徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

41年前の園瀬川鉄橋

2009-11-08 23:04:04 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

ついこの前ですが

毎朝乗っている高崎線の211系にシングルアームパンタが付いているのに気がつきました。

早速ネットで調べてみると

もうだいぶ前から装備が進んでいるそうで、

元・中央快速の201系廃車発生品の流用だそうです。

もう5年以上昔の事ですが

首都圏が大雪に見舞われ帰宅時間の交通機関が大混乱したことがありました。

すし詰めの乗客を乗せたまま多くの電車が駅間に立ち往生したんですが

原因の多くがパンタに付着した雪の重みで離線したことによるそうです。

こういう意味では高崎線への転用は良いことですね。

高崎線の211系とは20年来の付き合いですが

高崎・宇都宮線と東海道線の直通運転が開始される3~4年後までは活躍するでしょうね(小生の定年と同時期・・・)

さて、

今週は一日休みだったので家のことに追われてNは手つかず。で、

久しぶりに昔の写真を。

S19680000_09

牟岐線、二軒屋-地蔵橋間にある園瀬川鉄橋を渡るキハ20+キハ11です。

撮影は1968(昭和43)年だと言うことははっきりしていますが月日は不明です。

草木の感じからして今頃の時期かと思い取り上げたんですが

考えてみると春先かもしれません。

当時は蒸機ばかり撮っていたのに稀に使った貴重なカラーフィルムで

よくぞ気動車を撮っていたものだと今頃感心しています。

たぶん時間を持て余していたんではないでしょうか。

しかも急行でもなく希少なキハユニ15でもない普通列車を撮ったところをみると

キハ11が少なくなってきていたんでしょうか。

小生の持っている資料では

キハ11が初めて徳島に来たのは1957(昭和32)年の3両。この頃はキハ17が12両も居て主役だったようです。

小生が写真を撮り始めた頃は既にキハ17の姿はなく、この写真を撮った1968年には先に記事にした通りキハ45の配属が始まり主役は36両も配置されていたキハ20でした。

キハ11は7両配置ですが、5年後の1973(昭和48)年の資料ではキハ45が3倍以上の19両になったのと引き替えにキハ11はゼロになっています。

キハ11等のキハ17系は1955(昭和30)年の登場ですから、この当時まだ20年経っていません。キハ20初期型とは1年くらいしか違わないんですが

たぶん接客設備があまりにも貧弱だったことが理由ではないかと思います。

写真で隣に写っているキハ20と比べると車体の大きさの違いがまず目に付きます。

エンジンは同じDMH17系で出力もほぼ同じですがキハ11はナハ10に始まった車体軽量化技術が応用される前だったので軽量化のために小断面車体になりました。

それだけならまだしも、車内の座席は通路側さえ肘掛けがなくシートはビニールレザー張り、窓枠は木製だったと記憶しています。

台車もDT19という、軽量化のためコイルバネを厚いゴムで代用したゴツゴツとした乗り心地の物でした。

こんなわけで四国では17系は早々に荷物車の種車になっていきましたが

10年以上経って福岡に転勤してみると未だ筑肥線で走っていたのには驚きました。写真撮っておけば良かったんですが、ちょうど鉄を止めていた時期で惜しいことをしました。

最後に同じ場所で撮ったC11を。たぶん同じ日だと思います。

S19680000_02

増炭板の形状から137号機と特定出来ます。回送列車ですが、オハフ61の窓で木製の日除け鎧戸が降りている所があります。今考えてみるとほんとに良くできた、且つ手のかかった装備だったと思います。眩しい、しかし今のようなビニールの日除けでは風が入って来ない。冷房の無かった時代この鎧戸は必需品だったのでしょう、ローカル専用の鋼体化客車にさえ装備されていましたから。

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6 コメント

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園瀬川橋梁は、 (ごっさん)
2009-11-12 01:48:08
園瀬川橋梁は、
昔住んでいた家から徒歩10分ほどだったので、
よく撮影に行っていました。
あ、今日は夕焼けが綺麗に出そう・・・、
って時に、です。
当時は、既に「文化の森駅」が完成し、
殺風景になり始めておりましたが、
今では、このガーター橋もなく、
コンクリートの橋になってしまい、
ますます殺風景になってしまいました。
まして、川の南岸には道路まで建設中ときてまして、
帰省する度に景色が変わりつつある場所です。
返信する
ごっさん様、返信遅れてスミマセン。 (南東風)
2009-11-15 23:22:53
ごっさん様、返信遅れてスミマセン。
あそこにバイパス道が計画されているのは聞いたことがありますが
ついに着工されましたか。
数年もすれば、いくら解説を付けても場所がわかってもらえなくなりますね。
ところで貴ブログで拝見したリコーのユニットカメラみたいなのを
早速ヨドバシのHPで見てみましたが
初期投資は一眼レフと同じ位。
ボーナスが減らされる今冬はPCの買い換えに続き作業部会で廃案とされました。
返信する
下記に、このページへのリンクを張りました。 (スロー)
2011-06-02 14:18:13
下記に、このページへのリンクを張りました。
http://wiki.livedoor.jp/slowslowtrain/d/%cc%b6%b4%f4%c0%fe%b1%e0%c0%a5%c0%ee%b6%b6%ce%c2?wiki_id=69480
返信する
スロー様、大量にリンクありがとうございます。 (南東風)
2011-06-02 23:37:28
スロー様、大量にリンクありがとうございます。
今回は橋の特集ですか・・・
返信する
徳島のキハ11や17 (小松島の武)
2018-01-31 21:37:15
徳島のキハ11は35、36,37の3両が配置されていて内1両が客車の更新修繕のように更新されて後に伯備線へ転出したような記憶があります。キハ17は291と292が福フチより転入したのが始めと記憶してます。キハ20は当時の国鉄四国支社長矢山支社長が待たずに乗れるフリケンシーで1両でも走れるようにキハ20を徳島に大量導入して、助手席側に前面方向幕も取り付けていましたが、その頃か?徳島気動車区になったのは?、その頃だったのかキニ05やキユニ07が登場したのは?歳と共に記憶が薄れます。貴殿の写真や研究に恐れ入ります。脱帽、実に私が無精物だったか反省の数々です。
返信する
小松島の武さまへ (南東風)
2018-01-31 23:06:34
引き続きコメントありがとうございます。
どれも興味深いお話しで
驚きの連続です。

徳島の御大の問い合わせると
「小松島の武」様は筋金入りの鉄だそうで。
貴重な写真もお持ちの様ですから
次回帰省の折に
直接お話しが伺えればと思っています。
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