徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

鍛冶屋原線1971年8月その2

2009-03-29 23:29:32 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

今日は一時間半ほどNをいじってみました。

結局今月は模型店にも行かなかったし、今日は家人がいない時間が出来たので

シンナーの臭いをさせてもいいだろうと先ず中性洗剤で油分落とし、乾かす間に

窓にカーテンを表現する灰色の紙を裏貼りする

と、ここでもう時間切れ。家人1も帰って来ました。

しかし、Nは小さい。老眼鏡が要ります。私は元々近眼なので

老眼鏡は要らないと思っていたんですが、

遠くはもちろん近くも見えなくなってきました、トホホ・・・

さて、前回途中で終わった鍛冶屋原線の続き。

S1971081226

鍛冶屋原駅舎。ローカル線駅舎の標準タイプです。写っていませんが

右側に改札口があります。

S1971081214

線路の終端部分を望んでいます。

S1971081208

逆に給炭台からホームを見たところ。左端が駅舎です。

’67年(昭和42)年10月改正までは徳島~板野間を牽引機C12ごと

高徳線列車に併結する客車列車があったことは以前に紹介しましたが

その名残の給炭台と給水塔が残っていました。

S1971081212

このポイントで給炭・給水を終えたC12が機廻ししていたのでしょう。

この後、次の列車まで未だ時間があったので隣の神宅駅まで歩く事にしました。

S1971081249

S1971081233

道中いろんな人と出会います。地元の方は常用されているのか

草蒸した線路に獣道のように跡が残っています。

さらにこんなのも来ました↓

S1971081252

S1971081254_2

昔はちょっとした保線所には備えてあった軌道自転車。

自家用に一台欲しいと思っています。

S1971081268

神宅駅に到着。

S1971081257

S1971081270

ホーム側全景。当時、鍛冶屋原線は全線一閉塞でしたが

見たところこの駅は開業時から交換不能駅であったようです。

でも駅舎は標準的な大きさ。模型にしたい雰囲気です。

S1971081263

正面は極めて簡素な造りです。

S1971081260

駅舎内の出札窓口。右側には手小荷物窓口があり、

これらも国鉄標準な造りです。

だいぶ長くなったので以下次号・・・

おまけに3月20日(祝日)朝の新町橋から眉山を望んだ写真を。

Simg_0015

こうしてみるとコーラの看板デカいです、ウチの実家より大きいのでは。

もう一週間経ちますが、今日あたり桜も満開でしょう。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鍛冶屋原線1971年8月

2009-03-23 00:10:34 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

お彼岸に帰省していました。

遊びではないし家族が一緒で自由行動も出来ず、おまけに天気も良くない・・・

ですが、徳島に帰ったと言うことだけでそこそこ満足デス。

さて、徳島の蒸機が全廃となった後は対象を失って

しばらく鉄道写真から遠ざかっていました。

そんな中、鍛冶屋原線が近々廃止になるらしいと言うことで

1971(昭和46)年8月、蒸機撮影時代の友人と12日に鍛冶屋原線

13~14日は三度目の糸崎駅徹夜撮影、と久々の鉄道写真です。

S88

鍛冶屋原線が四国を代表する赤字ローカル線であることは

有名でしたが乗ったのはこの時が最初で最後です。

S1971081228

当日朝の徳島駅。フィルムの№1の前にある「S」のカットです。

日中はキハ30が一両で線内折り返しをしていますが

朝夕は1~2本徳島直通運用がありました。

S1971081229

キハ30の運転台から。

貨物列車が写っているので板野ではないかと思います。

S1971081230

同じく車内の様子。行商のおばさん達の荷物が見えますが

朝なので徳島市内で仕入れた魚関係ではないでしょうか。

S1971081217

終点の鍛冶屋原駅外観。駅名が写ってないのが残念です。

S1971081201

駅前から発車寸前の国鉄バス(国鉄自動車)。

S19710812130

当時のJTB時刻表では地図のバス路線が

国鉄(二重線・黒)・私鉄(実線・青)と区別されていました。

鉄道廃止後はバスが板野発着になったわけですが

上の案内板にある穴吹・市場のほかに脇町や土柱にも

運転されていました。

結局、列車からバスに替わっただけで事業者は国鉄。

駅員と線路保守費分が削減で出来たことになったと思います。

S971081225

鍛冶屋原駅舎内。ローカル線の駅はだいたいこんなでしたね。

当時は外にも内にもディスカバージャパンのポスターが溢れていました。

S1971081202

改札口からホームを望んだところ。

昔は数本側線のあったようなカンジです。

S1971081203

あらぬ所から人が現れ列車に向かっています。

頼んだわけではありませんが、

白い日傘が夏らしいお気に入りの写真です。

この時は念願の一眼レフ(ペンタックスSPブラックボディ+タクマー105㎜)

を手に入れていましたが、

当時流行していた超広角で撮った写真に憧れ

中古で買ったタクマー28㎜を使っています。

このレンズはF2.8と明るいのは良いんですが

重くて大きいのが欠点でした。

疲れているので以下次号・・・

おまけに裁判所の桜を速報。3月20日の撮影です。

Img_0019

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄書体のこと

2009-03-15 23:06:45 | その他

今週末もTVチューナー復旧せず。メーカーのサービスから

「PCIのスロットを替えると直るかもしれない」とメールをもらっていたので

メンドクサイのを堪えやってみましたが、やはりダメ。トホホです。

前回でモノクロの蒸機写真は一通り紹介したのでちょっと気分転換します。

古い写真をスキャンしていると客車についている「四コマ」の表記が懐かしく、

ちゃんと撮ってなかったのを悔やんでいます。

S1967or6806_0715

以前に紹介した写真ですが局名表記だけです。

そう思ってここ一二年、見つけると撮るようにしてたんですが

Simg_0041

土讃線のキハ32です。国鉄時代の車両ですがどことなく違います。

こちら埼玉の車両もJR化以後のJR東新製車両にはゴシック体

のようなあか抜けした文字で書かれています。

国鉄時代最後の新製車211系にはかろうじて

Simg_0025

Simg_0021

局名・形式名表記とも国鉄時代の名残を残していますが

やはりちょっと違うような気がします。

これも以前は「高シマ」(新前橋)だったんですが結局撮らずじまいになってしました。

S20080816_0014

一番良く伝統を守っている写真です。

去年の夏、関東未乗区間が集中する房総各線を18切符で廻っていた時

撮った113系「千マリ(幕張)」車です。やはり古い方が良いのか。

乗務員扉の「乗務員室」の表示も撮ってみましたが反射して失敗でした。

正直、人が多いホームでこういう写真を撮るのはいまだに勇気がいります。

この時代の車両は近場では高崎に行けば未だ115系がいるので

今度撮りに行こうかと考えています。

Simg_0042

そういえばこの手の行き先表示や「自由席」の書体も国鉄書体でしょうか。

最近はデジタル表示が増えてきたのでこれも貴重に思えます。

Simg_00123

こちらは駅の表示板。昔は普通にあった琺瑯引きの表示板も

JR東ではほとんどプラスチック製のもになってしまいました。

写真は浦和駅宇都宮線ホームにかろうじて残っている物です。

通勤途上で偶然目にして改めて撮りに行きました。

通勤沿線で残っているのはここだけかと思います。

Simg_0014

浦和駅は高架化工事の真っ最中。写真は宇都宮・高崎線用ホーム大宮方。

右手ではこれの高架ホームが工事中。左の高架は東北貨物線。と言うか

今は湘南新宿ラインの専用線となっていますが。

解体前提だったので残ったのではと考えています。

そういえば大宮の鉄道博物館に行けばいっぱい見られるはずですが、

空いたら行こうと思いながら既に一年半経過。

春休み中は無理だろうな

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全面禁煙はないだろう!

2009-03-15 00:08:18 | その他

今日最終日を迎えた「富士・はやぶさ」、スゴイですなぁ。

はやぶさには2回乗ったことがあります。

Skippu10_2

上は福岡にいた時代に東京まで利用したものです。

この数年後、東京から終点・西鹿児島まで乗り通しました。

昔、寝台車の検印は「ネ」でしたがこの時は「は」です。

はやぶさの「は」ではなく博多車掌区の「は」だろうと思います。

とにかく最近、銀河や0系と言いNHKの7時のニュースでも

トップで報道されるとは驚きです。

鉄道ファンが増えたというよりは

「昭和」を懐かしむ人たちが増えたんだろうと思っています。

本屋に行けば懐かしさで鉄道旅行をする団塊ねらいの

本があふれかえっています。

さて今回のタイトルは富士ぶさとは全く関係なく

Ts290048

この頃、駅や車内で繰り返し放送されています。

朝の7:30~9:30までの全面禁煙はいまでも行われているのに

今度は全面禁煙!

最近は路上禁煙まで実施している街がほとんで

ほんとに吸う場所がありません。

だいたいタバコ代金の5.5%は「たばこ特別税」として

旧国鉄債務(主に年金)の償却に使われています。

JR東日本さん、取るものだけ取って

吸わせないなんてあんまりだ。

せめて喫煙可能場所の案内が欲しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳島蒸機最後の日

2009-03-08 22:49:15 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

やっと3月になりました。前からご案内していた徳島蒸機最終日の様子を。

ほんとは39年前に合わせ3月末か4月1日も考えましたが

当拙ブログも開設一周年を迎えましたので良い機会かと思います。

一年続けてこられたのもお越しいただいた皆様のおかげです。

あらためてお礼申し上げます。これからもヨロシクです。

この先ネタ切れが心配になってきましたが・・・

S1970032846

S1970032847

さて冒頭2葉は3月28日だと思います。

まだ58623が牽いてイマスがこのアングルの写真は未公開だったと思いますので。

言い訳ですが一眼じゃないので電線がかぶっていても分からないのです。

S1970033166

こちらは朝の牟岐発蔵本行き列車が小松島に回送されるところを旧寺島川沿いで撮ってイマス。

ブルーバードにコロナ、ネガの日付は31日となっていますが30日かもしれません。

というのは気象庁のHPで調べると’70年3月30日、徳島は雨になっていましたので。それとも前日の雨の残りなのかな。

S1970033169

31日の牟岐線貨物、まだ練習運転が続いてイマス。

翌日からはDE10の単独運転になったはずデス。

ガードの向こうにチラッと写っていますがかちどき橋北詰のGSは丸善石油デシタ。

ここまで書き進めて困ったことが。

一体徳島の蒸気最終運転日は3月31日か、4月1日か?40年近く昔の事なので記憶がありません。

C11が牽いていた牟岐・鳴門両線の貨物はさておき

牟岐線の旅客一往復は通常夕方下った列車が翌朝蔵本まで行って折り返し(逆行)徳島まで客扱い、徳島から小松島へ回送、というパターンでした。

この列車は4月からDE10に替わることなくDC化されたのです。

ネガフォルダの日付は3月31日となっていますがどうみても4月1日ではないかと思われる写真もあり次のような仮説を立てました。

①下り牟岐行きの最終列車は3月31日で、回送の小松島出区時より飾り付けが行われてい       た。

②上記列車の折り返しが4月1日の上り最終列車であるが徳島-蔵本間はC11137が代走し、ハチロクは徳島で方転とお別れ会があった。

③お別れ会終了後、徳島から小松島への回送列車が真の最終列車となった。本来逆行であるこの列車はこの日に限り方転され正向で花道を飾った

以下はこの仮説に基づき進めていきます(違っていたらスミマセン)

S197003283109

31日、小松島からの回送が徳島に向け二軒屋を出るところだと思います。

タイヤの白塗りや飾り付けが見えます。

S1970033171

S197003283111

31日の下り最終列車は結局園瀬川鉄橋と犬山踏切の中間くらいで撮影(現在の文化の森駅地蔵橋方)。

ここで撮っていたのは私一人でした。足繁く通った場所ですがその後行ったことがありません。今はどうなったのか、時間があれば行ってみたいです。

S1970033141

S1970033143

一夜明けて4月1日(だと思います)牟岐から到着した列車が蔵本に向けて発車するところです。

本来は牟岐から牽いてきたハチロクがそのまま蔵本まで往復しますがこの日はC11137が代走しているようです。

C11としてもこの日牟岐線・鳴門線の貨物を牽いたか不明ですが少なくとも客車牽引はこれが最後だったはずです。

で、ハチロクは転車台で転向されて小松島方に向けられています。

S1970033115

S1970033116

最後の整備・化粧直し。

S1970033120

S1970033118

S1970033149

徳島の転車台にハチロクが載っているのを見たのはこの時が最初で最後。

鉄以外の方や県外の方もいると思いますが徳島にこれほどファンがいたとは驚きです。

S1970033152

そして小松島に向け市役所前を行く最後の晴れ姿。

回送とはいえこれが真の蒸機最終列車となったので本来逆行運転のところを転向して正面を向かせてやったのだと思います。

当初この写真は正向なので31日の下り牟岐行きかと思っていましたが、光線の具合から午前中なのは間違いありません。

S1970040164

S1970040157

蔵本から帰ってきたC11にも飾り付けが行われてイマス。

関係者だけで何か神事が行われているように見えます。

137号機は最後まで使われ私の写真にも一番多く写っている稼働率の高い機関車でしたが

記録を調べると、この年の5月付けで廃車になった後どこにも保存はされなかったようです。

この神事の続きは小松島に行ったので見られませんでした。

S1970040134

4月1日の小松島。国鉄関係者の方でしょうか、記念撮影をしています。

S1970040127

役目を終え火の落ちた8620はDE10に囲まれて肩身が狭そうです。

小松島(あるいは徳島)で蒸機を撮った最後です。

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする