徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

続・去年の9月、上越線の蒸機を撮りに行く途中で

2012-02-26 21:43:00 | JRの高崎・上信越、宇都宮方面

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やっと咲いてくれました。ほんとに一輪だけでしたが今週も蕾だったらどないしょうかと思ってたんでホッとしました。

初めて記事を掲載したのが2008年2月27日だったので丸4年経過しました。最近はタイトル変えなあかんなと思うぐらい関東の記事ばっかりですが今後も宜しくお願いします。

明日から一週間、小生の担当する仕事では数年に一度の嫌ぁ~な事が始まります・・・憂鬱。週末は旧友に会うのでそれを楽しみに乗り切ります。

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今春の改正後もチタ車は上越線に入ってくるでしょうか。いやそんなことより高崎の185にまた変わり塗装車が登場、冗談で言ってた157あまぎ風というより元デラックス準急色というべきでしょうか。高鉄局のこの姿勢、良いですねぇ。次は新快速117風はどうでしょうか。

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この当時は群馬のキャンペーン期間中でこんな115系が運用されていました。

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一見普通の211系ですが先頭のクモハはWパンタ車です。

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前回、サロ85激似と言いましたが分かり易い写真があったので再掲。

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結果はともかくこの配色を採用したことは絶賛します。

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相方到着。改正後は併結運転も少なくなるそうですね。

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無線操縦の移動機が音楽を鳴らしながら10両編成ごと何かの保守建物に押し込んでいきます。

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強いなぁと思ったら有名な専業メーカーの製作でした。

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個人的はオロ11に似てると思ってるサロ211または210(小生は見分けられません)。211系のサロは平屋が211と210、二階建てが213・212・124・125と6種。更に485系の廃車発生品台車を履く車両とか細部に拘ればさらに多彩。いっぺん気合入れて今のウチに撮っとこう。

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八木原です、9月23日の秋らしい空を背景に赤城山がきれいです。

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一応これでも鉄道写真のつもりです。185系が見えますか、蒸機列車もここで撮りましたが案の定黒く潰れました。デジタルの場合はホワイトバランスちゅうんを調整せないかんのやな。

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線路を挟んで赤城と反対側には榛名が。こちらは翌24日、この日は逆光覚悟でこの踏切から撮りました。

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我がFINEPIX-S2500も条件が良いと素晴らしい描写。まぁこんな天気ならどんなカメラでもきれいに写りますが。

八木原で下り蒸機を撮ると次の各停で渋川停車中に先行してもう一度撮るのが一般的です。その後上りが来るまで遅めの昼食。

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渋川です。時刻記録用で14:40通過のEH200牽引列車。貨物時刻表では下りに該当列車見当たりません。

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渋川駅構内。何本もの側線の跡が昔貨物扱いが盛んだったことを物語っています

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神奈川臨海からトラに塩を載せて運ばせている工場がありました。(写真奥の工場です)

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この日は渋川で湘南色185に遭遇。

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確かここのホーム有効長が短いので「水上」号との分割・併合は新前橋にしてるんですよね。

岩本が一番回数多いですが

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この日は津久田にしようかとフリーパスの強みを活かし途中下車。水上方にある跨線橋から撮ったものです。

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見辛いですが109系が渡ってるところが撮影名所の鉄橋です。

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駅から10分と掛からずにその鉄橋に来られます。素晴らしい場所ですが先客で満員なので別の日に改めることにしました。

結局、定番撮影地のに一つ岩本しました。

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ここも良い場所は既に満員、最初からここで待ってる方も大勢いますからね。時刻を全く捉えてなかった配給列車。大宮で検査を受けたデーテンが新潟方面に回送されてるところでしょうか。

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信越線安中駅です。去年の秋はC61復活で上越線に一日に蒸機を2列車運転することがありました。D51が牽く12系を撮ってから続くC61牽引の旧客を八木原で待っていましたが何だか人が少なすぎる。

