徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

隅田川貨物駅に行ってきました

2009-11-29 21:57:43 | 鉄道施設

今日は昨日の予報がはずれて良い天気でした。

ひたちなか海浜鉄道でイベントがあってキハ20・22の復刻塗装車が走るというので

行こうかと思ったんですがどうせ混むだろうし

天気も良くないし・・・と朝寝してたんですが晴れると後悔します。

この前も新前橋で公開があって地元の電車にDD51なんかもあるんで

行くつもりでいたら朝から雨、諦めて散髪に行ったら途中で雨が上がりました。

トホホな思いをしたので次の隅田川貨物駅公開は

小雨とこの秋一番のような冷え込みの中出向いてみましたが

内容は小生にはイマイチでした。

それでも貨物駅に入れる機会は貴重です。

S20091122014

隅田川貨物駅は稀に常磐線に乗ると南千住の所でチラッと見えます。

しかし南千住で降りるのは初めて。

貨物駅というイメージからほど遠く周囲を高層住宅が取り囲み

オシャレな新興住宅地です。

S20091122013

↑なぜかドナウ。

南千住は、昔415系の頃は通過したマシタが今は特急以外停車、

メトロ日比谷線の他に今はつくばエキスプレスも通っています。

ここに住めば終日貨物列車が見られるし案外良いとこです。

S20091122060

↑南千住駅前の入り口。公開用入り口は約10分外縁を歩いた所にあり、一目で鉄とわかる方々に付いて行こうと思っていましたが要所にJR貨物職員の方が案内に立っていました。

S20091122008

S20091122010

↑途中で金網の隙間から撮影。初めて入る貨物駅に期待が高まります。

S20091122061

↑結局ここでも行列。列は部品オークションと「北海道直送野菜を百円で詰め放題」+一般観覧者の列に分かれています。写真は野菜&一般の列です。

S20091122063

↑並んで待って、入ってまた行列。昔は車扱貨物の荷捌所だったと思われる場所で

コンテナを利用した売店が並んでいます。

千円未満のグッズもありましたが今回は何も買わず。

S20091122064

S20091122066

競りに出された鉄道部品と入札箱。車輪や自動連結器には首をかしげますが

奥にある入換信号機はちょっと欲しい。しかし南東風のお気に入りは↓

S20091122065

最低価格は2万5千円だったと思います。一戸建てに住んでいたら庭か玄関に据えたい。

S20091122084

↑車両の展示は車扱ホームに据えられた金太郎が先頭に付いたコンテナ50周年記念列車だけ。

S20091122079

↑そういえば今回の公開は「コンテナ50周年」の冠が付いていました。

S20091122068

↑トップリフターやフォークリフトの運転台に乗れるとか

S20091122070

↑冷凍コンテナでマイナス25度を体感するとかもやってましたが

物販中心でちょっとがっかり。早々に諦めて周囲の写真を撮ります。

S20091122074

S20091122075

S20091122088

トップリフターで30ftコンテナの積み卸しなんかを見たかったんですが

広すぎて警備上無理でしょうね。

公開範囲はごく限られていますが見える範囲でコンテナを撮りまくり。

S20091122000

S20091122003

S20091122004

S20091122005

S20091122006

S20091122062

S20091122069

S20091122071

S20091122072

最近のコンテナは一段と華やかというかデザインされています。

Nでも通運系を中心に結構品揃えされてるようで

コンテナ貨物を編成するのも楽しそうです。

と、また瀬戸用車両が未だ一両も完成してないのに皮算用です。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青15号もどき

2009-11-22 22:53:09 | 模型

今日は寒かったです。

予報通りですが明け方の最低気温は4度、最高気温も10度を割って8度くらいでした。

南東風としては大嫌いな季節の到来です。

早く春になってくれないかな、何もする気になりません。

さて、この前GMの青15号がイマイチだと書きましたが、

ネットで見た青15号に青20号を調合するという方法を試して見ました。

S20091114005

調合用の瓶がちゃんと売られているんですね。

二つ買ってきました。

先ず、青15号2:青20号1で調合、残った青20号の半分はMRカラーのミッドナイトブルーに混ぜてみます。

早速今度組み立て予定のGMキットに塗ってみました。

S20091121061

S20091121064

光線状態が良くないので違いが判りづらいですが

下のスハネ16に塗ったのが青15:2+青20:1の調合、上のオハネ12には青20とミッドナイトブルーを混ぜたものです。

完成車体はマイクロエースのものです。この色が正しいかどうかは判りませんが

私の記憶では違和感ありません。

これと比べると、GM15号+20号の組み合わせはなかなかのものです。

一方、ミッドナイトブルー組はやはり暗すぎます。

と、ここまでは先週の作業。

今週、秋葉原でモリタの青15号を入手出来ました。

S20091121068

先々週寄ったときには品切れだったんですが入荷していました。

この際なので2瓶まとめ買いです。

下の旧客3両は安さに釣られて銭失いした結果です。

GMキットに台車を付けると軽く千円を超えるので

千円以下で使えそうな旧客があれば買う方針です。

初めて買ったマイクロエースの10系寝台4両が750~900円位で

非常に良かったので今回も買ってみたんですが正直大失敗でした。

トミックスの製品は初めてですが

車体の出来はGMキットと同じレベルです。

おまけにオハフなのにテールはレンズすら入っていません。

マイクロエースのナハフの方はちゃんと点灯します。

それにしてもトミックスのケースはずいぶんデカいです。

これを買った後、別の店でEF58(青色)とキユニ17を

何れも3千円前後で売っていました。

58は瀬戸編成が完成したとき(ずっと先でしょうが)

動かなくてもいいから先頭に欲しいなと前から探していました。

茶色や試験塗装機、青大将にブルトレ色なんかは結構見かけますが

一番ポピュラーな普通の青がなかなか無いんです。

キユニ17を置いてあった店では以前、2千円台でキハ20旧塗色(ツートンのやつ)

があって悩んだ末に買わずに後で後悔したので

オハフ33なんか買ってなきゃキユニを買ってたんですが

キハ20の二の舞になりそうです。

ところで

最近Nの工作が捗りません。

イベントもほとんど終了して時間はあるんです。

シンナー臭が嫌われるのもさることながら

最近ウチにこいつが来たことに寄ります↓

S2009112135

9月の末に女房が生まれたての子猫を拾って来ました。

無類のネコ好きの女房は過去にも二度ほど拾って来たことがありましたが

団地住まいなのでその都度即日捨てさせていました。

ところが今回は早々にトイレまで買い込んで飼う気満々。

来年寅年だから年賀状にも使えるし・・・ということで居着いてしまいました。

先月中は行動力も限られていましたが

最近はテーブルの上まで跳び上がってこれるようになりました。

模型工作には大敵出現です。

寝てる分にはカワイイんですがねぇ。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常磐線、特殊列車1202レの牽引機について

2009-11-15 21:12:03 | 本と雑誌

埼玉北部も紅葉が盛りを迎えつつあります。

桜はほぼ終わり、銀杏が真っ黄色、県の木・欅もそろそろです。

さて、仰々しいタイトルですが、

個人的な疑問が一昨日少し解決したので報告です。

その疑問とは

愛読している鉄ピク・アーカイブスセレクションの内

#5「国鉄ダイヤ改正1950」に載っているタイトルの列車の写真です。

1953(昭和28)年6月17日、綾瀬-北千住間で

荒川鉄橋に向かう同列車を後ろから撮ったもので(いわゆるケツ打ち)

