徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

昔の宇野駅で撮った写真

2021-08-29 21:16:27 | 県外(糸崎、布原 ほか)


コロナに加え、長雨で近場の撮り鉄さえ行けず昨日やっと8月初の撮り鉄に。土讃線ですがここは県内。徳島を除く四国各県にも蔓延防止等重点措置が適用されましたね。
う~ん、徳島の感染防止策や県民意識が高いのか、それとも魅力が無いんで県外から人が来んのか・・・


コロナのせいであんまり報道されてないように思いますが、未だ一部区間で不通になっていて代行輸送が続いています。四日市から南松本に向かうタンカーが何本か大回りして中央東線経由で運転されたそうです。


長雨の間、重い腰を上げて昔のネガをスキャンしてました。ハーフサイズのスキャンは二枚一緒になるんで、一旦取り込んだ画像を分割し、かつ回転させなアカンので面倒なんです。おまけにちょっとスキャンしては懐かしさのあまり「ここは今どないなっとんだろ?」とか検索したりするんで捗りません。
今回は比較的まとまっていた1967(昭和42)年8月に宇野駅で撮ったモノです。
先ずはうずしお。既に181系になってるのか、それとも151のままなのか分かりません。バックミラーや運転室上の交互点滅灯?も残ってますが、目を引くのは覆いが外されて自連がむき出しになってることです。151はしおじの運用でセノハチにEF61が補機に付いたと言うハナシをネットで見たことがありますが、ひょっとしてそのせいか?


当時宇野と言えば先ずは鷲羽ですね。小生が利用し始めた頃は新幹線連絡列車の印象が強いんですが、この当時の時刻表を見ると新大阪発着列車より大阪の方が多い感じでした。今回、下りに一本京都始発があったことを発見。


これは宇野線のローカル電車。詳しくないんですが、50番台の系統でした。床は木張り、ニス塗りの室内でモケットが紺ではなく緑だったような気がしてます。


これは「さぬき」の到着です。当時、徳島から高徳本線始発で宇野着は8:25、さぬきは9:08着です。


今度は気動車急行、9:10発の砂丘・しんじだと思います。しんじは伯備線から一旦日本海側に出た後で小郡に行く行路で有名でした。ホーム向かいに停まってるのはさっき着いたさぬきの編成だと思いますが、左から二両目はスハネ30の様です。更に隣の10系寝台車も非冷房ですね。しんじのキロも窓が開いてるようで、この時代はまだまだ冷房は貴重だったんです。


これも貴重な玉野市営電気鉄道。社名と違って気動車です。もっと撮っておくべきでした。。。


さぬきを牽いてきたEF58が機回ししてるとこです。これは青15号に前面クリーム警戒色の、後に標準となった塗色でしたが、この後着いた瀬戸の牽引機は茶色でした。


到着編成の最後尾に連結、これから引き上げて留置線に転線です。最後部の10系寝台も未だ非冷房、ナハネフ10だと思います。


瀬戸の到着です。機関車は茶色で、庇が付いてスノープラウは無いものの汽笛にカバーがあるんで寒地仕様車に見えますが、当時の配置は東京区だった様です。右側の客車は引き上げられたさぬきの編成ですが、やはりスハネ30が多い様です。


岡山区のサボが入ってました。当時の編成表を見ると、東京-岡山間の客車3両が付いてる様ですが、ここは宇野なんで切り離してるハズ。ただ、上の写真で車両数えると15両ありそうなんで、夏の多客期対応かもしれません。


瀬戸の編成が引き上げられてるところです。オロネ10の後ろにスロが二両繋がりますが、何れも非冷房でそれに続くのはスハネ30の様です。


こっちは留置線に置かれたさぬきの編成。冷房改造済みのスロ54、そしてそれに続くオシ16です。Nで揃えようとして挫折したまま放置状態です。小生の手引書となった誠文堂新光社「客車・貨車ガイドブック」を買ったのはこの頃だと思いますが、オシ16の希少性に未だ気付いてなかったのが悔やまれます。


編成端は元・特急用のスハニ35。この頃の急行用車両は皆ピカピカです。


堂々たる鷲羽号の編成。このタイプのヘッドマークは一世を風靡しましたね。編成後方に連絡船が写ってます。


跨線橋から留置線の客車編成を見たところです。真下が瀬戸編成、右隣がさぬきです。


向こうの電車は塗り分けからすると165かなぁ?


これはクモユニ81だと思います。隣の非冷房スロ54は瀬戸編成で、品川車なのに何故か電暖化された二千番台。学生帽も凜々しくカメラを構えてるのは同行のK野君かS田君だと思います。


さっき165系かなぁと迷った電車。165と言うとクモハ+モハ+クハの三両ユニットとだと思ってましたが、検索すると奇数の中間モハも少数あったとネットに出ていたんで、ひょっとするとそれかもしれません。急行幕が出てるんで臨時の鷲羽か?


連絡船への積み込み。これは瀬戸で来たマニ36らしき荷物車。’69年10月の編成表では宇和島行きになってます。


後ろはさぬきで来たオユ12。


瀬戸の編成をホームから撮ってます。数えると14両あるようなんで、やはり多客期対応で岡山回転車を宇野まで付けて来た様です。
次回は徳島か小松島の写真を載せようと思います。


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