岡山シティミュージアムの隣のスペースにあるのが「岡山空襲展示室」。1945年6月29日早朝に行われた米軍による岡山市街地の空襲を記録するための展示室。
戦後明らかになった米軍の作戦だが、3月の東京大空襲のあと、100万人以上の大都市に次々に空襲が実行され、さらに次の目標として全国の都市を人口の多い方から順に爆撃が計画される。岡山もそういう順番の中に組み込まれていたわけだ。ただ、意図的に京都と新潟はリストからはずされていて、その後、広島と小倉が爆撃目標から除外される。もちろん原爆投下予定地になっていたわけだ。

作戦は、岡山市の中心部が狙われ、B29が138機飛来。半径1.2キロの目標の中でもっとも犠牲者が多いように中心地が定められる。午前2時43分から午前4時7分まで84分間行われ、1743名以上が亡くなる。

現在の岡山市の地図と重ねると岡山駅と岡山城の中間点が目標になっていたことがわかる。
あくまでも、「資料室」と館の名称も中立的に表現しているが、加害者と被害者がはっきりしていることを、記念館として残すというのだから、なかなか微妙なものである。
戦後明らかになった米軍の作戦だが、3月の東京大空襲のあと、100万人以上の大都市に次々に空襲が実行され、さらに次の目標として全国の都市を人口の多い方から順に爆撃が計画される。岡山もそういう順番の中に組み込まれていたわけだ。ただ、意図的に京都と新潟はリストからはずされていて、その後、広島と小倉が爆撃目標から除外される。もちろん原爆投下予定地になっていたわけだ。

作戦は、岡山市の中心部が狙われ、B29が138機飛来。半径1.2キロの目標の中でもっとも犠牲者が多いように中心地が定められる。午前2時43分から午前4時7分まで84分間行われ、1743名以上が亡くなる。

現在の岡山市の地図と重ねると岡山駅と岡山城の中間点が目標になっていたことがわかる。
あくまでも、「資料室」と館の名称も中立的に表現しているが、加害者と被害者がはっきりしていることを、記念館として残すというのだから、なかなか微妙なものである。
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