先頭の牽引機は今しも鉄橋にかかろうとしています。

解説ではC6239(平)+C5777(尾)となっています。

普通に考えると本務機がC57、前補機がC62という関係になり

なんでC62の方が補機なんだろうとは思ったものの

白帯・青帯の連なる客車に眼を奪われ

運用の都合なんだろうと思っていました。

その後、

同じく鉄ピク2008年11月号「一等寝台車」特集のグラビアに

再び同列車の写真が載っていました。

撮影者も撮影年月日・撮影場所も先の写真とは全く異なっていますが

牽引機はやはり前・C6248(平)、次位C5728(尾)となっています。

こちらは1954(昭和29)年5月5日、藤代-取手間での撮影。

当時、C57が常磐線の主力機であったとは思いますが

既にC62が平に配属されているのに同線最優等列車に何故C57の方が

本務機なのか。

ひょっとして平より先は未だC62が入線出来ず平以南で補機に就いているのか、

等と想像していました。

そもそもこの1201~1202レは

前身がヤンキーリミテッドという名の駐留軍専用列車で

1952(昭和27)年の講和条約締結後、限定的に日本人も乗車可能となったそうで

後に急行「十和田」となりました。

運転区間は東京-青森ですが、洞爺丸事件が発生するまでは

マイネフ38と荷物車1両は航送されて札幌まで直通していたそうです。

最近になってバックナンバーで鉄ピク・スハ43系特集2冊を入手しました。

そのうちのⅠの方(2002年6月号)に

「車掌と共に-急行1201レ特殊列車-」という

1954年3月号の再掲記事が載っていました。

筆者は東大法学部学生・小泉豊氏で現在の消息をご存じの方は

編集部までご一報下さいというコメントが付いています。

記事の方は

客車の所属、東シナから同列車に乗り込み青森まで同乗するものです。

東京駅をEF56の牽引で上野に向かい上野で問題のC62+C57に交替。

続く解説で冒頭の疑問が解けました。

「・・・C57は暖房関係を主とし、絶えず6㎏/平方㎝内外の蒸気を送ることになる。この列車の暖房パイプは以前から9㎏/平方㎝内外の圧力に耐える特殊なものが使用されている。車内には前記の列車検査員が主として暖房調整を行い万全を期するわけである。」

小生はこの記事から、本務機はあくまでC62で

次位のC57は客車への暖房蒸気供給用(つまり自走式暖房車)なのだと考えています。

この頃の列車暖房は総て蒸気で電気機関車も旅客用は蒸気発生装置(SG)を積んでいました。

蒸気の場合、先頭の機関車から編成をひき通した蒸気管で蒸気を送るため

編成後部では蒸気圧が低下し充分に暖まらないことがあるそうです。

北海道の極寒地では冬期平坦区間でも後部に暖房蒸気供給のために補機を付け

編成の前後から供給して暖房を強化した、という話も何かの本で読んだことがあります。

また、蒸機は運転用の蒸気の一部を暖房用に回すため

勾配区間など運転用蒸気が必要な際は暖房用を絞るので

車掌から苦情が来るという機関士さんの思い出話もあった記憶があります。

同乗取材は「1月初旬のある土曜日」となっているので

C57を暖房用に付けるのもわかりますが

先の写真は5月と6月、普通に考えるともう暖房は必要なさそうに思えます。

これについては

東北地方はこの季節でもまだ肌寒く米軍はTシャツ一枚で過ごすのを好む、

あるいは米軍は車内で大量にお湯を使うため洗面用水を蒸気で過熱した、

のではないか、と少し疑問が残ってしましました。

何はともあれ

この1201・1202レは上下とも東京駅において約30分で

同じく特殊列車1001・1002レ(後の急行「西海」、前身は確かデキシーリミテッド)に

接続し、北海道に航送されたマイネフ38とマニMB(軍マニ、運用番号は米専51)は

1201・1202レ「洞爺」に継送。

占領軍でなければできない壮大かつ贅沢な運用です。

11両の内にイネ2両、ロネ3両(1両は仙台回転)、特ロ1両、そしてシが1両。

う~む、Nで編成してみたいですね。とはいえ

瀬戸さえまだ始めたばかりで全然進んでいませんが・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

41年前の園瀬川鉄橋

2009-11-08 23:04:04 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

ついこの前ですが

毎朝乗っている高崎線の211系にシングルアームパンタが付いているのに気がつきました。

早速ネットで調べてみると

もうだいぶ前から装備が進んでいるそうで、

元・中央快速の201系廃車発生品の流用だそうです。

もう5年以上昔の事ですが

首都圏が大雪に見舞われ帰宅時間の交通機関が大混乱したことがありました。

すし詰めの乗客を乗せたまま多くの電車が駅間に立ち往生したんですが

原因の多くがパンタに付着した雪の重みで離線したことによるそうです。

こういう意味では高崎線への転用は良いことですね。

高崎線の211系とは20年来の付き合いですが

高崎・宇都宮線と東海道線の直通運転が開始される3~4年後までは活躍するでしょうね(小生の定年と同時期・・・)

さて、

今週は一日休みだったので家のことに追われてNは手つかず。で、

久しぶりに昔の写真を。

S19680000_09

牟岐線、二軒屋-地蔵橋間にある園瀬川鉄橋を渡るキハ20+キハ11です。

撮影は1968(昭和43)年だと言うことははっきりしていますが月日は不明です。

草木の感じからして今頃の時期かと思い取り上げたんですが

考えてみると春先かもしれません。

当時は蒸機ばかり撮っていたのに稀に使った貴重なカラーフィルムで

よくぞ気動車を撮っていたものだと今頃感心しています。

たぶん時間を持て余していたんではないでしょうか。

しかも急行でもなく希少なキハユニ15でもない普通列車を撮ったところをみると

キハ11が少なくなってきていたんでしょうか。

小生の持っている資料では

キハ11が初めて徳島に来たのは1957(昭和32)年の3両。この頃はキハ17が12両も居て主役だったようです。

小生が写真を撮り始めた頃は既にキハ17の姿はなく、この写真を撮った1968年には先に記事にした通りキハ45の配属が始まり主役は36両も配置されていたキハ20でした。

キハ11は7両配置ですが、5年後の1973(昭和48)年の資料ではキハ45が3倍以上の19両になったのと引き替えにキハ11はゼロになっています。

キハ11等のキハ17系は1955(昭和30)年の登場ですから、この当時まだ20年経っていません。キハ20初期型とは1年くらいしか違わないんですが

たぶん接客設備があまりにも貧弱だったことが理由ではないかと思います。

写真で隣に写っているキハ20と比べると車体の大きさの違いがまず目に付きます。

エンジンは同じDMH17系で出力もほぼ同じですがキハ11はナハ10に始まった車体軽量化技術が応用される前だったので軽量化のために小断面車体になりました。

それだけならまだしも、車内の座席は通路側さえ肘掛けがなくシートはビニールレザー張り、窓枠は木製だったと記憶しています。

台車もDT19という、軽量化のためコイルバネを厚いゴムで代用したゴツゴツとした乗り心地の物でした。

こんなわけで四国では17系は早々に荷物車の種車になっていきましたが

10年以上経って福岡に転勤してみると未だ筑肥線で走っていたのには驚きました。写真撮っておけば良かったんですが、ちょうど鉄を止めていた時期で惜しいことをしました。

最後に同じ場所で撮ったC11を。たぶん同じ日だと思います。

S19680000_02

増炭板の形状から137号機と特定出来ます。回送列車ですが、オハフ61の窓で木製の日除け鎧戸が降りている所があります。今考えてみるとほんとに良くできた、且つ手のかかった装備だったと思います。眩しい、しかし今のようなビニールの日除けでは風が入って来ない。冷房の無かった時代この鎧戸は必需品だったのでしょう、ローカル専用の鋼体化客車にさえ装備されていましたから。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オハネ12に色入れ

2009-11-01 23:19:43 | 模型

寒くなったと思ったら夏日になったり変な天気です。そのせいか風邪をひいた気がします。明後日は入間があるのに困ったことになりました。

今日は一日家で久しぶりにNをいじっていました。

そもそも今年の正月に「Nで急行・瀬戸を編成するぞ」と宣言したもののその後さっぱり。冬にGMのキットはずいぶん買い込んで来ましたが半年以上お蔵入り。最近になってやっと塗料を少しずつ買ってきて今回の色差しとなりました。

ペーパーでHO客車を作っていたことがありましたが30年前。GMキットを組む前にちょっと試しというところです。

Ohane12_0013

対象はマイクロエースのオハネ12。GMキットを買った同じ日に中古を735円で買ってきました。昔のHOからすればほんとに良くできています。第一、GMキットに台車を付ければ軽く千円を超えます。良い出物があれば中古の完成品を集めた方が楽ですがなかなか旧型客車の中古は出てません。この時は他にもオハネフ12×2とスハネ16も同時に手に入れることが出来ましたが、以来柳の下にもドジョウは出て来ません。

良くできた製品ですが、折角車内の寝台まで表現してるもののこの状態は車両基地ぐらいしか見られない、それに車輪が銀メッキで実感がない。

ということでいわゆるウェザリングをしてみようと言うことです。

まず下回り。昔は艶消し黒で塗りつぶしていましたが、実車を観ると鉄粉のせいで茶色に見えるので今回は艶消し茶に決めました。Nは走行させることが主なのでフランジが大きく作ってありますが実車は高さ30ミリしかありません。走らせることが出来なくなりますがフランジも塗りつぶすことにしました。

※ところで、

写真で上に置いてあるのはGMのオハネ12キットですが、

下のマイクロエース完成品と窓の数が違います。

間違ってるのはGMの方。たぶんオハネフ12(元ナハネ10)と共用してるんだろうと思いますが

実車はナハネ10があまりに詰め込みだったので寝台区画をひとつ減らしたナハネ11からの冷房化なのでどうせならスハネ16のトイレ窓を替えた方が適当だと思います。100両に満たない小所帯で最後は西日本中心だったせいでしょうか。

車体は車内が見えないように夜の寝台利用中を再現することにしました。

Samido

プリンターで↑のを印刷しました。ベタのものは通路側用です。模型の窓間隔を測って作ったつもりでしたが3つ目くらいからずれだし結局切り離して利用したんですがえらい手間でした。

サボはインレタに「宇野行」や「瀬戸」が無かったので紙に印刷して貼り付けようと考えていましたが、プラモの転写マーク(スライドマーク)が自作できたら簡単で良いだろうなぁと思いネットで調べてみるとちゃんと先達がいました。これです↓

S

問題はN用に小さな文字が印刷できるのかということでした。テストした結果、8ポイントの文字で原画を作り25%縮小印刷すればなんとかサイズは合いそうです。

Simg_0004

この小ささです。台紙に鏡像印刷して保護の透明シートを被せた状態です。急行・瀬戸・B寝台・宇野行を印刷してあります。これを切り抜く→保護シート剥がす→貼り付ける所に軽く擦りつける→台紙を湿らせて剥がすという作業が必要です。HOなら丁度良かったと思いますがNでは老眼泣かせです。

Ohane12_0003

これが結果です。正直、公開するような状態ではないんですが現在の工作力を如実に表しています。。。網戸の表現は上手くいったと思っていますが普通紙に印刷したので滲んでしまいました。上質紙に替えた方が良さそうです。意気込んで作ってみた自作転写マークはサボは無いよりは良いといえそうですが出入口上の「B寝台」表記はない方が良いですね。この完成品は枠があるので白で色差しした方が良さそうです。転写マークは号車札も用意したんですがとても貼り付けられる大きさではないので諦めました。

結果としてこの転写マーク、十数両分作業するのはきつそうです。薄い高画質紙印刷した物をのり付けした方が簡単そうですが大きさは同じだし老眼鏡買ってからにします。

ところでGMのキットに塗装しようと同じくGMの青15号を買って来て試し塗りしてみましたが

変な色です。灰色がかっていて廃車解体待ちか野ざらしで保存されている車両みたいになります。ネットで調べると皆さん苦労されているようで①モリタの青15号にする、②GMの青15号と20号を1:1で混ぜる、というのが一般的なようでGMの青15号はそのまま使わないようです。

モリタの塗料はアキバで探し回りましたが、やっとあったと思うと青15号だけ品切れ。メーカーから直接通販するしかなさそうです。仕方ないので何種か近そうな色を買ってきて試してみました。

Simg_0003

車体はマイクロエースのオハネフ12です。これを基準にしてみるとGM青15+GM青20はちょっと明るすぎる感じ。ストロボなので発色が良くないですが右から2番目のMrカラーのミッドナイトブルー+GM青20もなかなか良いと思っています。調合が目分量なので何ともいえませんが次回はGMのオハネ12を組み立てて実際に塗ってみます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする