徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

今年二度目の撮り鉄は聖地はまかわさきへ

2015-05-31 23:30:08 | JRの東海道線、神奈川県方面



先日、会社の鉄が集まって飲み会。例のせとうちさんでやりたいんですが、なかなか空いてなくて・・・まあ、鉄の飲み会に使いたい店はまだ何件か候補があるんです。


で、昨日は蒲須坂に行くつもりがこんな所に。初めてでしたが中々良いところでした。


本題はこちら、はまかわさきです。前回が去年の10月中旬でしたから7ヶ月ぶり。いつの間にか窓硝子が割られていました。


改札口もICカード専用になりました。前は有人出改札用の職員が入る囲いみたいなのが在ったんです。


朝起きられなくて石炭列車に間に合えばいいやと8時着を目指しました。到着寸前にクリーン川崎号が行ってしまい、当日最初の一枚は8:23に来たたぶん5073レ。


確か急行越前様の所で写真は見てましたが実物は初めて見ました。


5分後に来たんで相模シャトル1151レでしょう。


66百番台は現行電機で一番不細工と思ってますが、何はともあれ撮るのは楽しい。


ちょっと間が開いて9:12にわたりだ踏切で根岸行き5681レ。


石油返空かと思いきや後部には海コンも付いていました。


お気づきでしょうか・・・普通は先の1151レの後にデーテンの単機回送が着き、その後に石炭列車が来るんですがこの日は来ず。遅れとんやろか・・・と撮影続行。


撮り鉄が増えてきたなと思ったらこの列車です。


この日は9:42でしたからJトレイン付録の首都圏かもつれっしゃ詳細時刻表とぴったり同じ。壮観ですね、次回はもっと上手いこと撮らんならん。


また桃太郎。10:07は隅田川シャトル75レでしょう。


機関車が通過してる辺り、川崎新町方のカーブで撮ってみたいんですが線路端に出られる公道がありません。


10:24にダイヤには無い65の単機が来ました。後で聞いたところではこいつが今日石炭列車を牽くはずだった様です。


原色で所定外だったので旅客会社の機関車かと思ってましたが二千番台と汚れ具合から貨物機ですね。


配6795レ。これも定時です。まあ下りは始発駅至近なんでそりゃ定時ですよね。


この時間帯はさすがの聖地も列車疎ら。10:50に千葉貨物行きの4095レが901号機で来ました。
一番右側の線が石炭列車の通るヤードに向かう線です。その左側の線もまだ架線は残って居るものの鋼管通の踏切の先で枕木による通行止めがされて居ます。


宇タからの5582レを待っていたら11:10にダイヤに無い列車が来ました。


何度か通ってれば積荷から列車が特定出来るんですが。王子と書いたコンテナは以前下関発1060レに載ってました。実はダイヤではこの後11:28に下関からの5054レというのがあるんですがね。


