徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

中洲・末広1970年夏

2009-01-25 23:55:59 | 蒸機を撮んりょった頃に徳島でな

順当に行けば今回は「徳島蒸機最終日’70年3月30日から4月1日」となるところですが、これはやはり39年後の同月となる再来月まで延ばしたいので別の話を。「Nで急行瀬戸編成を・・・」の製作記事を載せたいところですが未だ未着工。一度塗料や工具を買いに行ったのですがいっぺんに揃えるには資金も時間も足りません。「めんどくさいなぁ」という気持ちが大きくなる反面、古い鉄道ファン誌で「すばる」の編成表を見つけ「瀬戸の次はこれやなっ」と夢ばかり先行しています。

この年の3月に蒸機が無くなってからしばらく写真は止めていました。が、船も結構好きで以前から自転車に乗ってよく見に行っていました。今回は1970年6月から8月に掛けて中洲~末広港で撮った写真デス。

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先ず一枚目は牟岐線新町川鉄橋北詰の蒲鉾屋さんの前から市役所方向を望んだところ。6月の撮影で雨が降っています。貨物の牽引機は当然DE10になっています。

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上の写真は8月、かちどき橋です。県庁旧庁舎がチラッと写っています。

S197008xx30

今度は右に90度回して眉山の方を見たところデス。この付近は蒸機の撮影に随分通いました。

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さらに進んで牟岐線のガードを潜って眉山を望んでいます。新町川の護岸工事がすっかり完成し今と同じ風景だと思います。

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この写真だけは3月31日の撮影デス。このGSは、かちどき橋から立体交差まで旧寺島側沿いに走る道路と向こう側に見えるかちどき橋から徳島本町の交差点に至る国道の両方から入れるようになっていました。今の東警察署と東消防署の中間くらいだと思います。

次は今回のスキャンでの新発見写真↓

S197007xx04

中洲で撮った共正海運の待合所です。この写真を撮った記憶はすっかり無くなっていますが、なぜ共正海運とわかったかというと

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次の駒で内部を撮っていて「甲山丸」(見えるかな)という船名があります。手元に残っているJTB時刻表1967(昭和42)年10月号によると、「徳島-阪神航路」の欄に大阪-神戸-徳島、共正海運、大阪20:30→神戸24:00→徳島6:00、徳島21:00→神戸3:00→大阪6:00、運賃一等980円・二等490円、就航船「甲山丸437トン、乙女丸347トン」とあり、当時2隻で毎日運行していた様子が窺えます。同じ欄には阿波国共同汽船も同区間を下り昼行・上り夜行(たぶん一隻での運行)で載っていますが就航船の記載が無く既に休航だったのかもしれません。(小松島-阪神航路には関西汽船との共同運行で出てイマス)

子供の頃、かちどき橋に一番近いところが阿波国共同汽船、一番河口寄りが共正海運(真ん中にもう一社あったように思います)で阿波国共同は郵船に似た黒と白の船体にファンネルに赤い線が入っていて普通の塗色だったのに対し共正は薄緑というか若草色というか変わった色の船だった記憶があります。確か同社のトラックも同じ色だったはずです。

次の手持ち時刻表は’69(S44)年5月号になります。阿波国共同(共同汽船に変わっています)は正式に「休航中」と表示されましたが共正の方は神戸寄港がなくなったものの毎日夜行一往復を二隻の船で頑張っています(但し土曜休航)。一方、徳島フェリー(共同汽船・共正海運)による徳島-深日航路11往復・モノクラス450円が見られます。

で、’72(S47)年10月号ではついに中洲からの貨客船による阪神航路は無くなり代わって関西・共同・共正3社による徳島阪神フェリーの大阪南港3往復と東神戸5往復が出てきてフェリー化が進展しています。

私自身はこの中洲からの航路は乗ったことがありません。我が家で大阪に行くときは小松島から南海で和歌山に出て電車で難波でした(一度だけ関西汽船で天保山に出た事があるような)。たぶん船が大きくて揺れない、かつ船に乗っている時間が短いという選択だろうと思います。

以下次号・・・

コメント (4)
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二軒屋・地蔵橋1970年3月

2009-01-11 22:15:40 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

1970(昭和45)年3月の最後、地蔵橋周辺デス

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先ずは26日、二軒屋を発車して徳島に向かう牟岐発522レ。早起きが大嫌いな私としてはここで朝日を浴びるハチロクは最初で最後だったかもしれません。

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日付が逆ですが25日、二軒屋を出て園瀬川鉄橋に向かう牟岐行き521レ。この翌日の帰りを撮ったのが冒頭の写真デス。もうこの頃は蒸機がなくなるということと春休みということで毎日のように撮りに行ってます。

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26日に地蔵橋駅に到着寸前の小松島から徳島への521レの回送。地蔵橋駅は私が通常撮りに行っていた佐古~小松島間では一番好きだった駅で、のどかな田園風景が魅力です。

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30日ですが上の写真と同じ列車が進入中。前年に無粋なホームの屋根が設置されました。

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そして徳島に向けて発車。ネガの日付は28~30日となっています。

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しばらくすると徳島で機廻しして営業列車として再び地蔵橋に到着。左の交換列車は小松島発穴吹行き425レで既にDE10牽引です。奇数の列車番号を持つ列車同士が交換するというのもこの区間の特徴デス。

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上と共に30日の撮影。地蔵橋を蒸機牽引列車が発車していくのもあと2日。58623としては下りの最終となったはずです。

S1970032609

地蔵橋を出て勝浦川鉄橋へ。機次位のオハ41が目立ちます。この客車については以前に園瀬川鉄橋のところで紹介済みですが連結位置は下り最前部と決まっていた様です。ということは翌日の上りは「フ」じゃないのに最後部だったのでしょうか、未確認です。

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汽車はゆくゆく煙は残る・・・26日ですが上の写真から4枚連続撮影した最後のカット。

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徳島駅1970年3月

2009-01-04 22:56:36 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

正月休みも今日まで、明日から氷点下の朝に起きるのが憂鬱デス。早く冬が終わって欲しいです。そういえばスキャナーを買って丁度一年になりました。徳島時代の写真は全部スキャン完了しましたがモノクロ写真は良いですね。

記事の方は徳島蒸機最後の月、1970(昭和45)年3月の徳島駅の写真を少々。

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3月27日朝の風景。右のハチロク列車は7:58着の牟岐発蔵本行き522レ、隣は8:05着の穴吹発小松島行き424レ。424レは既にDE10牽引デス。

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424レを降りた人が改札口とは反対の方に大勢歩いて来ます。徳島気動車区に勤務する国鉄関係者の出勤でしょうか。

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8:12に522レが蔵本に向け発車していきます。さすがにこの時期になると写真を撮っている方が何人かいます。徳島にもファンがいたのがわかりました。

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振り返って佐古方の出来島踏切。朝なのでこちらが順光デス。ブルーバード(P410?)が横断中。

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こちらは29日の同じ列車デス。この日も写真を撮っている方がイマス。そういえば南海大食堂には一度も行ったことがありませんデシタ。

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この日の発車は少し下がって出来島踏切で。この時未だ残っていた信号扱所が客車の陰に隠れてしまったのが残念です。最終列車は78647でしたが30日はどっちだったのか不明です。

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一方こちらは気動車区の風景。一年前には給炭台のあった辺りで、牟岐線貨物のDE10練習運転の準備をしています。小松島の項で書きましたが高徳線が全部DE10になってC58の折り返し整備の必要がなくなりC11が日中牟岐線貨物一往復の後、夜に鳴門線貨物一往復だけとなったので給炭台は

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撤去を前提とした小さな物だけでほとんどDE10の給油場所となっていたようです。

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先ほど準備中だった牟岐線貨物が新町川鉄橋に向かうところです。牟岐線貨物はDE10になってからもこの後10年以上、1984年まで続いたそうですから大したものです。

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Nで「瀬戸」を編成するぞ

2009-01-03 00:17:08 | 模型

新年あけましておめでとうございます

ほんとは昨日(元旦)に投稿する予定でしたが潰れていまして今日になってしまいました。本年もよろしくお願いシマス。

さて新年の抱負となるタイトルですが、以前にもちょっと書きましたが拙稿「糸崎の夜」やネットでNの記事を見ていると揃えたくなってきました。

対象は「瀬戸1・2号」35レ~36レの1969(昭和44)年10月からの編成です。理由は手元に資料があり(朝日新聞「世界の鉄道’71」)四国に縁のある列車で実際に乗ったことがあるからです。かつ、「瀬戸1・2号」は旧「さぬき」でいわゆる寝台列車、座席はロザ1両しかありません。しかもオシ16が組み込まれているのも魅力です。

’69年10月といえばヨンサントウから丁度一年後、翌年に大阪万博も控え臨時急行には12系が運用されるようになり581・583系も増発されて寝台急行も減ってきてはいましたがまだまだ夜行の主力でした。東京発では霧島・高千穂、出雲、安芸、瀬戸2・1号がほかにも急行とはいえ2桁の列車番号でした(もちろん全列車とも食堂車付き)。食堂車は他にも雲仙2号、きたぐに、十和田4往復(うち4・6号はマシ35,5号はオシ16)連結されており、一方ロネにはオロネ10・マロネ41のほか銀河1号(元の「明星」?)には個室付のマロネ40もまだ運用されており急行が輝いていた時代でした。

前置きが長くなりましたが本題の「瀬戸1・2号」の編成は宇野方よりオユ(たぶん12)・スロ54・オロネ10・スハネ16×3・オシ16・スハネ16×5・オハネフ12です。実際にNで10系寝台というとカトーから出る(出ていた)様ですがネット通販で探しても既に「売り切れ」表示ばかり。製造中止なのか、こうなるとGMのキットが頼りで幸い対象全車種が揃ってイマス。模型作りというと今から30年以上前にHOのスハネ16やオロネ10なんかをペーパーで作ったのが最後、プラモデルでさえ最後に作ったのはやはり20年以上前です。今から始めるとなると工具や塗料なんかも揃えなくてはならないし家の中に場所はないし、さらにまとまった時間がとれるかどうか・・・

と、こんな調子ではまた計画倒れになりそうなので去年の暮れにアキバに出向いてとりあえず買ってきました。

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上はGMストアで買ったオハネ12(オハネフを買ったつもりが・・・初のN購入で緊張してました)、下は同じビルにあった模型店で偶然見つけて即購入した同じくオハネ12です。こちらもカトーと思っていたら帰って見てみるとマイクロエースというメーカーでした。

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アップです。GMキットについては車種が豊富なのは凄いことだと思いますが、この10系客車については①窓ガラスがはめ込みでない、②寝台側窓の中桟が太すぎる ことにがっかり。840円という値段でこれほどの車種を揃えていることを考えれば仕方のないことかもしれませんが別の模型店で見かけたカトーのオシ17(新品)は1,500円しなかったと思います(買いませんでしたが)。GMキットも台車を付けると大差なく、仕上がりにこれほど差がでると中古でも良いから完成品の方が欲しくなります(下の中古完成品は735円)。「工作を楽しむ」状態に早くならないといけません。

でもこのマイクロエースの製品もセミグロスの車体色などなかなか良くできています。標記が北オク配置で電暖装備の2千番台というのはいただけないので技術が付いたら変更したいところです。GMキットの窓桟ですが実物は図面で見ると幅50㎜、Nだと0.3㎜くらいになります。

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糸崎で撮ったスハネ16デス。中桟は左右が別々に開けられるようになっているためで、写真でさらにそれぞれT字状の桟が見えますが非冷房時代に夏の必需品だった網戸デス。冷房化で網戸を下ろす必要はないと思うのですが下ろした状態の写真が多いように思います。さらに

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こちらの写真(たぶん「天草」)では中桟がアルミ地でなく青に塗られています。(写真は2枚とも’71年8月)

キットの中桟を切り取って別に細い部品で付けるべきかなぁ・・とはいえスハネ16なんて8両も要るし、とかオロネ10やオシ16のHゴム支持の窓はなんとかはめ込みで作ってツライチ感を表現したいなぁ、窓周りの溶接歪みも表現出来んかなぁ、等とキットを前にして夢と願望だけが膨らむ正月デス。

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