徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

GWの乗り鉄2009年

2009-05-31 21:44:38 | 乗り鉄と帰省の道中

あと数時間で5月が終わってしまいます。

鮮度が落ちないうちにGWに千葉で乗り鉄したことについて載せておきます。

切符は今回初めて「ホリデーパス」を使用しました。

内房線は木更津まで範囲で2,300円、ウチから往復買うより安いです。

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房総ローカルの主力は113系。昔、横総快速に使われていた車両のようです。

地元高崎線から転出した211系もいますが少数派です。

あちこちで国鉄型車両が人気ですが113系はどうなんでしょうか。

内部はきれいに改善されていてまだまだいけそうです。しかし

京浜東北から209系が一部手直しされて近々入線するそうです。

さて今回の乗り鉄の目的は

①小湊鉄道「月崎駅」に行く

以前、ふとネットで同駅の写真を見て模型にちょうど良さそう

(そういえば瀬戸のN化、手つかずのままですが)

ということと、「鉄子の旅」でも博物館みたいな駅として紹介されていたんで。

②久留里線に乗る

昨夏、18切符で房総各線はずいぶん潰しましたがこの久留里線だけが残ってしまいました。

どちらも本数は少ないので早起きは必須条件、平日と同じ時間に出発。

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小湊鉄道の起点、内房線五井駅です。

写真は小湊鉄道のホームから撮っています。跨線橋直結のJRから小湊鉄道へは

常設の中間改札はありませんが、GW中ということで机を並べた臨時改札が設けられていました。

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小湊鉄道の車両群。キハ20を一回り小型にしたような外観です。

窓はキハ20タイプとその後の国鉄車両に見られた外ハメ式の2種あります。

切符は「往復より得ですよ」と女性車掌さんに薦められて一日フリー乗車券、1,700円也を購入。

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五井から乗ってきた列車が月崎駅を発車していきます。

一両増結した3両編成で、ほとんどの駅で1両ホームにかかりませんでした。

ドア下部にあるステップの明かり取り窓、キハ20にも付いていましたね。

ついに五井から座れずじまい。大方は養老渓谷に向かうハイカーの皆さんですが鉄らしい方々も結構いました。

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まずは月崎駅駅舎全景。同社のHPを見ると各駅とも同じデザインの様です。

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昔は有人駅だった名残。無人ですが結構きれいに使われています。

名前の入った小学生の作品なんか貼ってあるのが効果あるんではないでしょうか。

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お目当ての駅構内。さっき乗ってきた列車が終点の上総中野で折り返してくるまで約30分写真を撮りまくりました。

画面右側、昔の側線に覆い被さっているのは全部桜の木です。

小湊鉄道は各駅に桜が植えられており、これと気動車を絡めた光景が同社のウリのようで

HPでも良く写真を見かけます。

上の写真の側線の状態は徳島線「学駅」に似てると思うんですが。

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駅舎横には明らかに貨物ホーム跡とわかる部分があります。

昔は3列車交換可能で貨物扱いもするちょっとした中間駅だったようです。

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とはいえ今はポイントで途切れて交換不能駅です。

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こういう風景、和みます。

宝くじが億単位で当たったら敷地ごと買い取って自分の庭にしたいです。

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このアングルでやって来る列車を撮りたいところですが

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そのやって来る列車に乗らなきゃなんないんで結局↑こうでした。

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ロングシートの正しい乗り方(但し空いてる場合に限る)。

五井から乗ってきた車両の折り返しですが丁度良いくらいに空いています。

車内でも撮ってる人はいますが、車窓からは沿線で撮ってる人の姿が視界から途切れませんでした。

東京近郊で、田植えの終わった田圃・鯉のぼり・気動車をまとめて撮れる所です。

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入り口ドアに「冷房車」とステッカーが貼ってあって、網棚を占拠して冷房装置が設置されています。

これと似たような冷房方式を昨夏、和歌山線の103系改造105系で見ました。

続いて久留里線。木更津から接続良く乗った列車は途中の久留里止まり。

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この線は今やここにしかいないキハ38とタブレットを使用する通表閉塞で有名です。

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運良くトップナンバーに当たりました。相方は1001、WCのあるなしです。

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国鉄風運転台。キハ35から主要部品を流用したからでしょうか。

そういえばWikiにはキハ35が未だ居ると書いてあったので楽しみにしてましたが見かけませんでした。

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久留里駅は2面3線、右端の保線車両留置場所は元貨物ホームのようで中心駅の風格です。

