼しげな秋風の中で、壊れた家屋の片づけをしなければならないのかもしれない。

まあ、とはいっても、季節の変遷は、気温だけではなく、日照時間の問題でもあり、農作物の世界では、すでに秋の気配が訪れているようである。



といっても、自宅農園では、トマト1本とゴーヤが2本。鉢植えのミニトマト1本ということなので、これで、オールジャパンの農作物の作況を推し量ることは、やや無理かもしれない。

まず、トマト。いくつかの花は咲いているものの、もう新たな結実はないかもしれない。大中小の成長途中の果実も、大きくなることなく、そのままの大きさで赤くなってきた。もともと、デルモンテの『サマーキッス』という品種だったのだが、文字通り、8月の終わりに成長をとめるように、DNAにカレンダーを組み込まれているのかもしれない。



そして、ゴーヤだが、先行した白ゴーヤを追いかけるように緑ゴーヤを植えたのだが、どうも、「少し緑がかった白いゴーヤ」が次々に収穫される。あきらかに白ゴーヤだけの時期には、純白だったのだから、交配の結果と思われる。スーパーで売られているものを確認すると、案外、この緑っぽい白ゴーヤが売られているので、どこの畑でも、そういうことなのかもしれない。味の方は、白と緑の中間型の苦みであるので、巧まずして、食べやすくなったのだろうか。

(もしかすると、2本目が緑ゴーヤだと思っているのだが、その前提が正しいと確証を持っているわけでもなく、実は、大きな勘違いをしているだけなのかもしれない。)

ゴーヤが上に上にと成長するパワーにも、そろそろ限界感があるものの、少し前に大量開花したネット上部の白い実が一気に大きくなって、収穫を待っているのだが、やはり、いささか、飽きた。白ゴーヤが先に枯れた後、緑ゴーヤだけになったら別種のゴーヤが食べられるのかもしれないと、ひそかに鋏を持って、白ゴーヤの生えている根元を眺めたりしているのだが、なんとなく「花咲爺」の教訓を思い返したりしている。

ミニトマトは観賞用で、食べてはならないものだったかもしれない。


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