前回で’69年は一段落。次はいよいよ徳島蒸機最後の年’70年となりますが、その前に今夏の帰省の話をちょっと。
今夏の帰省経路には和歌山線完乗を目標とシマシタ。7月に京都に出張の機会があったのですかさず桜井線と高田・王寺間は乗車済み。今回は高田・和歌山間ですがそれでも2時間。上の写真のような元・常磐緩行の103系改造車に揺られました。新製車はシートもそこそこ長時間乗車を考慮したものだそうですが当日当たった車両はシートも103時台のまんまです。しかも屋上をご覧クダサイ、クーラーがありません。乗ってから分かったのですが車内二カ所の荷物棚を潰して音も大きい簡易冷房を載せています。
2時間かけて和歌山に到着(右の105系は私の乗ってきた車両ではありません)
ここから二駅、この電車で和歌山市駅まで行って南海に乗り換えます。実は上野で今回の乗車券を買おうとしたんですが発券不能。窓口のメガネ美人な担当女史が悪戦苦闘、私の後ろの列はどんどん長くなり堪えきれないので翌日寄るのでその時までに作成して貰うことにシマシタ。新大阪から環状線・関西線・和歌山線を経由して和歌山市に至る経路ですが私の渡したメモに和歌山~和歌山市間を「阪和線」と書いたのが原因デシタ(実は紀勢線)機械は良くできとる。
二回連続で南海フェリー利用。今回は夏休み中せいか前回の2倍位乗客がいました(=20人くらい)海上から見る眉山は良いですね。
帰省時の目標その2は四国で未乗の予讃線・予土線・土讃線の窪川・高知間を乗ろうと考えていたのですが最適の四国フリー切符は「連続」3日間有効、行事の都合で3日連続出来ないので香川・徳島フリー切符(二日間有効)を使って土讃線の池田・大歩危間を初撮りすることにシマシタ。目星を付けたのは第一・第二吉野川鉄橋周辺デス。クルマがないので四国交通バスの時間も調べ列車本数が少ないのでエクセルでスジを引き完璧なスケジュールを作りましたが寝過ごしで総崩れ。徳島線で池田に行く場合、6:50の特急を逃すと次は7:23の各停ですがこいつは異様にスジが寝ていてその次の9:05の特急と池田着は大差なし。駅で2時間近くも潰せないので結局各停にしました。乗ってみてこの列車が他の各停より20分以上も遅い理由が判明、朝の通勤帯で単線に上り列車を詰め込んだせいで徳島寄りの交換可能駅ではほぼ全駅で交換待ち、徳島線の列車密度は見上げたものです。1200系(だったかな?)の車内設備も和歌山線で乗った105系とは比べものにならないほど良いし、JR四国頑張ってますね。
2時間無駄にしましたが先ず第一吉野川鉄橋へ。大谷橋のバス停から徒歩5分位です。「Railguy」’80年4月号の表紙がこの鉄橋を行くDF50を直上からとった写真だったので同じアングルを狙ってみましたが写真左手のトンネル直上の道路には高い金網があって撮影不可能デシタ。トンネル入り口脇に降りられる階段があり線路脇出られますが信号機器箱があるだけで足場がありません。機器箱の脇での撮影も考えましたが緊急停車されると困るで階段途中から撮ったのが上の写真です。いきなりトンネルから出てくるし来年は向こう側で狙ってみます。
次は第二吉野川鉄橋。こちらは西宇のバス停からやはり5分位デス。
四国では超有名撮影地だそうでずいぶん紹介されていますが頷けます。山深い秘境感にすっかり惚れました。ここをC58やD51の牽く貨物が行くところをみてみたかったなぁ。(写真はコンデジなのでトリミングしてます)
上の写真は各停キハ32の後部から撮ったものですが来年までに塗り替えておいて欲しいものです。右手のホテルの屋上は良い撮影ポイントではないんでしょうか?でも望遠が要るなぁ。
ここでの撮影後は小歩危まで歩いてみました。第一の所と違って遊歩道も整備されておりほぼ水平か軽い下りなので20分位で着きます。その途中の小歩危寄りの所で
吊り橋がありました。上には木材搬出用と思われる簡易索道もアリマス。
橋元には恐ろしげな看板。中程まで行ってみました風が吹くと結構揺れるし下の板も割れそうでスリル満点、かずら橋に勝るとも劣るものではありません。
帰京前日の夕方、時間が出来たので昔を偲んでちょっと吉野川まで行って来ました。田宮に行く道がずいぶん立派になっていてびっくり、道に迷いそうでした。
既に紹介済みですが40年前のほぼ同じ場所。吉野川鉄橋は一番手前のトラスを塗り替え中ですが手前のかっぱ橋と呼ばれていた潜水橋は丈夫そうになっていました。
上と同じく吉野川と鮎喰川に挟まれた放水路のような川を行くところです。この中洲と吉野川の河川敷はあまり変わっていませんでしたが鮎喰川の土手の道路がずいぶん整備されました。
鮎喰川に架かる潜水橋から撮ったものです。なかなか充実した今夏の帰省デシタ。長くなりすぎたのでここで終わりにシマス。