天候不順が続いとんなぁ~「寒いのは今週まで、来週からは暖かくなるでしょう・・・」という予報に何遍か騙されたゎ。
最近どこにも出かけてないのでネタ切れ、困った時の昔の写真です。
今度の週末からいよいよ黄金週間が始まりますね。ひたちなか・関鉄・小湊で旧型気動車や上越線・中央線で115系を撮りに行こうと考えています。但し天気が良ければで、かつ家の雑用の合間を縫ってになるんでどんだけ撮れるやら・・・
昔、4月29日は「天皇誕生日」という休日でした。その42年前の天皇誕生日に撮った写真です。
一枚目は徳島発17:21の牟岐行き521レが市役所前を過ぎて新町川鉄橋に駆け上がって来るところです。
この列車の牟岐着は20:33。現在ほぼ同じスジの573Dは17:26発で牟岐着は19:17、一時間以上短縮されています。
牽引機は68692。遠景でピンボケなのに何で機号まで分かるかというとこの後もう少し近づけた写真があるからです。
ただ寺島川埋立の様子が写ってるのでこっちにしました。
ハエたたき、と呼ばれた通信線の電柱もまだ現役です。
ハチロクが通過してる左手の建物は自治会館(=現・千秋閣)、その後方に市役所隣にあった東消防署の火の見櫓の先端が見えます。
右手、文化センター手前の建物は移転前の東警察署ですね。小生が上京した後、この写真手前の場所に移転してくるとは当時知る由もありませんでした。
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一枚目と撮影順が逆ですが小松島から徳島に向かう521レの回送です。
場所は園瀬川鉄橋を渡り終えて二軒屋に向かう所。左手の建物は園瀬川の土手から二軒屋方を撮るとよく写り込んだ島本製作所です。
徳島に着くと機廻しするのでこの回送は逆行運転です。ハチロクのように密閉キャブではない機関車は逆行運転すると冬場は寒くて大変だったそうです。
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こちらは徳島から池田行き423レとなる列車の回送が勝浦川の鉄橋を渡っているとこです。
正向しているハチロクが本務機で逆行のC58は徳島に出区する回送でこの列車によくくっついていました。
C58は徳島-小松島間では必ずこの向きだったので小松島の転車台に乗れなかったのでは、と思っています。
423レもいつの間にかC58牽引に替わります。521レもそのうちC58になるんだろうなぁ、と思っていたら逆にC58牽引列車が先にDE化され521レはハチロクのままで徳島最後の蒸機牽引客車列車となりました。
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黄色のフィルターでもかけて撮ったのかというような写真ですがスキャン時の調整が悪かったようです。そうでなくても警報機かカーブミラーの支柱が写り込んだ酷い写真ですが写っているのがC11の139号機なので載せてみました。
C11はずいぶん撮りましたが139号機はほとんどありません。この機は形式入りの立派なナンバープレートを着けています。
毎度引用しているRM付録、沖田祐作氏による「機関車表」によると、C11-137~140は戦前の’38年3月に汽車大阪で製造され広島区に配置された後、戦後の’55年8月に揃って徳島機関区(当時)に異動してきたようです。ここまで4両一緒でしたが138号機は’61年1月付けで廃車。
よって小生は138号機は一枚も撮っていません。140号機は’68年2月に小松島で廃車、この機の写真も無いかもしれません。
この139号機も’68年7月廃車となっています。7月というのは書類上の日付で実際にはもっと前に休車になっていたと思われるので、この写真は最後の活躍ではないかと思います。
入れ替わりに31号機や320号機が小松島に転入してきたこと、137号機が徳島蒸機終焉の’70年3月まで牟岐線・鳴門線の貨物牽引に活躍し続けてたことを考えると138~140号機はあまり調子が良い機関車ではなかったのでしょうか・・・
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で、139号機をもう一枚。但しこちらは4月30日の撮影です。場所は寺島川埋め立て地から、後ろは一枚目の写真にも写ってる自治会館(=千秋閣)と東消防署の火の見櫓です。
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おまけ、本日ウォーキング中に撮りました。
満天星躑躅
(ドウダンツツジ)です、たぶん。「満天星」だけでもドウダンツツジと読むそうですが、
この満点星という字が気に入っています。由来はわかりませんが・・・
今年は寒いので桜もまだ少し残っていて蒲公英、菜の花にツツジが一緒に咲いて北国の初夏のようです。
寒くてもちゃんと新緑が始まっています。いよいよ小生の大好きな季節です。