徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

42年前の4月2日、地蔵橋付近

2011-04-24 21:36:26 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

いやあ、大変です。今度の震災で被災された方に比べればどうと言うことは無いんでしょうが、サービス業の勤務先はえらいことになっています。新年度が始まりましたが早速予算は作り直し、現場がヒマを持て余しているのに事務屋は作業が増えて・・・現業には夏期休暇の先取りも提案されています。

というわけで、今週もどこにも出かけていません。またまた昔の写真で繋ぎます。

S1969040203

地蔵橋駅に進入するC58牽引の列車。スキャンして以来ずっと徳島発17:23の池田行き423レとなる列車が小松島から回送されて来るところだと思っていました。今回改めて見ると客車に乗客の姿が見えます。当時は回送のはずなんで、この列車は朝の池田発422レが小松島港に向かうところかもしれません。光線は横から当たっているようなので日中でないのは確かですが。大型前照灯で333号機であると特定出来ます。

S1969040207

地蔵橋と中田の中間辺り、列車は徳島発18:02穴吹行き425レの回送です。右手が地蔵橋駅で徳島発17:22牟岐行きの521レと交換します。この当時は回送ですが後に小松島から客扱いするようになりました。

S1969040208

上の写真の連続。この辺は何度も撮り来た場所です。

S1969040210

地蔵橋で交換してきた牟岐行き521レです。後追いですが前から撮った写真は以前に紹介済みだと思います。左手の先が勝浦川鉄橋になります。

この辺は大昔に海だった所が干上がって出来た平地ではないかと思いますが、列車の背後のある小山は昔島だったのではないでしょうか。

S1969040213

その背後の小山に登って撮った写真。ここから撮った写真は趣味誌やネットで何度か見かけたことがあります。徳島の御大、副支部長撮影のDE10牽引列車が以前鉄道ファンに掲載されていたのを憶えています。写真では列車は丁度勝浦川鉄橋を渡り終えたところで、左手が下流になります。土手の脇には木造の学校のような建物があって繊維関係の工場だったのではないでしょうか。

S1969040214

上の写真と連続撮影したコマです。こちらは山の影からもわかるように夕方で池田行き423レの回送です。そういえばこの区間ではC58は必ずこの向き(小松島方が先頭)になっていましたので、やはり1枚目の写真は朝の422レのようです。

この回送列車はよく出区するC58がくっついていて逆行ですが重連になっていました。423レの本務機もこのあと徳島で転向するんですが、小松島のターンテーブルは使い勝手が悪かったのでしょうか。

S1969040215

さらにもう一枚。遠くに津田の辺りが望めます。手前に針金が張られているので、この山はブドウが栽培されていたのかもしれません。

S1969040216

全く場所を変えずに今度は521レの回送を撮っています。これも逆行ですが徳島から牟岐行きとなるので機廻しするだけで転向の必要はありません。

S1969040217

C58の時と同じアングル、芸がなくて情けないです。客車が4両写っていますが、うち3両がオハフです。ハチロクのランボードに引かれた白線が鮮やかですが機番は不明です。

ここから下は4月3日の撮影です。

S1969040318

425列車の回送が勝浦川鉄橋を渡り終えたところ。2枚目の写真と同じ列車です。

S1969040319

少し流れています。土手下に写っているのは当時よく一緒に撮り鉄していたK野クンです。

S1969040320

再び地蔵橋で交換してきた521レ。手前に広がっているのは麦畑ですね。画面真ん中にフィルム現像時に付着した糸くずがあって目障り。この写真はそうでもありませんが良く撮れた写真がこうなっているとほんとにがっかりです。

S1969040321

今回最後は521レを牽く8620のサイド。地蔵橋を発車、その後勝浦川鉄橋への勾配を上ってくるので煙を期待するんですがいつもこんなもんでした。

さあ、今週末から黄金週間。例年なら田植えの後の田圃を狙ってひたちなかとか行くところですが、ひたちなかの復旧は7月頃とのこと。C61は展示の予定が出ていましたが激混みでしょうね。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

42年前の4月、佐古付近

2011-04-17 21:45:52 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

そろそろ普通に戻そうと思っていたんですが

先月、年一回の鉄道特集を組んだばかりの週刊東洋経済が

S20110417_017

早々にこんな特集号を出しました。

今回の大震災後の対応は永田町と霞ヶ関の不仲で

内外からの支援に対する信じられないような対応が報じられていますが

鉄の小生としては国交省の対応は評価したいと思います。

先月、計画停電発動時に信号・保安関係に電気が供給できなくて

電車まで止まってしまうという事態に関する新聞記事で

出来ないと主張する東電側に対し

国交省の技官が出来るはずだと根拠を示し

手間が掛かると渋る東電を説得して翌日から電車は運転出来るようになった

と報じられていて溜飲を下げたことがありました。

今回の東洋経済でも

不通の鉄道の代替に路線免許の無いバス事業者にも特例で免許を与え

且つ緊急車両に指定して高速の通過を可能にした。

とか、

福島・山形両空港への臨時便運行に異例の速さで発着枠の調整を行ったと記事に出ていました。

民間だったら当たり前の事でしょうが、他が出来てないので際立つような気がします。

最新のニュースでは本日東北線の黒磯-安積永盛間が復旧し貨物列車も宇都宮・タ-仙台・タ間を直通するようになったとのことです。着実に復旧は進んでいるようで心強いかぎりです。

今回も前置きが長いですが、佐古の写真は5枚しか無くて・・・

S1969040159

最初の写真は佐古駅(もちろん地平駅)を徳島に向けて発車するC58牽引の旅客列車。画面右手から陽が差してるので朝だと思いますが列車が特定出来ません。この当時、朝のC58牽引上り列車は高松発の321レ(徳島着8:12)と池田発の422レ(徳島着7:26)がありました。ネガフォルダーには’69年4月1日、2日となっていますが、1日は前回紹介したように園瀬川鉄橋で同じ時刻に撮影してるので2日かもしれません。あるいは小松島港発4:22の421レが池田で折り返してくる428レ(徳島着12:12)かもしれません。

S1969040160

上の写真と連続撮影したコマです。次位の客車がガラ空きですが、調べてみると同年4月1日は火曜日です。いくら春休みとは言え平日朝の列車がこれほど空いているとは思えないのでやはり1日の428レであることが濃厚です。

写真右手は田宮川に掛かる鉄橋があります。手前の麦畑(夏は稲作してました)はもちろんもう残っていませんが、遠方に見える屋上に車を載せたビル(自動車工場?)はずっと後まで残っていましたが今はどうでしょうか。

S1969040155

今度は午後の下り貨物です。銀河鉄道様の「鉄道と旅、1970s」を見ると大宮で387レと交換する384レという列車を撮影されていますがその列車かもしれません。

奥に佐古駅のホームが見えますが停まっている貨車はこの12号機が牽いてきたもので、徳島方に連結されてきたコンテナ車を画面左奥にあったコンテナホームに押し込んだ後です。当時、徳島のコンテナ扱いは佐古駅で行われていて高徳線貨物が佐古でコンテナの解結を行っていました。

S1969040156

解結作業を終えて12号機が徳島に向けて残りの貨車を引いて佐古を発車するところです。もうちょっとマシなカットは以前確か紹介済みなので今回はこれで。12号機は小松島に配置されたC58の中では9号機に次ぐ若番でしたが四国各地から転入が相次いだこの時期でも残っていたので調子の良い機関車だったのでしょう。小松島の前配置は高松で土讃線に運用されていたようなので重油併燃装置も装備しています。いかにも古強者といった風情があります。

S1969040163

今回最後は佐古駅北方、徳島線と別れてこの先にある田宮街道の踏切に向かう所です。これも以前に眉山を背景にした前カットを掲載済みなので今回はおっちゃんに被られたこちらを載せます。牽引機は12号機。そう、上の写真の同機が徳島で方転・給水して高松に向かう上り貨物を牽いて再度仕業に就いています。前にも書いたように佐古でコンテナの解結があるので佐古駅到着前を撮った後、吉野川鉄橋にも先回りする時間がありました。この日はコンテナが無かったようでワフ2両を含む二軸車ばかり13両の編成です。

S20110417_019

最後は愚妻が買って来たフィッシュカツです。以前の丸くて大きいの3枚組ではなく今回は食べやすいサイズ。池添カマボコ店の品数の多さに驚きです。隣は本日仏さんから下げられた金長まんじゅう。

いやあ、来週こそは連休にして撮り鉄したいと思っています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

42年前の4月1日に撮った写真

2011-04-10 22:53:41 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

Simg_0023

やっと当地でも桜が満開状態になりました。今日は温かったので例年ならお花見客で賑わう時期ですが今日は二組だけでした。そのかわりそぞろ歩きで見物してる人達は多かった。ブルーシート敷いて飲み食いするだけが花見ではありませんね。

Simg_0032

一方、咲き終わってドライフラワー状態になった梅の枝から若葉が出ています。新緑がもうすぐです。

Simg_0036

埼玉県の木である欅も芽吹いています。欅は枝振りが格好いいので広い庭があったら是非植えてみたい一本です。

Simg_0043

欅の新芽。新緑になると空中に浮かんでる様に見えて気に入っています。待ち遠しいです。

こちらは先週上野で撮った写真ですが

S0037

東北新幹線が未だ那須塩原までしか復旧してないのでこんな表示になっています。

S0035

16番線から先の特急専用ホームもご覧の通り。スーパーひたちの編成がずっと留置されています。少し前まで隣には185系も居ましたが高崎線では特急運転も再開されました。651系は来年には新形式に置き換えられる予定になっていますので復旧が長引くともう常磐線を走ることはないかもしれませんね。

上野と言えば先月末に構内書店が改装オープンしたんで丁度発売になった「カレチ」単行第2巻を買おうと寄ってみましたがありませんでした。改装前は場所柄鉄道関係が充実していて、しかも改札内という便利さもあってよく利用しましたが今度はどちらかというと若者向けの品揃えに変換したようです。

こうやってタイトルと関係無い話を続けていますが

最近は撮り鉄に行ってないし、かといってNも休止中でネタがないのです。毎度のようにこの時期に撮った写真で未掲載のものを探してみましたが内容貧弱。

今回は1969(昭和44)年4月1日の朝、牟岐線二軒屋-地蔵橋間(現在なら文化の森-地蔵橋間)にある園瀬川鉄橋南岸で撮ったものです。

小生は朝が全くダメで午前中に撮った写真はほとんどありません。そういう意味では貴重な写真です。

S1969040145

C58牽引のこの列車は池田5:11発・徳島7:26/7:28着発・小松島港7:55着の422レです。小生が写真を撮り始めた’67年当時は8620の牽引でしたがDF50やDE10に追われたC58が続々と小松島に転入して来ていつの間にかC58に替わっていました。ただそれもこの写真の5ヶ月後にはDE10になったんですが。

S1969040146

ハチロク牽引のこちらは牟岐5:07発・徳島7:58着の牟岐線522レです。先の422レとは地蔵橋で交換して来たばかりです。522レは牟岐線上りなので偶数は当然ですが、422レのように徳島本線からの直通列車は番号を変えずに小松島線に入っていました。

元々徳島-小松島間が牟岐線の中田以南よりずっと先に出来ていたんで小松島線に権利があるんです。小松島は高松と同様に本州連絡の窓口として徳島より高い位置にありました(小松島発徳島行きが「下り」、当時四国で一番高い駅は高松で総ての出発列車が下りだった)。

この話は何度もしてますね・・・

S522

この前作った牟岐線の最新ダイヤにこの522レを引いてみました。ハードコピーした画像を更に縮小してるんで見辛いですが赤いスジがそれです。牟岐を今の524D(これもほとんど判別できませんが青線はキハ40・47の運用です)より約40分早く出ても徳島着では8分遅れます。当時の時刻表では牟岐をこの後6:17に出る536Dと言うのがありますが、こちらも徳島着8:57であまり変わりません。日中の気動車では所要2時間を切る列車もあるのでこの2本だけ特別、特に522レは蒸機列車と気動車の速度性能差が出ています。

S1969040148

ここでの最後の列車は穴吹6:30発・徳島8:05/8:18着発・小松島8:40着の424レです。4月に撮ったと分かっているからかもしれませんが光線が春らしく感じられます。

S1969040149

上と連続撮影したもの。この先小さな山(古墳?)を過ぎると犬山の踏切です。先の422レは小松島港まで入っていましたが、こちらは本駅に着きます。船便を調べて見ると、この時間帯は8:30発の南海汽船和歌山行きフェリーと9:10発の関西汽船(既に徳島-神戸-大阪便を休航にした共同汽船との共同運行)神戸経由大阪行きがあります。424レは南海には間に合いませんが関西汽船には丁度良さそうなんですが何で港に入れなかったのでしょう。

何れにしてもこんだけ暖かくなればそろそろ撮り鉄したいところです。C61はGWだしその前にどこかで本年初の本格撮影したいです。正月に大宮の踏切で撮って以来さっぱりですから。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR四国の徳島線437Dのこと

2011-04-03 23:16:39 | ダイヤと車両

相変わらず寒い毎日です、暖かくなる日もあるのに今日は北風でとても4月に入ったとは思えない天気。それでも桜はチラホラ咲き始めました。

東日本大震災(NHKの言い方)から三週間。気温のせいか計画停電も実施見送りが増え、明日からはようやく湘南新宿ラインも運転再開だそうです。新入社員もドッと繰り出してくるのでどうなるかと心配してましたが、これで一安心です。

そういえば前回も書いた盛岡・郡山への石油迂回輸送は高崎線を走っているはずです。それ以外にも貨物列車が増えたような気がしています。JR貨物のHPにある輸送情報にある「列車運転計画」をみると9000台の臨貨が多数設定されていました。機関車も廃車予定まで動員しているようです。頼もしいですねえ。東北線も今月中旬には全線で復旧するそうなので間もなくこの迂回輸送は終わるでしょうが、この実績が鉄道貨物輸送の復活に繋がることを期待しています。

徐々に総てのことが元に戻ってきたようで春が近づいてきました。度を過ぎた自粛でサービス業はほんとに大変なんです。

ここから本題。

前回、所要時間の34.7%が2分以上の長時間停車だという牟岐線4563Dの事を書きましたが、予告通り今回はそれを凌ぐ徳島線437Dの事です。

S437d_2

例によってエクセルで作製した本年3月改正の休日ダイヤです。徳島線場合は休日ダイヤでは本数が少なくなるだけで時間は変わらないようでカラ待ちするスジが見られます。

件の437Dは徳島発7:21、池田着が9:48で所要2時間27分。早い列車では1時間50分弱、だいたいは1時間50分台で走破するのでおよそ30分は余計に掛かっています。

なお、穴吹から列車番号に+4000されてワンマンとならないようで池田まで一個列車として扱いました。

所要時間が長いわけはもちろん交換待ちによる停車時間が多いから。

2分以上の停車は蔵本:3分、府中:5分、石井:10分、鴨島:3分、川島:2分、学:6分、川田:8分、穴吹:12分、佃:2分の計51分。所要時間に占める割合は何と34.7%に達します。

何でこんなに交換停車が多いのかはダイヤを見れば判ると思いますが、8:30から9:00頃まで徳島目指して10~15分間隔で上ってくる列車総てと交換してるからで、且つ牛島での440Dとの交換以外は上りを優先させ437Dが待っています。

平日であれば通勤・通学のピーク時ですから仕方のない事でしょう。それにしても徳島線は密度高いですね、徳島-穴吹間では交換可能駅の間隔も割に短く一番長い山瀬-川田間で8分ですからこれ以上の増発は鮎喰・下浦・麻植塚を交換可能にするしかありませんがそんな投資をするかな、是非して欲しいとは思いますが・・・後は車両増結ですね。

ただ特急(4002D)が良い時間を独占しすぎですね。有料の通勤快速みたいなモンで収益性が良いらしい。ただこの列車が無ければ各停2~3本設定出来ますがね。この特急を挟んで前後10~20分各停の到着が無いというのはこの時間帯のダイヤとしては上手くないと思います。

そういえば本題の437Dが府中と石井で無駄に長く停まっているようです。平日は徳島に7:55頃着く列車の設定があるのかと思えばそれも無し。もっとも府中で438Dと交換後直ぐに発車しても結局牛島で4002Dと440Dの2本まとめて交換で20分近く停車する事になりそうですが。あるいは府中で交換する438Dが混雑のため遅れることが多いので余裕を取ってあるのか、な。

穴吹以東の密度に比べて池田方は当然ですが本数少ないです。そのわりに交換可能駅が多くなんだかもったいないです。まあ維持費がそんなに掛からないんならこのままでも良いですが。

ついでに上のダイヤで水色の線を引いた部分は平日に徳島8:42発川島行き4441Dのスジが通る部分で休日はカラ待ちになります。利用する側としては平日と休日で時刻が変わるよりこの方が良いでしょうね。

最後に437Dについで停車時間の比率が高い435Dも載せておきます。

S435d

こちらは徳島6:36発、穴吹8:03着で所要1時間27分の内に2分以上の停車は計29分で33.3%になります。石井で4001Dの追い越しを受けますが単線で追い越されると長時間停車が必要だという見本だと思います。その特急も鴨島から先は上り通勤列車に気を遣ってか、かなりスジが寝ていますね。

最近は地元の方のブログで車両運用情報が載せられていて大変参考になります。帰省に備えて40系の運用をダイヤに反映させていこうと思っています。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする