引き籠もっての断捨離成果から一枚。小生が初めて新幹線車内で買った弁当(たぶん)。当時は新幹線や乗るもんでない、と思ってたんで、専ら鷲羽+銀河を使ってたんですが、この時初めて夜行鷲羽+新幹線を使った様な気がします。あの頃鷲羽は夜行でも季節臨を入れ2往復ありました。
2014年2月12日の赤羽駅。夜中に小生以外にも撮り鉄が居ます。
待っとったんはこれ。翌月の改正で定期運用終了でした。
もう一息、と言うところまでは来てるようですが、ここで気ぃ抜いたらアカンので自粛続行中。
これはお気に入りの一枚。1968(昭和43)年2月、市役所前で撮ったヤツです。過去に何度も掲載してますがね。線路際に雪が残ってて、寒いようで煙がイイ感じに流れてます。右後ろは文化センター、左端にはハエ叩きも現役でした。
ここからは1970(昭和45)年2月の写真になります。もう翌月の改正で徳島の蒸機も全廃になると言う時期の小松島。
機関庫の中のピットに入って撮ってます。この頃稼働してるのはハチロクとC11が各1両で、庫の中は完全に火を落とした休車や廃車待ちの置き場になっていました。
区名札も入ってません。記録を見ると、書類上はこの年の1月で廃車になってるようです。
この日煙を上げていたのはこの機だけ。タムロンの望遠レンズを使い始めてますが、距離計連動式の欠点を理解しておらず、ギリギリに構図して下が切れてます。
変わった化粧煙突の先に火の粉止めを載せた機関車で、長野から来たヤツです。
ネガの日付は同じなんですが明らかに調子が違うんで別の日かもしれません。休車札が入ってるしメインロッドは外されてます。
この階調はまたコピー用フィルムだと思います。
煙のカンジでスローシャッターの様ですからASA32(たぶん?)のコピー用でしょうね。
この機は早くから保存の話が出ていてキレイに化粧されていました。
こちらは庫外。この機は現在も城山麓で保存中のはず。見えにくいですが、製造が「日船」(=日立造船)となってるところに古さを感じます。
こちらも日車一号機として保存されてるはず。多度津が検修したハチロクは区名札の下に載せ替えたボイラー摘出機の番号を貼ってあるんですが、この写真では読めませんね。
ここは機関庫の裏、転車台の先です。58623とC58-295が置かれています。どちらも書類上は廃車済みで、保存予定のため留置してるところです。
順番がもうめちゃくちゃですみません。中田を出た521レの回送が勝浦川鉄橋を渡ろうとしてるところ。この頃の55号線は津田から論田を通っていたんで、こっちは裏道みたいなカンジでした。
なんか毎回同じ構図の写真載せてますが、地蔵橋を出た521レが勝浦川鉄橋に向けて築堤を駆け上がって来るところです。
ここは徳島では割とよく使われる場所で、鉄道ファン誌に御大が撮ったデーテン牽引列車の写真が載ったのを見たことあります。
ハチロクはこうしてみるとやはり旅客機ですねぇ、客車牽引が似合います。
汽車ぽっぽと言うカンジです。土手の道路は未だ未舗装だったと思います。
今度は犬山。またコピー用フィルムで、C11は31号機か66号機のいずれかの様です。
直ぐ先が園瀬川鉄橋。桑野発の貨物だと思いますが、なかなかの貨物量です。
別の日ですね、珍しく縦位置で撮ってます。
また小松島。後ろには既にデーテンが居ます。
上の写真で左に居るハチロクに上って撮ってます。
更に庫の中でもテンダ越しに撮影。許可を貰ってる訳では無く、黙認されていたと言う状態です。エエ時代でしたわ。
1号と14号は石炭の種類でしょうか?かの宇野賢吉様の本では三池炭が最高だったとありました。
昔は結構本数多かった。
この日の521レ担当機。78680はシールドビームやなかったんや、と再認識。
やはり望遠で下が切れてますね。
一眼レフを手に入れるのは半年後くらいだったと思います。
回送の発車準備完了。本屋寄りのデーテン牽引は、池田行き423レの回送だと思います。
これで2月の写真は全部載せたんで次回はどないしょうか・・・
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