徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

五千番台列車に乗ってみたけんど不明

2022-03-27 21:59:16 | 徳島で


東京にも負けましたが、先日やっと開花宣言。小ぶりなカンジのこの桜は


昔の裁判所の桜が残っとんです。クルマに囲まれてますが残って良かった。


21世紀に、それも欧州で侵略戦争が起きていて、しかも誰もそれを止められないとは・・・我が国の近所も物騒なことするとこがあるし心配です。


徳島は割とパン屋さんが多いと思います。一斤千円近い高級食パンを売る店も増えました。確かに美味しいんですが、高いんでしょっちゅう買えるわけでない。普段食べる食パンは今のところこちらのが気に入ってます。ここに限りませんが、街のパン屋さんは早めに行くとパンの耳を売ってます。これが揚げてもヨシ、チーズを掛けて焼いてもヨシで重宝してます。例の戦争のせいで小麦の値段が上がるそうで困ったもんですよ。


ラーメンもひとつ。元の両国ロータリー近くに去年出来た店で、「昔ながらの」と言う文字に釣られて入りました。二階や地下にある店は中が見えんので入るんを躊躇いますがね。やっぱり徳島ラーメン。そう言えばラーメンの原料も小麦やなぁ。


この右斜め下辺りに以前市役所裏で人気のあったカレー屋さんが店を出してます。店名は同じですが、店の造りや値段はだいぶ変わりました。同じ人がやってるのかそのうち確かめて来ます。

今改正で出てきた五千番台の列車とはどんなもんなんか乗って来ましたが、結論から先に言うと未だようわからん。


徳島では早咲きの蜂須賀桜が満開頃でしたが、早起きはまだしとうないんで徳島線の5444Dの石井-徳島間だけ乗ることにしました。石井駅で5444Dを待ちますが、先に特急の通過があります。


つい最近まで有人駅だったんです。大きな楠?や昔ながらの煙突状臭気抜きを備えた立派な木造便所、そして屋根付きの由緒ある跨線橋も完備。


剣山が到着。線形は1500が停車中の2番線の方が良いんですが、停車して客扱いするんでポイントを渡って改札前の1番線に入線。


数名の乗降がありました。徳島線の特急はこの先蔵本にも停車します。


特急を牛島で待避していた5444Dが来ました。注目は貫通扉上の方向幕で、ワンマン列車なら「ワンマン 徳島」と表示されるんですが、ただの徳島行きになってます。

結構混んでたんで車内の写真は無し。
ワンマンではないので全部のドアが開き、どこからでも乗降出来るようです。
で、車掌さんが乗ってるのか確認したかったんですがわかりませんでした。私が乗って来た列車から特改要員の様な方が降りてこの列車に乗り込みました。ずっと運転台に居た様なんで指導員の方かもしれません。
発車直後の案内放送で何と言うか聞こうと思ったんですが、丁度加速中でエンジンを噴かしてる最中で聞き取れませんでした。

支部長から聞いたハナシとも併せて想像するに、ワンマン列車の変形みたいなカンジでしょうか。
車掌は乗務しておらず、運転士は従来のワンマン同様にドア開閉も行いますが、全扉を開閉するようです。で、定期券や切符を持ってる乗客は運転台直後以外の扉から乗降可能。無人駅降車客で切符も定期券も無い者は従来通り運転台横の精算機で支払。と、こんな感じではないでしょうか。

こうすると、無人駅間相互で利用する者は無賃乗車が可能ですが、そこは利用者の良心に任せるようです。昔の東急目蒲線や池上線もこんな風だったと思います。定期券以外の利用者は発駅か着駅のいずれかが有人駅と言うケースが大半だと思います。目蒲線や池上線の場合は、それまで有人改札だったのを無人化したんで運賃取り漏れより人件費削減が上回るんで効果があったんでしょう。
じゃあ、前から無人駅だった四国各線で実施する効果は?と言うことになりますが、一つは運転士の負担軽減かと思ったんですが、車内で運賃収受も行うなら従来と変わらん。となると、やはり乗降時間の短縮でしょうか。踏切の多いローカル線で、駅の前後を交通量の多い道路が通ってる箇所は多々あります。特に通過列車が設定されてる線では、それに合わせて踏切が閉まり、駅で停車して乗降中ずっと踏切が閉じたままになるんで長くなります。学校や大きな事業所の最寄駅では更に時間が掛り、踏切前後の道路は大渋滞・・・私が思いつくのはこの点ですね。通過列車の無い牟岐線や鳴門線に5千番台列車が設定されてないのはそのせいじゃないかと思います。

踏切閉鎖時間の短縮はJR四国だけの問題ではなく、私鉄も含めた各社共通でしょうね。来ないのに待たされると「線路内立ち入り」で列車遅延を引き起こします。以前、開かずの踏切「花月園前」で撮ってる時に見てると、あそこは京浜東北線南行が鶴見駅に入線する前から閉まり、鶴見駅で客扱い中も閉まったままです。湘南電車やスカ線は通過するんで、京浜東北線だけ別設定にするのがベターですなんですが。四国の列車も運転士が踏切開閉を操作出来る様になるとええんですが、やっぱり費用と異常時の安全性の問題かなぁ。

支部長の話では改正前から試行してたとのこと。実際、JR四国のHPや駅のチラシや掲示物で探しましたが何も触れられていません。ひょっとするとまだ試行中かもです。
それと、二両目も客扱いしてました。これは大進歩ですよ。今度は早起きして始発駅から乗ってみないかんな。


ようわからんまま徳島駅に戻って来ました。この後は鳴門線に行く予定ですが接続悪く、しばらく運用観察して時間潰し。JR四国お得意の縦列停車。間もなく発車する高徳線特急の後方に早く出てけとばかりに阿南行き各停が迫ります。


1500系のバージョン違い。異端児の7次型は別格ですが、極初期の1500と隣の1553ではスカートの色が一番目立つ相違点で、外観上では他に行先表示器の場所です。もとより7次車以外の1500は嫌いですが、特に特に極初期車のツルンとしたおでこはスカートの色と相まって締まりの無い顔つきが際立ちます。


木造屋根に昭和の車両。四国の県庁所在地の中心駅でこれが揃うんはここだけ。全国的に見ても希少なはず。


さて、鳴門に着いて昼食は前回来た時に気になったこちらで。


650円の定食も二種あったんですが、看板にあったハンバーグ800円にしてみました。


可愛い店名から想像できない男性二名で運営されてました。


食後はまた線路沿いを歩いて撫養駅へ。途中の公園横で下り列車を。先日の新聞でこの直ぐ先の和菓子店のういろが紹介されてました。事前にわかっとったら寄ったんですが。


撫養駅に進入中の下り列車。この前来たとき目を付けていた所です。


逆方向でホームに入ったところ。こっちが主眼です。


県立高校の最寄駅なんで若い人が多い。新緑の季節も良さそうですが、葉っぱが茂ると使えんかも。


長閑な春の昼下がり。


駅横に残る元貨物ホーム?の跡。


昔の配線がわかりませんが、ここらも線路が敷かれてたかもしれません。


撫養駅と言えばやはり駅前の廃屋が気になります。


こちらは駅裏にある職安の駐車場。いやあ引手あまたです。


その職安の建物がなかなか絵になる。ここの便所も汲み取り式かなぁ。


支部長からは改正後鳴門線の40・47運用が増えたと聞いてたんで楽しみにしてたんですが、この日は見かけませんでした。その代わり、徳島に戻った時にこれから出発する鳴門行きが40でした。。。
さあ、頑張ってダイヤ表仕上げんといかん。



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鮎喰川の向こうへ

2022-03-20 21:33:18 | 徳島で

池谷幕も残ってました。。。
今改正で鳴門線内折り返しは全廃と早とちりしてました。土休はウヤですが、特別快速とも言うべき(線内全駅通過)953Dが改正前のままでした。
先日、御大の支部長から伺ったハナシでは、徳島線の40・47運用が消滅した代わりに鳴門線で増えて並びが見られるとのことでした。これは季節が良くなってからの吉野川~池谷辺りでの撮り鉄が楽しみですわ。


さて、一気に春の気温。さあ、これで明け方の気温が10度越えてくれるとありがたい。
徳島ではコロナは高止まり状態ですが、マンボウ適用されていた都会も来週には解除される見通しで、やっと貨物列車が撮れる様になるなと期待してます。改正も過ぎたしダイヤを整備せなアカンなと鋭意作成中。
四国では宇多津以西に65が入らん様になったんが話題です。以前はトンネル限界の関係で桃太郎は入れんと聞いていたんですが、最新の記事では松山方面の運用はJR四国運転士に委託してたんですが、これを解約したんで桃太郎にしたとありました。JR四国の運転士に桃太郎運用して貰うには講習が必要なんですね。とは言え、数少ない運用にJR貨物社員を貼付けるのも合理的ではないと思うんですけど。


元の東署跡地がすっかり更地になりました。端の方にちょっとだけ警察車両が駐めてあります。こうしてみると千秋閣の立体駐車場が異様に大きい気がします。中央奥の旧・徳新本社やその右側の旧トモニプラザも解体中。


ほぼ同じ場所の54年前。手前では寺島川が埋立て中。アンテナ鉄塔が建つ徳新本社ビルは市役所が旧庁舎の時代からあったんです。

やっと本文。

徳島線の鮎喰川鉄橋の先に行ってみたんですが。


先ずは192号の上鮎喰橋を渡って鉄橋袂へ。上り列車を待ってると7次型が来ました。


今度は徳島方向を向いて下り列車を。以前、向こう岸で撮ったときに分かっていたんですが電線が邪魔です。線路の反対側なら眉山も入ってエエかと思いますが、こんどは逆光になるんですよ。


この日の目的は車窓から見えた田んぼ風景の確認なんで、線路沿いに池田方向へ。


さっきの7次型が徳島で折り返して川島に向かってるようです。手前の田んぼは良いんですが、背後が住宅地で、かつ逆光です。


線路と反対側は広々と開けて良い感じなんですがねぇ。左はゴミ焼却場の煙突。この送電線は池谷の所に続くヤツだと思います。


なんと4両編成が来ました。改正後の449Dでしょう。改正後初撮影なんんで常態かどうかは不明です。


改正時の移行運用かもしれません。そう言えば、前回書いた五千番台列車の確認をしたいところですが、早朝や夕方の列車ばっかりでしばらく行けそうもありません。


アンパンマン車両を挟んだ剣山も減便ダイヤが解けました。が、相変わらずほとんど乗ってない。


線路の向こう側の直ぐ先は192号が通ってますから早くから宅地化したんだと思います。


無理矢理眉山を入れてみましたが、こっちからの山容はなじみが無くピンときませんわ。


これも長いこと間引きされてた剣山6号。徳島-池田間は高速バスもないんで存続出来てると思います。高知や松山に行くバスが池田のバスターミナルに寄るようになったら状況かわるでしょうが。


7次型が川島から戻ってきました。徳島と川島で各々15分前後の折り返しで往復運用。


この後、未だ行ったことの無い府中駅まで行ってみようと移動しましたが、農地が宅地化された地域のアルアルで袋小路が多く難儀しました。


ここ10年くらいで急速に改築?が進むJR四国タイプの駅と言うよりは停留所化。15~17番札所への最寄駅ですから便所くらいはほしいところですよ。


これで「こう」と読めるか。


全然地球にやさしくないタイプ。気動車の他には、貨物駅のフォークリフトも負けてはないですね。


一線スルー駅で、交換が無ければ上下共一番線利用。跨線橋が屋根無しなんで安っぽいカンジです。


反対の池田方。どっち側も撮るには向いてないと言うことが分かりました。


少し駅から離れ、眉山を入れてまたまた7次型。


今日は何回撮ったんだろ。


手前に田植えが進んでも、逆光な上に背後がこれでは使えん。向こう側から田んぼを背景にして撮れたらええんですが。
以上でこの地区のロケハン終了です。
冒頭に書いたように、徳島線では40・47の運用が無くなったそうで、こっちに来る回数は減りそうです。

 

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川島の先で場所探し

2022-03-13 21:42:42 | 徳島で

大坂峠を越える普通列車は残ってました!
新しい時刻表を確認したらちゃんと残っとる。私の早とちりでしたわ。
大宮駅の発時刻で比較すると、下りは
旧ダイヤは
07:14,08:31、12:05,14:30,18:37、20:18、21:18、22:43
新ダイヤでは
07:15,08:30,13:12、18:36、20:26、21:22、22:44 と一本減。
上りの旧ダイヤは
06:20、06:37、07:34,11:04、13:56、16:42、19:16、21:34
新ダイヤでは
06:24、06:37、07:34、13:24、16:41、19:16とこちらは二本減。
いや、ありがたいですわ。もう大坂峠はクルマがないと撮りに行けんのかと諦めてましたから。

もう一つ、新しい時刻表で気付いたことに5千番台列車の登場があります。
私は改正時しか時刻表買わないんで、既に旧ダイヤで出ていたんかもしれませんが・・・
JR四国では4千番台がワンマン列車で、二両以上の編成でも二両目以降は締切り扱いでの上、無人駅ではドア開閉から運賃の収受まで全て運転士一人で行う後ろ乗り前降りの列車です。4千番台は新ダイヤでもありますから、これは従来通りなんでしょう。今度の5千番台は新しい方式のワンマン列車なんでしょうか?JR四国のHPを見てみましたが情報は見つけられませんでした。これはいっぺん乗って確かめるしかなさそうです。

ここからやっと本文。


この日も10時頃の列車でゆっくり出発。構内ではコロナ間引きでレイオフ中のニーロクや185がたむろ。この時、185が前より多いのに気付いてれば後で待ちぼうけすることはなかったんですが。


乗ってきた穴吹行きはなぜか川島で3分停まってるんで穴吹方の踏切に先回りして撮影。


その踏切から構内を望みます。川島は特急停車駅なんで一線スルーにはなっていません。


隣の学駅方向に線路沿いを歩いて行きます。早速よさげな場所が出現。


せっかくですから暫く待って上り列車を。


柵が無くてこんだけ線路が近いのは珍しい。


更に川島小学校の横を抜けて開けた所へ。この辺が車内から見てええなぁと思った辺りだと思います。


南側が直ぐ山で良い感じなんですが、当然逆光です。


この直線区間はなぜか線路は盛り土区間になってます。地図で見ると、山から細い川が何本も吉野川に流れ込んでるんで洪水地帯なんかもしれません。


学駅方向。家は結構多いんですが、瓦屋根のお宅が多くて良い雰囲気です。


山際にも立派なお宅が並んでます。後ろの山も新緑の頃が楽しみです。


小さな鉄橋。敷地橋梁と書いてありました。


どこがとは言えないんですが、何となく高徳線や牟岐線とは違う雰囲気です。


手前は大根畑。「おねば」と言うのは徳島だけみたいで、検索すると米を炊いたときのネバネバした汁とかって出てます。徳島で「お根葉」で、間引きした大根の芽。これの漬物とチリメンジャコ、さらにスダチがあればご飯はなんぼでも喰えます。


当初の予定では線路沿いに学駅まで歩くつもりでいたんですが、この辺でまだ半分も来てないし昼飯のこともあるんで引き返すことに。


川島小学校の方に戻って来ました。


川島までは半時間おきに列車がありますが、その先の穴吹行きとなると一時間置き。池田行きは三時間に一本くらいです。


ここで情弱が露呈。以前からコロナ間引きで剣山一往復が減されてるのは承知してましたが、この日徳島12時発のヤツが来ん・・・週末はアンパンマンも組み込む列車で、そのためにうずしお一往復を185で残してるくらいですから、まさか追加間引きされてるとは夢にも思ってませんでした。


田植えの時期が待ち遠しい場所ですが、ここの田んぼは去年刈り取ったままになってますね。今年は田植えするんか心配です。


さて、昼食は地図で見つけた鴨島方にある蕎麦屋に行こうと決めていたんで川島駅前から国道を目指します。遠くに見えるのは川島城。


趣のある旅館も残ってました。が、営業してるかどうかは不明。


蕎麦屋の方は192号の阿波吉野川警察署先の橋本系。


由緒正しき蕎麦屋の風情、棕櫚竹は必需品。


生そば一半を注文。橋本系は新町橋・西新町・富田町に次いで4カ所目になります。こちらの店はその名の通り川内に本店?があるようです。


食後は蕎麦屋の国道を挟んで反対側にある八坂神社境内を抜けて坂下にある踏切へ。


踏切から東を望むと鴨島の病院が見えます。あそこは確か元・鴨島の遊園地だったとこだと思います。


おやつの時間に帰宅する予定なんで駅に戻ります。頭が出てるのは高越山か?


駅裏で上り列車を撮ってみました。後ろの山は良い感じですが電柱を躱さんといかん。


川島止まりの列車が到着。折り返し列車は三番線に入ります。


折り返しの徳島行きで引き上げました。

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小松島で線路探し

2022-03-06 22:00:45 | まち歩き


感染が衰えないまま3月に入ってしまいました。春よ来い、ですね。
今回の昔の写真は地蔵橋駅に進入する小松島発穴吹行きの列車。徳島まで回送で、徳島から425レだったと思います。右手にあった小さな山はすっかり崩されて今は団地が出来ています。


3月はお遍路さんのハイシーズン。密になることはないだろうし、温うになるとどっか出掛けたくなりますね。残念ながら行きたいところはマンボウ延長が決定みたいです。



この季節では良い風景はあんまり望めんし、近場は撮り飽きました。で、前からいっぺん行ってみたと思っていた小松島へ。臨港貨物線の線路痕跡がないかと探ってきました。
今回の探索には南小松島小学校「タイムトラベル小松島」様のサイトにある地図を参考にさせていただきました。お礼申し上げます。


旧・小松島線の起点だった中田から。マンションの手前にホーム屋根があるんですが、わかるでしょうか。


この日は陽射しは良かったものの、遠くの山には雪が残る寒い日でした。


車窓からも気になっていた建物は日の峰神社らしい。


右は南小松島に向かう今の牟岐線。左の遊歩道が元の小松島線で、ここを進んで小松島中心部へ向かいます。


忽然と現れるビジネスホテル。いつ頃出来たんだろか。


この中継信号機はここにあったかどうかは分かりませんが、多分本物。


日赤病院が見えてきました。蒸機を撮りに来ていた頃は、日赤病院はずっと日の峰寄りにあり、今の病院の場所は東洋紡績の工場でした。


日赤病院前の交差点から今のステーションパークの方を見ています。横断歩道の先辺りに転車台や機関庫があったと思います。


ステーションパークのC12。小松島に居たC12は82と163だったんで、こいつはどっか他所から持ち込んだんでしょう。


ステーションパークを二分してる通り、丁度この辺に踏切があったと思います。正面が新港、左手のC12が置いてある辺りが元の機関区で、右側の狸の広場が本駅あった所だろうと思います。


ステーションパークの先で神田瀬川河口に架かる八千代橋。昔はこんな橋なかったなぁと検索したら平成3年完成だそうです。


河口から千歳橋の方を見たところで、川沿いが一条通になります。この写真の直ぐ右手にリゾート旅館ニューみはらしと言うのがあります。


左に曲がると八千代橋。左の白い建物は仕出し料理屋で隣がニューみはらし旅館です。正面の赤茶色建物辺りが本駅のあったところだと思います。昔々は左の旅館と料理屋の前付近まで河口が切り込まれていて客船乗り場だったはずで、本駅で船車連絡していた様です。切り込まれていた部分(左側の駐車場一帯)は八千代橋建設時に埋め立てられたんかなぁ。


八千代橋の袂から海の方を見ています。左側の建物は水道関係の施設のようですが、昔は貨車の検修施設があった辺りだと思います。


左側の石油タンクは昔からこの場所にありました。


左が八千代橋。右の道路は昔線路が敷かれていた部分だと思います。何か痕跡ないかと探しましたが見つからず。


突端にある小松島みなと交流センター。小松島に発着する船がフェリー化された時にターミナルとして出来た建物で、近くで見るのは初めてです。小松島線があったときは港駅との間に連絡橋があった様です。


物産館みたいな所だった様ですが近々閉館の貼紙。ただ、聞いてると二月末が六月末まで延びたみたいな会話されてました。


帰りにチリメイリと蜜柑でも買うて行こかと思ってましたが、その後すっかり忘れてました。


道を挟んだ向かい側。小松島でたらいうどんが食べれたんや。


建物裏の元フェリー桟橋は巡視船の係留場所になってました。この辺は第五管区ですね。


交流センター前から西を見たところ。南海フェリーの看板も未だ残ってます。


お土産屋さんは当然閉まってます。昔はチッカとか売ってたんでしょうね。


たぶんワシントン椰子の位置は昔のままで、柵の右手に港駅の線路が敷かれていたと思います。


結局港駅辺りでも線路の痕跡はなし。新来島どっくの子会社が港内に浮きドックを据えて中小船の修理やってる様です。


和田島の旧海軍水上機基地跡にできた海自ヘリ基地。コロナ前は毎年公開される日があったようですが、今年あるんなら行ってみたいですね。


本駅・港駅共収穫無く、昼食のために街中へ移動。港町のせいか旅館が多い。


メインストリート(だった)の二条通。


今年は寅年なんでとらやさんで何か買おかと思ってましたが閉まってました。


この辺は蒸機を撮ってる頃に何度か来てるんですが記憶が無くなってしまいました。


昼食は地図で見つけた三条通のMOG食堂でと考えていたんですが、本日分売切れの無情な貼紙。まあ、既に一時廻ってたんでしゃあないなと諦め。


古民家改造飲食店としては老舗の「大正館」も寄ってみましたが、だいぶ前からやってなさそう。


で、やって来たのはこの後の新港岸壁貨物線跡探しに便利な中華そば屋さん。


50円足してネギ大盛り。麺は珍しいグルテンフリーの米粉麺にしてみました。ほとんど違いはわからんかったです。


この店の前も貨物線が通っていたと思います。


この道路の色違いなところはいかにも昔線路があったんとちゃうかと思わせますが、古い地図を見ると白い倉庫の前を画面右の方へ直進していた様に思えます。


ラーメン屋の角。緩いカーブも思わせぶりなんですわ。


この倉庫前に線路があったはず。


つぶさに探しましたが結局ここも収穫無し。


岸壁側から市内中心部の方向。タグボートが泊まってる所に昔は南海や関汽の客船が来ていたんです。


倉庫前からの道が県道17号に繋がる所。古い地図では左端辺りに貨物線の踏切があったことになってます。


道路の反対側から。左の突き当りが新港岸壁。中央の家並みの裏を線路が通っていたんじゃないかと思います。


この空き地なんかはたぶん線路敷きの名残ではなかろうか。とまあ、線路は見つかりませんでしたが、数十年ぶりの小松島を堪能して帰りました。


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