線路状態がそんなに悪くは見えませんが非常にノロくて全区間徐行しているような感じでした。

終点、上総亀山まで32.2㎞を65分もかけて走ります。

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沿線風景は牟岐線とどこか似た感じ、やはり埼玉とはだいぶ違います。

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終点上総亀山駅。日中列車は2時間毎。とはいえ先の月崎駅もそうでしたがツーリングやサイクリングの人が結構やってきて道の駅としても機能してるようです。

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行き止まり、終点らしい光景。

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乗ってきた列車が一時間滞留して折り返すんですが、エンジンはアイドリングしっぱなしでした。

左側の線は昔の機廻し線でしょうか。

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駅の向かい、昔は駅前旅館だったのではと思われる立派な建物。

これで首都圏のJR未乗区間は五日市線、横須賀線の逗子-久里浜間、南武支線や鶴見線の末端区間、結構残っていますが今夏18切符で制覇(の予定)。海水浴シーズンの前にひたちなか海浜鉄道も行ってみたいと考えているところです。

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「糸崎な夜」1971年8月、その2

2009-05-24 21:55:48 | 県外(糸崎、布原 ほか)

ついに関東にも、と思ったら早速埼玉でも出ました。南東風の世代には流感(=流行性感冒)です。風邪薬も「総合感冒薬」と書いてありました。1957年以前生まれの人間には罹らないそうです、南東風は余裕でクリア。ガーゼのマスクしか使わんけんッ。

先週、2時間以上かけて作成した記事をアップしようとしたら消えてしましました。こんなことがこれで二度目です。が、めげずに再作成。連載は止めません。

 

日が暮れてからの糸崎、いよいよ下り夜行がやってきます。
今回も前2回同様、ネオパンSSSを1600相当に増感現像していますが、温度管理がズサンだったのでもっと進んでいるかもしれません。

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9603レ「みやざき」19:41(名古屋→都城)、あるいは6213レ「雲仙1号・西海51号」20:12(新大阪→長崎・佐世保)の何れかだろうと思います。

その1に掲載した列車一覧で「全指」とある列車はほとんど12系です。大阪万博から一年経ってすっかり臨急の主役になっています。

600番台の列車番号は当時名古屋-九州間の列車が使用していました。

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上記列車から乗務を終えた弁当車販さんが下車しました。時間的に岡山から乗務したのではと思います。

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岡山?に帰るため上りホームに移動しています。荷物台車移動用のエレベーター使わせてあげればいいのに・・・

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次も12系。8207レ「天草51号」22:03(大阪→熊本)、あるいは6215レ「西海1号・べっぷ2号」22:45(大阪→佐世保・大分)ではないかと思います。
時間的に糸崎下車客も結構あるようです。

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ベンチの女性二人は随分長く座っていました。左に写っている洗面所が懐かしいです。弁当・駅ソバなどの給食設備と共に幹線のちょっとした駅には必ず設けられていました。

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317M「とも3号」22:12(新大阪→三原)ではないかと思います。この時間帯には「宮島」「山陽4号」の電車急行がありますが、空いているようなので次駅三原止まりの「とも3号」ではと考えました。

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同じく電車急行ですが、乗車率が良いので305M「宮島」20:40(新大阪→広島、呉線廻り)、あるいは1411M「山陽4号」21:32(岡山→広島)ではないでしょうか。
急行「山陽」は岡山発着で翌年の新幹線岡山開業で接続列車としての本領を発揮しますが、この当時は新大阪方面から宇野行き特急「うずしお」の接続を取ってあり関西方面からの利用が考慮されていたようです。ちなみに「山陽4号」は新大阪17:25発の「うずしお3号」の接続受けです。
糸崎名物の天麩羅そば売り、提げているヤカンには出汁つゆが入っています。プラスチック製の丼には茹でたそばと天麩羅が入っており、注文するとヤカンからつゆをかけてくれます。

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9219D「佐賀」21:38(大阪→佐賀)です。当夜の数多い臨急の中でも一番特異な列車だと思います。なにせ全区間中で非電化区間は鳥栖-佐賀間のみです。※2019年1月28日「古典軌条」様のコメントを受け、この列車は筑豊本線経由だと知りました。よって小生が思っていたより非電化区間はだいぶ延びます。お詫びして訂正します。この区間を直通させるため延々と架線下油を燃やした来たのでしょうか。たぶん臨急増発しすぎで車両がなかったんでしょう。

コメントを頂戴してからの勝手な発想ですが、わざわざ筑豊本線経由にするのは、博多経由にすると圧倒的多数な福岡市民に押さえられる可能性があるんで、わざとそうしたんではないかと。どうでしょうか・・・

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そんな国鉄の事情(推察)とは関係なく、全車指定のこの列車は下りのピークとあってなかなかの乗車率です。大阪を発ってから既に4時間半、かなり疲れましたが終着まではあと9時間半あります。グリーン車のない編成からして各地の予備車の寄せ集めでしょうか。全車非冷房ですが当時四国ではかなり冷房化が進んでいたのでは。

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次の停車駅は4分後の三原。この夜、当列車の他に
「みやざき」「くまもと」と行き先をそのまま名称にした臨急が走っていました。写真右に写っているのは3年間ずっと一緒に撮ってた小松島市民K野クンです。

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13日のローカル列車もそろそろ終わりです。80系も3年前に来た時には「とも」「周防」などのローカル急行に使われていたはずですが、このときはすっかり各停の主役になっていました。

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当日の昼行優等列車の最後は1009M「しおじ5号」22:21(新大阪→広島)。
駅名標を出そうとすると列車が見えない・・・

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21レ「あかつき1号」22:27(新大阪→西鹿児島・長崎)。上の「しおじ5号」の7分後に新大阪を出ますが、4時間近く走った糸崎でもその差は変わりません。PC列車としては俊足で、表定68.37㎞/h。この後、さすがにセノハチは下りでもきついのか広島着は15分差になります。

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6215レ「西海1号・べっぷ2号」22:47(大阪→佐世保・大分)だと思います。冷房完備なのに空いています。

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ホーム端の詰め所前、助役が通過監視看視する所はスポットライトの様に照明があってそこだけよく写ります。

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10レ「あさかぜ3号」22:35(博多→東京)。この頃になると東京まで上る夜行列車がやって来ます。あさかぜはこの時刻ですでに3号(博多発17:00)。この後「富士」「はやぶさ」「みずほ」と続いて殿の「さくら」の通過は0:32頃でした。

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もうすぐ13日の23時になろうというところで今回はお終いです。
以下その3に続きます。 

 

 

 

 

 

 

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あんまりないでよ!

2009-05-10 23:42:26 | まち歩き

「糸崎な夜」その2は写真整理に手間取っています。

前後の写真や列車一覧、当時の編成表等から

なんとか列車を特定しようとしています。

これがおっさんにはなかなか楽しい。

音楽でも聴きながらやってると時が経つのを忘れます。

で、

先日、テレビ東京「ガイアの夜明け」で

ホンの一瞬紹介された「徳島物産販売店」の話を。

以前から虎ノ門の徳島県東京事務所にある物販店では

フィッシュフライをはじめとする特産・名産が手に入るらしい

ということはわかっていたのですが

調べてみると、なんと土日休日は休業・・・

平日昼間に出歩ける職務ではないので諦めていました。

北海道、東北各県や宮崎・沖縄などは都心に立派な店を構え

マスコミでも盛んに紹介されて土日は賑わっているというのに。

ところが

今回、業界初!としてコンビニの軒先を借りて展開するという

快挙で先の番組や同局のWBSにも取り上げられました。

そんなわけでGW最中の出勤日に思い立って寄ってきました。

Sts290051

Sml_ts290052

ケータイの写真です。

場所はメトロ日比谷線神谷町駅から徒歩5分くらい。

上の写真の左手奥には虎ノ門パストラルや

ホテルオークラがある辺りです。

GW中の夕方なので閑散としています。

店内も雑誌を立ち読みする若者1名のみ。

入り口から最奥道路よりの平台に徳島物産が

並んでいました。南東風が知っているのは

うず芋くらい、せっかくなのでそば粉かりんとうというのを買ったんですが

店は正直ちょっと期待ハズレ。

眉山下の「あるでよ徳島」の半分くらいは欲しいところですが

コンビニの中じゃ無理か。

そもそもコンビニとのコラボは経費削減が主眼だそうなので。

愛用しているすだちマヨネーズなら

有楽町・交通会館内のむらからまちから館で手に入るし。

そういえばコンビニの冷蔵ケース覗くの忘れてました。

フィッシュフライもあったのかもしれません。

また今度寄ってみます、気が向いたら。

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「糸崎な夜」1971年8月、その1

2009-05-06 22:39:42 | 県外(糸崎、布原 ほか)

一昨日と今日は出社してました。休日出勤は割と好きです。「ああ私は嘘でも冗談でもなく第三次産業に従事しているんだ」ということを実感出来ます。
3日は千葉に乗り鉄、今度掲載します。

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いよいよ糸崎1971(昭和46)年8月ですが、実は大変なことがわかりました。
既に過去2回、’68・’69年の写真を掲載していますが、そのきっかけとなった昔の鉄道ファン誌に載っていた「糸崎の夜」、今度図書館で見てみようと思い何年何月号か検索してみると1963年5月号でした。小学校高学年の記憶だったようです。
問題はその「糸崎の夜」の作者が畏れ多くも「鉄路100万キロ走行記」著者の宇田賢吉様であったと言うことです。
知らぬこととはいえ大変失礼を致しました。’63年といえば氏が糸崎機関区に配属されて5年後、まだ20代前半の時。こんな早くから鉄道ファン誌と関わりがあったとは知りませんでした。
で、私の方は一字ひねって「糸崎な夜」とさせていただきます。

S7187
この回の糸崎行は鍜治屋バラ銭(だめじゃんATOK)を撮った翌日、
8月13日夕方から14日朝まで。
呉線は既に電化され布原はパニックになっていたこともあって糸崎に直行です。
岡山から乗った「山陽3号」の糸崎着17:23から翌朝6:17発の「とも1号」で帰るまで約13時間を糸崎で過ごしました。
この間、当夜糸崎を上下した列車を図書館でコピーした当時の時刻表から一覧にしてみました。
S_3

S_4
見えますかね、エクセルをJPEGに焼いたんですが・・・時刻表には発時刻しかないので着時刻や通過時刻は前後の列車から割り出した想定です。お盆のピークなので臨時列車が最大限運転されています。6000代の季節臨、8000代の設定臨、9000代の挿入臨と総動員です。(7000代は当時「集約臨」だったかな?)新幹線開業前、幹線の旅客輸送を担っている在来線の凄さを感じます。

 

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下りホームの尾道方から三原方を望んだところです。左手奥が機関区でその先には糸崎港があります。正面に見える煙突は日本セメントの工場だと思います。宇田氏の「鉄路100万キロ~」には日本セメントと三菱重工の工場への引込線があってC50が入れ換えをしていたことが書かれています。三菱三原はタキ43000の銘板に見られます。

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同じ下りホームから逆に尾道方を望んでいます。荷物車を含めると最長15両だった15両超の列車もあった当時、これに対応する長大なホームですが、跨線橋の位置は三原方に偏っています。
跨線橋の階段下に怪しい扉が見えますが、荷物台車を横持ちする地下通路に続くエレベーターの入り口かと思います。とすると、この跨線橋が三原方に偏っているのも合点がいきます。当時、山陽線列車の荷物・郵便車は下り方先頭に連結されていました。

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4番線を通過中の下り「しおじ」、72号か3号かわかりません。元パーラーカーも当時はクロハに格下げされていたはずです。「うずしお」や「ゆうなぎ」にも運用されていたので宇野でも見たことがありますが、その当時はまだ151系で時刻表に「展」の表示がありました。それにしてもデカい窓です。

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同じホームの先端で下りEF58。宮原区の所属ですが、正面窓のツララ切りや汽笛カバー等の耐寒装備からEF65-1000番台に追われて上越線からの異動と思われます。ドア横のハシゴの形状に2種類あることを最近知りました。
この列車は続くネガに

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2号車にオロネ10が写っているので
大阪発西鹿児島行き201レ「しろやま」だと思います。この列車、大阪発は15時ジャスト、終着は翌朝7:49です。大阪を4分後に出る9603レ「みやざき」を(名古屋→都城)を28分引き離しています。
当時、尾張一宮周辺には繊維関係の工場が多く、女工さんの帰省のため名古屋発九州各地行きの臨急が必ず設定されていました。

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上の写真は荷45レ(汐留発東小倉行き)の到着だと思います。着は19:04(たぶん)ですが、まだ明るいです。調べてみると、広島地方の8月13日は日の入り19:00です。当たり前ですが西に行くほど日の入りは遅く、昔暮らしたことのある福岡では夜8時でもこれくらいでした。(そのかわり冬は朝7時でも車はライト点けてました)

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やっとホームに灯が点りました。電車は73系だと思いますが、黄緑だったかオレンジだったか派手な色だったと思います。

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手前ではまだ荷物列車から降ろした荷を整理しています。すっかり暗くなって夏の宵の雰囲気、時刻は20時頃。
これから下り夜行列車のラッシュが始まります。期待が高まります。

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列車を待つ家族連れ。私は長距離列車に乗る前、目的は何であれワクワクします。
以下「その2」に続く・・・

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