11:33には相模シャトル1155レ。今更ですがカメラの時計は2分進んでいたようです。目安としてご覧下さい。


同列車のUT13F5001ガンマプチロラクトン、初見です。


さっき単機で上って行った2121号機が牽いてきたのは1157レでしょう。


コキ200に載った液化酸化エチレンは継送されて東海道を下るはずです。


不明の65牽引列車が11:56に下った後、当日カメラの時計で12:14桃太郎牽引の下り。近いスジでは宇タ行き4093レがあります。


これまた初見のタンクコンテナが載っていました。


大好きな2092レを今年初めて撮るのが地元では無くここだというのも何かヘンです。


クロロホルムも健在。


無蓋コンテナ返空も中京方面まで継送されるはずです。


この日のカメラの時計で13:16、近いスジは札タからの3064レですが。桃太郎が良い角度で撮れたんですが止まっていません。。。


こんなのを北海道から牽いてきたとは思えんし。1060レや5052レと言った昼前に東海道から入って来る列車が全然来てないんでそれらの内のひとつかもしれません。


何となく元JRのコンテナを素人が塗り直した様な仕上がり。後ろに福通のコンテが載ってるんで山陽筋から来た列車ではないんかいな。


ヤマトやトナミと同じくネコ科コンテナのひとつ。撮ってくれと言ってるような一個積みです。


13:36に来たのは隅田川シャトル72レだと思います。


楽しい内容の列車です。後ろの方のボルテックスセイグンのUT8Cは塩化メチレンの様で初見でした。


13:41でしたがダイヤに該当列車無し。64千は格好いいですね。


これこそ旅客会社の機関車。仕事をしてないからか手入れが良いのかきれいすぎてオペラ座の怪人みたいですよ。どーにも好きになれんわ。


13:51に短編成列車が。スジは倉賀野からの4074レに合致しますが、


この積荷から同列車に間違いないようです。


さっきのピカピカ65が帰りも手ぶらです。練習なんでしょうか。当日カメラの時計で14:27でした。


せっかく休日お出かけ切符で来てるし午後は湘南方面に移動しようと思っていましたが、東海道方面から来る列車は遅れてる様なのでここで撮り続けることにしました。


午後、時間によってはホーム端はだいぶ撮り鉄の数が増えて来たので少し改札寄りから配6794レ。


毎回おんなじ写真ばっかりじゃつまらんし。久し振りの撮り鉄なんで練習です。


この日のカメラの時計で14:55のこの列車もダイヤに該当無し。


通運系の長尺コンテナ多数の好みのタイプです。


更にタンクコンテナまで・・・2時間以上遅れの5052レでしょうか。しかるべき場所でキレイに撮りたい列車です。


15:07にさっきの64千も単機で帰って行きます。ああ、単2491レでしょうから単機で当然です。


さっき流し撮りを練習したときのままでした。15:27と言う事は隅田川シャトル77レですね。


これも急行越前様の所で見たリントラの廃棄物用?コンテナや後ろのプロバギルメチルフランと言うのも初見だったのに惜しいことをしました。ウィキで見るとNRSプロバギルメチルフラン用UT9Cはこの5006一基しか無いそうです。

久々長めでした。




























コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

47年前の5月から6月にかけて撮った写真

2015-05-24 23:25:49 | 蒸機時代の徳島で撮ったん


今年やっと二度目の撮り鉄は聖地に行って来ました。かの有名な踏切、写真右手至近に食べ物良いと言われるチェーンのコンビニが出来ていて大変便利になりました。


晴天なら蒲須坂、キハ20が入っていればひたちなかと考えていましたが、どちらもダメだったのでここにしたんですが、石炭列車はウヤだし、おまけに東海道から上ってくる列車がさっぱり来ず不調でした。いや、撮影技術の方はそれ以上に絶不調でしたが。練習せなあかんわ・・・

その下手な写真はまだ整理出来てないんでまた昔の写真です。

1968(昭和43)年の5月か6月、二軒屋駅に進入中の下りむろと(下りむろと1号は311D,上り阿波1号も312Dで0台から始まらず元準急だった生い立ちが残っています。これは一等車も付いている土佐や足摺、うわじまも同様で四国で0台から始まるのは南風とせとだけでした。)勿論未だ非冷房です。
二軒屋駅は通過なんで運転台左側ではタブレット交換の準備をしています。優等列車はタブレット交換ために二人乗務でした。


二軒屋駅の場内信号機。ご覧の通り未だ自動化されていません。高徳本線はさすがに早かったと思いますが牟岐線の自動化はウィキには出て無くてSHIKOKU'Sワールドさんのサイトによれば1986年11月となっていました。隣ではハエタタキも現役の様です。


同じく二軒屋駅を発車するハチロク牽引の上り列車。上りでハチロクが正向と言うとこの当時は朝の522レしか在りません。’67年10月の時刻表で見ると522レの二軒屋発は7:54。よくまあ休みに早起きしたもんやと感心します。


正面のナンバープレートだけが花文字だった68692。一枚目の写真は同じ日かと思っていましたが2時間以上も開いてるので別の日だと思います。


ここは徳島駅の二軒屋方。これもハチロクが正向なんで夕方の521レだと思います。左手の徳新本社ビルと右手の文化センターは共に建て替えのハナシがありますね。手前は埋め立て途中の寺島川で文化センター手前には徳島橋(だったか?)のコンクリート製欄干が残って居ます。


公園横で入替中の貨車の中にヤ210が居ます。客車のマヤ34に相当する車輌で中級以下の線区はこいつが担当したと「客車・貨車ガイドブック」にあります。コロ軸受けの3軸というのも変わっています。
背景の城山の手前左手に今は無き県立図書館がチラッと写り込んでいます。


この入替を担当しているの110号機。天鉄局(竜華か和歌山)から小松島に来たのが’65年11月だそうですが、この当時は未だ集煙装置未装備です。その後、廃車発生品を付けて貰ったようで翌年の写真では四国機らしい姿になっています。


順番はメチャクチャですが、ここは徳島駅佐古方の小生が勝手に「出来島の踏切」と呼んでいたお花畑踏切。中央に木造二階建ての信号所が写っています。踏切を渡るトラックはひょっとしてマツダのロンパーではないでしょうか?右端の徳バスはボンネットですよ。


徳島駅で発車を待つ穴吹行き425レ。137号機は全検後間もないようでピカピカですね。そのせいか徳島で最後まで稼働状態で残った蒸機でした。背後のモルタル造りは確か日通。


発車は17:52。背後に南海ビルや名店街が写っていますが、日通を含め今はどれも残って居ません。


徳島駅給炭台。333号機が整備完了の様ですが、高徳本線担当。奥の庫に居るC11は31号機の様です。構内は未だ貨車がいっぱい居た時代です。


再び寺島川横でC11が牽く回送列車。徳島着11:55の徳島本線428レの客車を小松島に回送するところだと思います。


137号機ですね。小松島で折り返して当日の425レを牽引する流れなんで上の発車前写真より先に撮ったんでしょう。左手は懐かしい市役所旧庁舎。


新町川の鉄橋に向かって緩い勾配を駆け上がって行きます。


どうも写真の順番は時間の流れと逆のようですね。同じく市役所横で牟岐線上り貨物が31号機に牽かれて着いた所です。左遠方に県庁旧庁舎、機関車隣の白い建物は自治会館で今は千秋閣がある所、市役所隣に在った東消防署の火の見櫓も写っています。


到着後は即入替開始。文化センター前の徳島橋欄干の他に東警察署の建物の内の一部も写っています。市役所側の線路脇にワシントン椰子は未だ無く、夾竹桃が植わっていました。


これは同じ辺りで小松島発の回送。徳島で機回しして牟岐行き521レとなります。右手の窓が多い白の建物は自治会館で、これと線路の間には職安がありました。確か木造の質素な建物だったと思います。


反対の徳島方。右手は現在社会福祉センターになっています。


新町川鉄橋です。列車は朝の上り522レの様です。また早起きしたんですね。もっとも実家からここまでは10分も掛かりません。


上と連続写真。こちら側は護岸整備真っ最中。右端の四角い建物は元の水上警察署です。

来週は浜川崎のボロボロ写真を載せる予定です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・今年初撮り鉄は秩父鉄道へ

2015-05-17 23:18:33 | 関東近郊、JR特定線区外と私鉄


暑いですね、明日から夏服にします。日記を見ると去年と同じくらいでした。

昨日の帰り、電車の中吊りに工事運休のお知らせが出ていました。(写真はイメージです)


今年5月11日から2017年12月頃まで毎月曜に黒磯発上り初電を黒磯-那須塩原間運休させバス代行すると言うものでした。(写真はイメージです)


「信号・電力設備改良工事」とあります。日曜の夜が一番貨物が少なくないので明け方まで工事をすると言うことでしょうか。(写真はイメージです)


JR東のHPにも同じ案内が出ており、更に検索すると、現在日本で唯一地上切替を行っている黒磯駅構内を直流化して黒磯駅北方での車上切替に変更する予定だそうです。(写真はイメージです)


今では黒磯駅を通して運転される定期旅客列車は無く、貨物も交流区間は総てEH500になってますから問題なし。と、なると黒磯から郡山方面への電車だけが交流専用です。ある方の予測では、工事完了後はこれにE531のような交直両用車が入るので205系改造車はそれまでの「つなぎ」だそうです。なるほどぉ・・・(写真はイメージです)


貨物はどうなるんでしょうね。黒磯駅構内が直流なら今まで通りEH500と直流機の交換は可能です。が、金太郎も高崎線で安中貨物牽いたりしてますから宇都宮貨物(タ)以北は全部金太郎なんてことも考えられますね。(写真はイメージです)

やっと本題。

波久礼に移動したところからです。


ここで貨物列車同士の交換を撮ります。カメラの時計で13:51に下り7205レ(列車番号は26年度ダイヤのもです)が到着。


山側(写真の右側が荒川なので山側にします)のホームが無い側線に入ります。


朝、武川で撮った石炭列車を牽いていた506号と同型らしい504号機です。


カメラの時計で13:56に上り各停を通します。時刻表では13:52発なんでちょっと遅れてる様です。


14:04になって上り貨物がやって来ました。


と、ほぼ同時に下り各停が到着。3列車の交換です。


上り貨物は通過です。この列車(去年の列車番号は7404レ)は前の記録を見ると2分位停まって各停をやり過ごしていたんで、やはりこの日はダイヤが少々乱れていたんでしょう。


撮った時は起動が大変そうな積車なんで通過させるのかと思ってました。


で、この間20分近く上り貨物は駅横の小さな踏切を塞いで停車中。国鉄TR41と同じだと思います。小学生の時に見た模型の本にはベッテンドルフ台車と出ていました。


約50分後にもう一度貨物列車同士の交換。先ず14:53に今度は上り積車が山側側線に到着、続いて14:55に下り返空が到着。


寄居方一つ先の踏切から。カーブが良い感じですがこれは開いてる踏切内から停まってる列車を撮っています。


遮断機が閉まるとこんな感じ。(この時は先客が居てこんなアングルしか撮れませんでした)


やっぱり駅寄りの方が無難かな。


ホームで電車を待っていた若者達が線路に降りて遊んでいます。地方鉄道をバカにしとんか・・・


上りパレオもこの駅で撮りました。


今度は久し振りに影森より先に足を伸ばしたいと思います。


パレオの次の電車で上熊谷下車。パレオの回送を待ちます。


この日は16:33でした。


この駅も熊谷の次駅の割に屋根やベンチに昔が残って居て好きです。


ついでに前から気になっていた駅出口熊谷方にある店を観察。


裏は駐車場でここでも撮れそうです。


安中貨物が来ました。GWでも走ってるんですね。


この日は16:40でしたが、貨物時刻表では熊タ16:42通過になってますからちょっと遅れていたのかもしれません。


で、改めて例の店を。L字型に配置されてますが元は一両なのか、あるいは2両をくっつけたのか。


こっちはワムハチの様ですね。


色からすると名鉄かとも思いましたが、まさかそんな遠くから来たとは思えないので昔目蒲線や池上線を走っていた東急のヤツでしょうか。


さっき安中貨物が来たんでその後の貨物に期待して撮影続行。


3096レは来ず。もう電車が来るんで上熊谷駅に戻った17:15に2083レと思しき列車が通過。


枕木が消えかけてる旧妻沼線の線路を撮ってこの日は終了。

昨日も出勤で撮り鉄してません。まあもっとも雨でしたけどね。来週はまた昔の写真かもしれません。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年初撮り鉄は秩父鉄道へ

2015-05-10 21:48:13 | 関東近郊、JR特定線区外と私鉄


載せるのを忘れていました。3月に帰省した時、何年かぶりで「せと久」が営業してるのに当たり持ち帰りを頼んで埼玉まで空輸しました。


他の店に比べると段違いに美味しいですが、さすがに時間が経って堅くなるとだいぶおいしさも損なわれますね。レンジで温めるとエエと書いてありますね。


看板は「せと久」ですが包装紙や説明書きは「瀬戸久」。今年もあと二回は帰省の予定ですが開いとるかいな・・・


徳島ついでに海苔も。例によって愚妻が首都の諸国物産を扱う店で買ってきたものです。


エビ・カニが生息する海域で採取されたそうです。子供の頃食べいた海苔は、時々藁の破片が入っていたんですが、ちりめんじゃこに混じっていた蛸や海老の子供が「不純物」扱いされる現代ではそんなもんが入っとったら大問題・・・おいしい海苔でした。


こっから本題。前にも書いた様に起きられなくて近場にしたのが正解だった秩父鉄道。4ヶ月以上の空白期間を超えて記念すべき今年最初の一枚はこの前の逆行側。掲載は写りの良い後追いにします。シックな良い配色ですね。


ご覧の通り、今回も武川から始めました。8:52に単機。今年のダイヤは未だ用意して出来てないんで去年のを持って来ましたが時間は変わってないようでした。


こちらは9:13の単機を後追いで。ここは冬場は両方のパンタを上げるんですが、さすがにGWでは片方だけ。そう言えば、さっきの急行は両パンでしたよ。


ここでのお目当て、石炭列車が来ました。去年のダイヤでは9:39武川着の701レです。この写真で9:38。


さっき8:52に単機で上って行った506号機です。この機は進行方向に関係なく影森方のパンタを上げているようです。


扇町からJR線を20両編成で来て熊タで二分割した10両編成。手前が熊谷からの旅客線で、今ホキが通ってる線が三ヶ日を経て熊タに繋がる貨物線です。真ん中は使われて無さそうな引き上げ線。


続いて9:49に三ヶ日からの石灰石返空。9:13に単機で行った105号機の牽引です。


先の方には、これから三ヶ日に向かう石炭列車と石灰石積車が出発待ちしています。5連休初日とは言え貨物輸送健在で頼もしい。


武川で方転した石炭列車が9:54に三ヶ日へ向けて出発。9:45頃、熊タから到着した列車の機回しあるんで武川寄りで構えて居ればこいつも撮れます。


この日最高の一枚です。


下るために武川駅に戻って来ました。10:09の7004レ発車はホーム端から。


下り電車でやって来たのは和銅黒谷。なんでここに寄ったかと言うと食料調達のため。以前は寄居駅横のスーパーでしたが、そこが撤退後は駅から一番近いコンビニはここだと思います。


朝、武川で撮った石灰石返空を牽く105号機。11:24でした。ちょっと柵が写り込んでますね。


秩父鉄道は単線でも貨物列車が多いので交換可能駅が多いですね。ここでも上り各停と交換。機関士さんは早速停車位置確認。有効長が長く停止位置目標もいっぱいあります。


続いてやって来たのは影森駅寄居方の踏切。武川で石炭列車を撮った後はパレオエキスプレスを待ち構えるのが常です。


同じ踏切から寄居方を見た所。右の線は引き上げ線の様です。


一つ先の警報機の無い踏切から影森駅構内を望んでいます。電車が走ってるのが三峰口に向かう旅客線、左側の線は三輪線の様です。その間の線は引き上げ線かと思っていましたがウィキによると武甲線かもしれません。


最初の踏切でパレオを撮る事にしました。影森ではこれまで三峰口方の踏切で撮っていましたが、いつも駅を出て反対側に向かう撮り鉄の方が何人かいたんでいっぺん来てみたかったんです。


とは言え今回はだいぶ時間があるんで駅横を彷徨きます。構内では西武のクロスシート車が休憩中。4000系と言うらしいですが、いっぺん乗って見たい車輌です。


引くと手前には側線が多数。武甲線は廃止、三輪線も輸送量は少ないそうで影森発の石灰石列車のスジはありますが見たことはありません。


こういう建物をバラックと呼んでいたと思います。現役の様ではあります。


貨物ホーム(の跡?)たぶん今は列車で荷扱いはしてないと思います。昔は石灰石やセメント以外を運ぶ貨物列車も走っていたんだろうなと思います。


良い感じですね。構内の感じや遠くの山の様子は上信電鉄の下仁田駅に似ています。架線が未だ残ってるのでコンテナ輸送でも始まると良いですね、折角JRと繋がってるんですから。


パレオの時間が近づいたので最初の踏切に戻りました。ホンマにエエ感じです、いつかここで上りも撮りたい。影森のホームはずっと右側です。


陽炎の向こうからパレオがやって来ました。この踏切は狭い割に人車とも通行量が多く待ち構えるには不向きでした。


やっぱり装飾過剰な気がします。パレオは正面から撮ってはいけない機関車だと思います。


ちょうど両渡りが在る所で架線もいっぱい。


ゆっくりではありますが、影森駅は通過です。この写真で12:35。


これまでは列車が通過した踏切付近で撮っていました。


その後、これも毎度の波久礼に移動。続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今回もまた46年前の写真です

2015-05-04 00:20:31 | 蒸機時代の徳島で撮ったん


黄金週間が始まりましたね。で、5月の写真は46年前の5月4日に撮った写真です。佐古でコキを増結した高徳本線上り貨物は先ず鮎喰川、次に名前は知りませんが放水路みたいな川(木造潜水橋、通称かっぱ橋が架かってました)を渡り最後が吉野川鉄橋になります。手前に葦の枯れたのが写り込んでますが一眼でない距離計連動型の悲しいところです。画面の隅にチラッと母校が写っています。


今年初撮り鉄は↑に行ってきました。当初計画では上り初電前に貨物が走っていたら浜川崎へ、ダメならわ鉄でトロッコ列車というプランでしたが、起きられたのは平日と同じくらいの時間・・・それからでも間に合うのは一番近いここでした。


それでもやっぱり撮り鉄は楽しい。鉄以外の行楽客で電車はエライ混んでましたが繁盛してるのは何よりです。


写真は現在整理中で掲載は来週以降。今回も46年前、小松島で5月5日に撮った写真です。当日の小松島、左からC1131、C58243、C58104、68692の各機です。この内、C58104と68692が当日運用に入ってます。


ちょっとアップ。C58243は松山国体?の時だったかにお召し列車を牽いたそうでステンレス製のステー等に名残があります。


やはり隣の104号機に比べるとだいぶキレイです。1968年3月以降に松山から小松島に移籍し一年ちょっと後の1969年8月付けの廃車です。と言うことは、この頃既に休車だったのかもしれません。松山にはデーテンが入った時期で、全検残り期間を小松島で過ごしたのではないでしょうか。


休車といえばこれも居ました。中二で撮り鉄を始めた頃、小松島のハチロクは58623・58685・68692の三両でした。その後、78647や78680が長野や竜華から異動してきていつの間にか休車になってました。たぶんデーテンへの置換時期が確定していて全検まで間がある機関車を廻して来てるんだと思います。


こういう余裕の写真も撮ってました。手前のC11は31号機。250Wの大型前照灯を装備してるんで容易に特定出来ます。


給炭台の向こう側では68692が出区準備中。テンダーの石炭にホースで水を掛けています。これから燃やすのになんで水をと思いますが、宇野賢吉氏の鉄路百万キロに理由が書いてあったような・・・テンダー後部では給水が終わったところの様です。


こちらの方が今日の機関士さんでしょうか。いよいよ出区ですね。


踏切を挟んで反対側(駅舎側)にある客車留置線い向けて移動開始。


先に出区していたC58104が回送を牽いて出発。徳島で方転し池田行き423レとなります。踏切待ちしてる左側のバスは未だボンネット、右側は先日廃止になった小松島市営バスだと思います。


続いて68692が牽く回送も出発。徳島で機回しして牟岐行き521レとなります。踏切の向こう、本駅のホーム横にC11が写っていますが、428レ(池田発9:40→徳島着12:12の回送を牽いてきた機関車だと思います。428レはこの頃C58牽引で、徳島からの回送はC11でしたが、時折C58も一緒に重連で戻って来ることがありました。


その回送を牽いてきたC11(この日は137号機)が給炭・給水中です。整備後、穴吹行き425レ(小松島17:24→穴吹19:27)となります。横で見ている少年、当時10才としても今は56才ですね。背景のビルは日赤病院です。


おまけ。同じ日かどうか不明ですが、赤石で撮った牟岐線貨物列車。海に近い赤石は行きたいとは思っていましたが自転車での進出限界でした。パブリカの横でカメラを構えてるのは最近出演が多いK君です。


所謂ハエタタキが未だ残っていますね。徳島周辺だと既にハエタタキの上の方が切られて収束された線になっていました。これが中途半端な高さにあって結構目障りでした。


一番赤石らしい(当時の)写真ですが、今は全然違ってるんでしょうね。鉄橋だけはそのままの様ですが。

もうあちこち田植えが始まっていますね。焦ります・・・





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする