いやあ、大変です。今度の震災で被災された方に比べればどうと言うことは無いんでしょうが、サービス業の勤務先はえらいことになっています。新年度が始まりましたが早速予算は作り直し、現場がヒマを持て余しているのに事務屋は作業が増えて・・・現業には夏期休暇の先取りも提案されています。
というわけで、今週もどこにも出かけていません。またまた昔の写真で繋ぎます。
地蔵橋駅に進入するC58牽引の列車。スキャンして以来ずっと徳島発17:23の池田行き423レとなる列車が小松島から回送されて来るところだと思っていました。今回改めて見ると客車に乗客の姿が見えます。当時は回送のはずなんで、この列車は朝の池田発422レが小松島港に向かうところかもしれません。光線は横から当たっているようなので日中でないのは確かですが。大型前照灯で333号機であると特定出来ます。
地蔵橋と中田の中間辺り、列車は徳島発18:02穴吹行き425レの回送です。右手が地蔵橋駅で徳島発17:22牟岐行きの521レと交換します。この当時は回送ですが後に小松島から客扱いするようになりました。
上の写真の連続。この辺は何度も撮り来た場所です。
地蔵橋で交換してきた牟岐行き521レです。後追いですが前から撮った写真は以前に紹介済みだと思います。左手の先が勝浦川鉄橋になります。
この辺は大昔に海だった所が干上がって出来た平地ではないかと思いますが、列車の背後のある小山は昔島だったのではないでしょうか。
その背後の小山に登って撮った写真。ここから撮った写真は趣味誌やネットで何度か見かけたことがあります。徳島の御大、副支部長撮影のDE10牽引列車が以前鉄道ファンに掲載されていたのを憶えています。写真では列車は丁度勝浦川鉄橋を渡り終えたところで、左手が下流になります。土手の脇には木造の学校のような建物があって繊維関係の工場だったのではないでしょうか。
上の写真と連続撮影したコマです。こちらは山の影からもわかるように夕方で池田行き423レの回送です。そういえばこの区間ではC58は必ずこの向き(小松島方が先頭)になっていましたので、やはり1枚目の写真は朝の422レのようです。
この回送列車はよく出区するC58がくっついていて逆行ですが重連になっていました。423レの本務機もこのあと徳島で転向するんですが、小松島のターンテーブルは使い勝手が悪かったのでしょうか。
さらにもう一枚。遠くに津田の辺りが望めます。手前に針金が張られているので、この山はブドウが栽培されていたのかもしれません。
全く場所を変えずに今度は521レの回送を撮っています。これも逆行ですが徳島から牟岐行きとなるので機廻しするだけで転向の必要はありません。
C58の時と同じアングル、芸がなくて情けないです。客車が4両写っていますが、うち3両がオハフです。ハチロクのランボードに引かれた白線が鮮やかですが機番は不明です。
ここから下は4月3日の撮影です。
425列車の回送が勝浦川鉄橋を渡り終えたところ。2枚目の写真と同じ列車です。
少し流れています。土手下に写っているのは当時よく一緒に撮り鉄していたK野クンです。
再び地蔵橋で交換してきた521レ。手前に広がっているのは麦畑ですね。画面真ん中にフィルム現像時に付着した糸くずがあって目障り。この写真はそうでもありませんが良く撮れた写真がこうなっているとほんとにがっかりです。
今回最後は521レを牽く8620のサイド。地蔵橋を発車、その後勝浦川鉄橋への勾配を上ってくるので煙を期待するんですがいつもこんなもんでした。
さあ、今週末から黄金週間。例年なら田植えの後の田圃を狙ってひたちなかとか行くところですが、ひたちなかの復旧は7月頃とのこと。C61は展示の予定が出ていましたが激混みでしょうね。