徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

市役所前&新町川1968

2008-03-30 22:51:06 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

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今回は徳島市役所から新町川鉄橋にかけてのあたりを。実家から一番近い線路がこの辺になります。市役所(旧庁舎)前の跨線橋は昔、寺島踏切があった場所です。

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右側の建物は文化センター(今はなんというのでしょうか?)左側は徳島新聞と四国放送のビルです。手前の埋め立て地は新町川と徳島城のお濠を繋いでいた寺島川が立体交差開削の土と新町川浚渫土でほぼつぶされたところだと思います。寺島川があった頃は新町川鉄橋に駆け上がる牟岐線列車が川面に写るいい場所でした(当時ハーフサイズのオリンパスペンDで撮ったネガは見つかりません)

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夏場でしかも回送列車ではケムリは期待出来ません。

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上の写真と反対側、新町川方向を見たところです。画面中央の信号塔もいつの間にか無くなったようです。右側には当時市役所の隣にあった東消防署の火の見櫓。左手遠景は県庁旧庁舎です。手前の線路は貨車の突放や入れ替えに使う引き上げ線ですがちょうどこの辺でブレーキを掛けるので撒砂で枕木が見えないくらいです。

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牟岐線下り521レとなる回送が小松島から到着。このあたりは現在、図書館のような建物が建ってますね。

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今度は新町川です。写真の列車は徳島から池田行き423レとなる小松島発の回送ですが、時々出区する機関車が前位に付いていました。この頃新町川は護岸工事中で以前は下の写真で自転車が走ってるあたりが川岸でした。今はこの堤防内側は駐車場と中洲市場になっています。
鉄橋の向こう側、クレーンが立ってる辺りには阿波国共同汽船や共正海運の阪神航路が発着する岸壁でした。撮っておけば良かったと悔やまれる風景の一つです。

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かちどき橋北詰から撮った写真。別の日ですが写っているのは上と同じ列車です。画面右端の四角い建物は確か水上警察署だったところだと思います。昔は建物の直ぐ裏手が川岸で小さな警備艇のようなのが繋がれて居ました。

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最後にかちどき橋の南詰め、県庁前から撮った写真。眉山はきれいですが汽車はほとんど見えません

コメント (3)
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佐古駅1968年

2008-03-23 17:27:18 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

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地平時代の佐古駅徳島方です。立派な跨線橋もあり分岐駅としての風格がありました。画面左奥に徳島のコンテナ扱い基地があり高徳本線貨物が当駅でコキ車の解結を行っていました。

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佐古駅に進入する383レ。通常、機関車次位にコキ2両を連結していました。写真のC58-59号機は私が徳島で見た唯一の門デフ装備機でした。’61年3月の配置は大分になっているのでその時分に装備されたのでしょう。

 

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到着するとコキを切り離しコンテナホームに押し込みます。本線を渡っての作業でこの間他の列車はありませんでした。

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コキの開放が終わると残りの貨車を従え終点徳島へと発車。

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田宮川の鉄橋を渡っているところです。佐古でコキを切り離すと残りはワフを入れても3~4両でした。

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片隅には入れ替え用にニチユの移動機が居ましたが動いているのは見たことがありません。この時期、勝瑞駅から四国化成や中田駅から専売徳島に引込線があり似たような入換機がまだ活躍していましたがついに撮らずじまいでした。

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珍しく早起きして撮った高徳本線下り321レです(たぶん)。徳島着8:08ですが朝に弱い私はほとんど撮ったことのない列車でした。

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田宮川を渡って佐古駅に向かう牟岐線上り522レ。下りの521レは徳島始発ですが上りだけは蔵本まで入っていました。

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上記の蔵本での折り返し426レ。列車番号からもわかるように徳島までは通勤列車として客扱いしていました(蔵本8:42→徳島8:51)。

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徳島駅1968年

2008-03-16 18:57:55 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

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’68年7月の徳島駅佐古方デス。画面中央は’66年新製のキハ45が既に配属されています。
画面左手は給炭台がありましたが、その奥の気動車区建物と城山は今もそのままです。

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給炭台にいたC58-243号機。機関士さんが「お召し機やで。これ撮れェ」と言ってくれました。
給水温め器の飾り帯やステンの握り棒に面影が残っています。ネットで調べてみると243号機は’66年4月の愛媛植樹祭において249と重連でお召し牽引の記録があり、その名残でしょうか。

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給炭台の反対側で333号機。前配置は多度津で徳島で見られたC58で唯一250W前照灯付きでした。これに重油タンクもついてればなぁとよく思っていました。

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日中、C58の牽く高徳本線下り列車は小松島に回送することなく転線・引き上げ後転向して給炭台で整備・補給し次の仕業に備えていました。

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整備の終わった121号機が給炭台を離れ上り貨物を牽いて発車していきます。

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最初の方で整備中だった243号機は326レを担当。この頃、高徳本線の上り客レは朝の322レと夕方のこの326レでした。ということはもっと昔、日中に324を名乗る客レがあったのだと思います。

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池田行き423レです。小松島の項で書きましたが、小松島発の貨物がウヤの時423レの回送前位にC11が付いて来てその徳島での様子ですが、解放されることなくこのまま発車していきそうな感じです。徳島本線上り貨物の仕業でもあるのでしょうか?徳島本線の貨物は撮ったことはおろか見たこともありません。蒸機全廃後も’86年11月まで貨物営業が続けられたそうでうが・・・

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気動車を2枚。何れもひどい逆光ですがスキャナで補正してなんとか表情が出ました。湘南顔のキハユニ15は気動車王国四国でも徳島区にだけ5と12が配置されていました。キユニ17は高松所の所属です。このころは未だ背後に見える木造の信号扱所がありました。

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今度は二軒屋方、徳島公園の前で突放中のC58-110号機。徳島のC58で唯一集煙装置を付けていませんでした(翌年装備)前配置は関西線の王寺で先の121と一緒に異動してきたようです。

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最後にレア物。軌道試験車ヤ210です。軌道試験車というとマヤ34が有名ですがこちらは3軸の「貨車」で貨物列車に連結して中級以下の路線を測定する車両だそうです。左手、城山の手前の建物は懐かしい県立図書館。右手奥には市立図書館もあった時代です。

 

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小松島1968年その2

2008-03-02 18:09:30 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

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「いしづち」キハ26です。何れもこの年が最後で10月(ヨンサントウ)では「いしづち」は廃止、「阿佐」は「よしの川」に愛称統一され徳島・小松島港間は快速になりました。「阿佐+いしづち」は池田で併結相手を取り替えそれぞれ高知と松山に向かうのですが池田では3方向から来た急行が解結を一度に行っていました。時系列に

①15:56・・・小松島港発「阿佐3号+いしづち」到着

②15:57・・・「第3南風(土佐佐賀発)+予土(高知より併結)」到着

③16:00・・・高松発「土佐3号」到着

④16:00・・・「第3南風」高松に向け発車(池田より単独運転)

⑤16:03・・・「土佐3号+阿佐3号」高知に向け発車

⑥16:23・・・「いしづち+予土」松山に向け発車(多度津からは「うわじま5号」に併結)

当時の池田駅ホームでこの様子を見てみたかったものです

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徳島行きの貨物693レ。臨港線からの貨車と客貨車区からの出場車も入ってると思われます。ただ毎日運転ではなかったようでウヤの時は下のように回687レの前位で回送されたようです。

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C11-31号機は唯一形式入りナンバーと250W前照灯を装備する徳島で見られたC11の最若番で前配置は呉です。二枚目の写真で踏み切り待ちしてるバスは右側前が黄色地に青帯の徳バス、その後ろと左側はクリーム地に赤帯の小松島市営でこちらは全面窓上の大きなひさしが特徴でした。回687レには徳島に回送されるC58も時々併結されていました。

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写真を撮ってたので煤煙サービスしてくれたんでしょうか?今なら公害問題になったと思いますが、煙の下は国鉄官舎なのです。

 

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C11-320号機です。無火回送に備え既に主連棒がはずされていますが、角形ドームやプレート先輪に戦時型の特徴が残っていました。全検が大宮工となっているように前の配置は武蔵五日市や渋川です。8月のある日693レの次位で多度津に回送されて行きましたが恐らく廃車されたものと思われます。これで徳島のC11は31、66、137の3両になりました。

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C58-12号機。足周りが見えない残念な写真ですが、C59やC62などの急客機ように大きめのテンダ、鷹取工式に似た集煙装置や重油タンクもC58には良く似合います。この後、四国のDL化が進むと多度津や高松・高知・松山の各区から100番以降が続々転入し9号機はいつの間にか見なくなりました。

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今度は奥の客貨車区。オエ61-5ですが外観はオハユニ61のまんまです。小松島線が廃止されるまでずっとこのままだったようです。配置表では他に1号もあり、徳島に居たようですが、小松島の転車台の脇に何か救援車のような客車が置いてあった記憶があるのですが・・

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最奥のワフ22000とホキ800、四の総局名表記が懐かしいです。

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こちらは東亜合成のタキ7050。東亜合成の引き込み線は勝瑞駅から出ていましたが、この車両の常備駅は吉成になっています。吉岡心平氏のHPで見ると常備駅は吉成→勝瑞→安治川口と変わったそうです。左側のワム60000、半分しか写っていませんが側が額縁様の初期型ですね。

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