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それもそのはず、この日C61+旧客は横川に行っていました。で、のこのこ信越線に来ましたが結局撮れませんでした。

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車窓から撮ったタキ1200の一号車。防錆塗料のままみたいな色はトキ25000と同じ赤3号かと思ったらウィキによると近似色だそうです。

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上りの蒸機も岩本や敷島で一度撮って渋川で先行した後はやっぱり八木原で。9月23日は怪しい雲がかかっていました。

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便乗タイトル、地平時代の佐古駅

2012-02-19 22:06:42 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

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ほんまに寒い、冗談やないわ。今朝はマイナス5度を下回ったようで・・・

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陽差しは確実に春になって来よんやけんどなぁ。寒さも今日が底だと言ってました。

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昨日の写真ですが梅はまたしても先週とほとんど変わりません。もうすぐ2月も下旬になるのに。

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今日はこっちが咲いていました。たぶん福寿草。

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徳島からは春一番が届きました。大安に発送ですよ、ウチのネコも妬いてるようです。

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いわゆるハウスウェディング系の場所のようです。実は小生の仕事は一番忙しい時期ですがそう言う条件下でも長距離移動する事にワクワクします。朝一番でも間に合わない様で前日最終便かな・・・

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今回のお題、佐古駅はリンク先の「ごっさん居眠り中」に「在りし日の佐古駅地上線ホーム」という記事が掲載されていましてネタが冬枯れしてる当方が慈雨のようなもんで便乗させて頂くことにしました。ほとんどが既に紹介済みの写真を寄せ集めたもんですが。

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ごっさん様の記事で1枚目の写真は北側にある高徳線ホームの徳島寄りからの撮影だそうですから向きとしては上の写真とほぼ同じはずです。

違うのはごっさん様の写真では左側の1番線の後ろが囲われて高架がほぼ出来上がっています。この時、佐古駅は2面2線に縮小されていたようですね。

それより23年前の上の写真では左側が2番線、右が3番線で旅客は2面3線構造でした。

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徳島寄りに少し引いた眺めです。キハユニ15を繋いだ列車が停まっているのが1番線になります。

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もっと引いた写真。1番線と駅本屋の間には貨物側線が2~3線あって立派な跨線橋が架かっています。

ごっさん様の記事にあるように佐古は県下唯一のコンテナ扱い駅だったようです。高架化工事はこの貨物側線と貨物ホーム用地を転用するかたちで行われたのでしょう。

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”ホームの端に、所狭しとコンテナが積み上げられていたのです”というくだりは駅本屋の蔵本寄りだったと思います。小生は専ら徳島寄りで撮ってました。

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珍しく蔵本方で撮った写真です。たぶん徳島始発高徳線上り貨物が佐古でコキを増結しているところだと思います。撮ったのは佐古駅から田宮街道に向かう道の踏切で母校の汽車通学者の通学路でした。

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これも数少ない西側で撮った写真。徳島在籍車唯一の門デフ装備機59号牽引の下り貨物が佐古に進入中、直ぐ先が踏切です。

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上とほぼ同じ場所で反対側を撮った写真です。351号牽引の上り貨物が吉野川鉄橋に向かってカーブしていく高徳線を行きます。

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こっちは徳島寄りの北側です。到着した高徳線下り貨物がコキをコンテナホームに押し込んでいます。

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同じく徳島寄りですが上とは線路を挟んで反対側、眉山寄りです。遠方に見える屋上に車を載せた自動車修理工場の建物は今でもあるそうですね。

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線路の両側とも田圃でしたね。二軒屋もそうですが徳島から一駅でこんな風景でした。

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徳島寄り北側の田宮川から引き込まれた貯木場、眉山を背景に徳島線上り424レです。

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結局、ごっさん様がお探しの貨物駅らしい写真はありませんでした。

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42年前の四国連絡比較

2012-02-12 22:09:10 | ダイヤと車両

アンパンマントロッコが震災地の支援で東北・常磐方面に出張してくるそうです。徳島の御大から撮って来てと依頼がありましたが回送も含めて情報収集しないとです。JR四・東・貨物各社共通のリリースによるとELやDL牽引もあるそうです。185系が運転出来る要員が限られるのか?

運転要員と言えば関東ではニュースにならなくて最近知ったんですが1月16日深夜、本四備讃線でマリンライナーが立ち往生して救出に6時間かかったとの事です。原因は塩害による屋上の絶縁不良だそうです。EF81やED75-700は当初から塩害対策を施されていますが、考えてみれば本四備讃線も塩害が考慮されてしかるべき線区ですね。

もう一つの問題は救出に時間が掛かりすぎです。ネットではDE10-1139が救出に「駆けつけた」そうですが運転士の手配に手間取ったんだとか連結の交換に時間が掛かった・・・等の噂が出ています。青函トンネルでは非常時の救出用にDE10×2と控え車を常駐させてると読んだことがあります。今回DE10は両頭連結器に交換したのか、あるいは間に控え車を挟んだのか不明です。事故車が停車したのが「高架橋」と書いてありましたから海上ではなかったようです。これが備讃瀬戸大橋なんかの上で長時間電気も空調も止まったままだと大問題になっていたでしょう。これを機会に塩害対策と救出体制が整備されると良いんですが。

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定点観測的に今日撮った梅です。先週とあまり変わりません。

先日、亡父が購読していた1970年代の世界の艦船を整理していて裏表紙に内海航路の宣伝がありました。

当時の世界の艦船の裏表紙はだいたい三菱重工(モノクロ)でしたが稀にそれ以外もありました。それは別記事で紹介するとして、確か南海四国ラインの宣伝も見たことがあったなぁと探しまくったら何と鉄ピクの裏表紙でした。

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これです。他にももっと違うのがあったように記憶してますが見当たりません。

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表紙はこちら。1968(昭和43)年11月号です。趣味誌に地域限定の宣伝をする効果がわかりません。

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難波-和歌山港間は11001系特急「四国」号、航路は既にフェリーも投入されています。小松島港からは高知へ直通する国鉄の急行。

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ところでこの南海の四国連絡特急は「四国」号だと思っていましたが今回古い切符を確認すると「あわ」号というのもありました。当時高徳線には「阿波」がありましたが漢字とかなで棲み分けていたようです。小生は高校生の頃で亡父が乗った切符だと思います。

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小松島港-高知間急行というと以前紹介済みですが「いしづち」と併結の「阿佐」ですね。

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南海四国ラインは大阪-高知最速を自慢していた記憶があるんで確かめることにしました。残念ながら小生が持っている時刻表は’69年5月号でした。

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列車名はよしの川に変わってますが時刻は先の宣伝と同じようです。

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小松島線をアップで。よく見ると宣伝とは少し時間が違っています。この時刻表が44年春の改正後ですからね。7:08発の高松行きがあったのに今頃気付きました。何度も言ってますが小松島港発の列車番号は奇数(下り列車)ですがこの列車だけは高松起点の高徳線に合わせ偶数になっています。

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南海汽船。上の方には共正や共同汽船もありますが共同汽船は既に関西汽船とのフェリー運航に移行してるようでかちどき橋のたもとから出ていた大阪航路は休止中となっています。

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南海。四国連絡より南紀直通の方が目立ちます。この頃はキハ55と同型の自社気動車を国鉄急行に併結させて直通していました。昔は自社線では付随車扱いの車両を国鉄客車列車に併結させていたそうです。

大阪-高知間の比較となると関西汽船に大阪-高知航路がありました。

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2隻でデイリーサービス、かなり需要があったんでしょうね。深夜の淡路沖ですれ違うダイヤのようです。

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関西汽船は大阪-小松島航路も運行していて南海四国ラインと競っていました。昼行便の他に夜行も一往復、フェリーが増えてきていましたが純粋な客船もまだまだ瀬戸内海を走り回っていました。

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国鉄を忘れてはいけません。時刻表の初めの方にある連絡時刻表では新幹線が岡山開業前なので徳島は相手になりませんが高知・松山には夜行便も含め多数揃っています。

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南海四国ラインと関汽・小松島航路利用時の大阪→高知の連絡時刻表です。見辛くて恐縮ですが難波9:55の接続が一番早くて所要は7時間23分です。

右側は関西汽船の小松島航路で南海より海上部分が長い分だけ時間が掛かっています。天保山8:20発の昼行便で所要8時間58分。小松島港からの接続列車は南海の最速連絡と同じ池田から土佐2号に併結されるよしの川4号です。接続列車を目指して5分差で入港するのがスゴイです。

国鉄と汽船各社の連携も良くて各便毎に接続列車がちゃんと用意されています。宇高や青函のように国鉄直営航路は当たり前ですが少なくともマル連印のある所は配慮が行き届いていて公共交通の王者であった国鉄の貫禄を感じます。

よしの川が池田から乗り換えなしで高知まで直通しており急行料金も一列車分で済むようになっています。

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こちらはその国鉄利用の連絡時刻と右端が関西汽船・高知航路です。

大阪14:35発の急行鷲羽7号からの連絡を最速の7時間33分としています。時間だけなら左の特急うずしお2号から始まる連絡が30分以上早いんですが特別料金が必要な列車を含めるのは航路も特二等くらいにしないと時間でもそれ程優位性が無いので不公平となると外しました。

関汽の直行航路は室戸岬を大廻りして行くこともあり時間は倍近く掛かりますが乗換なしと運賃の安さが魅力だったんだと思います。

比較をする基準を「早くて安い」にしました。流行りの費用対効果が高い連絡はどれかということです。

所要時間の順は南海、7時間23分>国鉄・宇高航路経由、7時間33分(急行利用)>関汽・小松島航路経由、8時間58分>関汽・高知航路、13時間30分となります。海上部分が短いほど早いですね。

一方、運賃の順は国鉄、1,880円>南海、1,620円>関汽・小松島航路、1,510円>関汽・高知航路、920円。各運賃は二等利用、国鉄部分には急行料金を含みます。所要時間と逆で航路が長いほど安い。

分かりにくいので指数化して表にしました。

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結果はご覧のように関汽・高知航路が時間は掛かるものの運賃の安さで大きく稼いで一位となりました。実際には13時間以上も船に揺られるのを敬遠する人もかなりいたんではないかと思います。夜行で日中が有効利用出来るのも利点ですがもう2~3時間早かったらなぁ。南海は一番バランスの取れた連絡ですし、速さだけなら国鉄を僅差で押さえトップ(但し国鉄の特急利用には負けますが)。

国鉄も健闘しています、関汽・小松島航路利用はやっぱり高いんでしょうね。ただ船は関西汽船が一番良いと父が言ってました。

この頃は小松島港駅ホームの直ぐ裏が南海汽船・関西汽船が着く岸壁になっていて、それこそ目と鼻の先で船車連絡が行われていました。小生も子供の頃、ほんの数回大阪の親戚に連れられて行くときに小松島航路を利用していますが徳島-小松島間はバスでしたね。

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参考に現行の連絡時刻表を作ってみました。

南海は四国側の港が小松島から徳島に代わりJRダイヤは接続を全く考慮してない作りです。難波~和歌山港~四国側港の間は昔と変わりません。徳島線各停の鈍足を南風の振り子が補って総所要時間は40年以上前とほとんど変わりません。

JR←国鉄は新幹線+振り子特急で往年の半分くらいに短縮。但し運賃+料金は比較になりません。

現行最強は何と言っても高速バスですね。まさに「早くて安い」の典型でしょう。

次回は同時期の大阪-徳島間を比較してみます。

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去年の9月、上越線の蒸機を撮りに行く途中で

2012-02-05 21:06:41 | JRの高崎・上信越、宇都宮方面

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タイトルとは全く関係ありませんがちょうど41年目の今日、宇高経由で神戸に行っていました。泊まったのは確か京都だったと記憶しています。そして帰りはまたも神戸から鷲羽に乗りました。 三ノ宮からの急行券は赤い紙が剥がれています。写真保存用のアルバムに貼っていましたが糊が案外強く剥がすのに失敗しました。

しかし寒いです。ずっと最低気温が-6度から-4度くらい。今日はちょっと緩んだ感じでしたが梅は全然咲いていませんでした。去年はちょっとだけ咲いてたんですが。開花を司るのは日照時間だそうですがこうも寒いとやっぱり嫌がるんでしょうね。

寒さで撮り鉄休業中。Nもさっぱり・・・で未だ去年を引きずってます。

上手いこと撮れなんで写真出してませんが昨秋はC61復活もあって上越線に随分蒸機を撮りに行きました。

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その都度、ここ新町駅で一旦降りました。その理由は

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この企画切符を購入するためです。ピンボケですが発売は群馬県内限定なんで高崎線で入る小生は群馬県最初の駅である新町でこの切符に切り替えていました。私鉄も利用出来てお得な切符でした。

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こんな事でもないと降りることはないので少し撮っておきます。 最初の写真のように中線は使用中止、貨物側線も昔はいっぱいあったようです。

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脇に昭和的な工場があり、作ってるのが鋲です。スカ●ツリーも鋲が使われてるそうです。

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同工場正門。なんとも趣があります。

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撮影データでは7:48で2090レだと思うんですが小生作製のダイヤより6分位早い・・・カメラの時計が合ってないのかダイヤの精度が低いのか。一番最初の時は切符購入直後に583系の上り臨電が通過し悔しい思いをしました。

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貨物列車は間に合わなくても時間記録用に取り敢えずシャッターを押すように心がけています。7:31通過、2083レで間違いないと思います。

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貨物列車の発着がある倉賀野も降りてみました。7:43撮影、デーテンがタンクコンテナ積載編成を入れ換え中。

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地図で見ると本線からかなり離れた所にいくつか事業所があります。

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高崎で出発準備中のD51。煙が漂ってきて良い匂いです。

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件の企画切符は上信電鉄も利用可なんで改札を入ってみました。

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一つ屋根の下、柵の向こうはJRホームです。

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小さいベシンですが今時ホームに洗面設備がある駅はそうそう無いです。

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ほとんど写っていませんが「宇都宮」幕を出しています。両毛線を経由して直通する列車があるようです。緑地だったら往年の上野駅の雰囲気です。

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群馬県で高崎と並ぶ鉄道拠点、新前橋です。上毛三山を表しているという185系の塗色が映えます。

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小生は同じ185ならチタ車の湘南配色より群馬色が好きです。

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新宿あかぎにはチタ車が入ります。一旦前橋まで回送して営業列車として再び新前橋に寄ります。

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高崎・上越線は基本は南北に走ってるんで午前中の上り方面に向いては逆光になります。

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チタ車が入ると言うことはこの斜めストライプ車が来ることもあります。回送は8:54着。

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8:55に並び。

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前橋で折り返しての営業列車は9:15。

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逆光をものともせず上って行きます。

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チタの特異車が斜めストライプならシマ車はこれです、なんちゃって80系。

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先頭はクハ86に?ですがサロは等級帯復活かつ窓の大きさが丁度でサロ85に激似、一方普通車がサロ165にそっくり。

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これも時間記録用、8:52通過なんで2092レだと思います。

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こちらは別の日、同じく2092レ。

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蒸機列車はまだ時間があります。このシリーズもう一回行けそう。

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