徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

南海フェリーで徳島帰省

2009-08-30 18:52:34 | 乗り鉄と帰省の道中

おかしいなぁ、苦労して作成した記事を投稿してみたら白紙・・・OCNが悪いのか、それとも使い方が間違ってるのか。

気を取り直して再作成。

それにしても選挙結果凄いですね。我が家は久しぶりに家族揃って投票。どこでも良いんですが景気対策をまずやって貰わないと冬のボーナスが出なくなりそうです。

前回、敦賀で夜明けを待っているところでしたが

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やっと小浜線の始発列車が入線してきました(右端)。遠くの山は北陸トンネルがある近畿と北陸の境界だと思います。

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↑小浜線の125系。JR西のローカル車両には珍しく新製車(地元の援助があったそうですが)です。てっきり113のリニューアル車が未だ走っていると思っていたので意外でした。

ワンマン対応の両運トイレ付き。我がJR四国の1500によく似た構造ですが、シングルアームパンタが電車の証し。

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↑米国プレジデントと同じ名前ですが質素な駅です。左後ろの看板は「琵琶湖若狭湾快速鉄道」です。初めて知ったのですが、大雑把に言うと湖西線近江今津と小浜を短絡させようという路線のようです。

東舞鶴からは「まいづる4号」に2分で乗換。接続が良すぎて写真はおろかたばこを一服する時間さえありません。この日は京都・大阪でも吸えず結局和歌山まで6時間絶煙出来ました。その気になれば出来るんだ。

「まいづる4号」は4両編成で自由席は先頭1両だけなので結構混みますが、車両は485系からの直流化改造車で先頭車は片デッキ。一カ所の入り口に群がります。

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↑特急として使うにはそろそろ限界だと思いますが、シートの背カバーに見慣れぬ小袋が付いています。何に使うんだろうと思っていると、乗り慣れた感じの方は座ると同時に特急券をここに入れています。こうしておけば寝ていても検札できるという仕組みのようです。

舞鶴は旧軍の鎮守府や工廠もあった軍都で時間があれば港くらいは見てみたいところです。

何十年ぶりでしょうか、山陰線で京都に入ります。駅がきれいになっても山陰ホームは相変わらず外れにあって、ずいぶん歩いて新快速に乗り替え大阪からは混雑する環状線ホームで紀州路快速に乗り和歌山へ。

ここでやっと一息つくことが出来ました。

大廻りの乗車券を記念に取っておこうと、和歌山市までスイカで入場したのですが和歌山市駅が南海管理駅のせいかスイカで出られません。結局証明書をもらって後日JR駅で精算することになりました。

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↑和歌山市まで乗った105系車内。昨夏、和歌山線経由で帰省したとき以来一年ぶりです。名前は違っても中は103系のまんまです。帰りに乗った加古川線の車両なんか徹底的に改造されてるのに103系を名乗っておりちぐはぐです。

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↑和歌山市駅にて。JRのホームはここだけで右側は総て南海です。

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和歌山港駅の由緒ありそうな駅名標。全国に「港」の付く駅名はいくつかありますが、未だに船車連絡が行われているのはここぐらいでしょうか。

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サザンの指定席車両の窓を通してフェリーが見えます。

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いよいよ最終コース。JRから南海そしてフェリーと同じコースを辿る方が何人かいました。ちょっと嬉しくなります。

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本日は「かつらぎ」。おじさんとしてはやはり「丸」の付いた名前がいいな。余談ですが、船内の自販機は陸上より20円位高いので乗船前に購入されることをお勧めします。

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↑出航後しばらくすると阪神方面から紀淡海峡を抜けて太平洋に出る航路を直角に横切ります。当日は風が強くかなり揺れました。

Simg_0060_2

↑沼島が見えるところで僚船と交換。この航路は全行程視界から淡路島が消えることはありません。

そして約2時間、モーニングを一冊読み終わった頃

前方に眉山が見えてきました。

Simg_0067_2

右端には小さく城山も。徳島での夏休みが始まるわくわくする瞬間です。

この後、連絡する市バスに乗り込んだのは5・6人だったと思います。

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急行「きたぐに」で徳島帰省

2009-08-29 23:10:00 | 乗り鉄と帰省の道中

待ちに待った夏の帰省。

例年、途中どこか未乗区間に乗ることを課題にしております。

今年は近畿地区の未乗区間、小浜線に乗り且つ南海フェリーで明るい内に徳島に入りたいと計画しました。

逆算すると小浜線は始発に乗る必要あり。

最初は「能登」を考えましたが全然間に合わない、「北陸」でもダメ、「サンライズ」は米原通過だし。

で、行き着いたのが「きたぐに」です。

難点は敦賀に4時過ぎに着いた後、小浜線の始発まで約2時間もあること。

これについては貨物列車が結構通るだろうからそれを撮って過ごすことにしました。

次の難点は「きたぐに」に普通車指定席が無いこと。

乗車時間4時間では寝台は高すぎるし、そもそも寝過ごしが心配です。

グリーン車は4千円、普通車が一杯なら使うかな・・・

ついでに普通車に喫煙可能車両が7月で無くなってしまったのも難点ですが、

これは喫煙可能な寝台のデッキで吸えるだろうと勝手に判断。

で、普通車で喫煙可能寝台車の隣にある4号車に乗ることにしました。

ここで最近の「きたぐに」はどんな様子なんだろうと検索してみると、こちらに↓行き当たりました。

http://waga.nikkei.co.jp/travel/rail.aspx?i=MMWAjp000012092008

経済専門紙がこんなことをやっていたとは、やはり「鉄道」は静かなブームです。

それにしても、よく考える方がいるものです、目からウロコ。

その結果、自宅のある高崎線から上越新幹線(長岡)信越・北陸線(敦賀)小浜線(東舞鶴)舞鶴・山陰線(京都)東海道線(大阪)環状線・阪和線(和歌山)紀勢線(和歌山市)南海電車(和歌山港)南海フェリーという経路になりました。

昨夏は桜井線・和歌山線経由南海フェリーで帰省しましたが

東京都区内→和歌山市の乗車券を購入する際、和歌山→和歌山市間を「阪和線」とメモして渡したせいで窓口女性の方が混乱して結局翌日受け取りになりましたが、

今年は正しく「紀勢線」と書いて5分で発券完了。

多少の不安はあるものの、当日は職場を定時で退社して自宅でフロ・メシして約18時間の帰省に出発。

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↑夜10時過ぎの熊谷駅新幹線ホーム。新潟行最終のMaxとき353を待っていたのは私の他は1人だけでした。

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↑E4系に乗るのは初めて、かつ上越新幹線の上毛高原より先に乗車するのも実は初めてです。

夏休みのせいか東京で行楽して帰る若者が目立ちますが、2階に座れました。

一時間弱で長岡に到着、約30分後の「きたぐに」を待ちます。

すぐ寝られるように缶ビールを買おうとするとキオスクは全部閉店済み、自販機もアルコール類はなし。仕方ないので駅員さんに訳を話し(乗車券は宮内経由)駅前のコンビニまで走りました。

普段、夜行の利用者が少ないのでキオスクも商売にならないんでしょうね。

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↑国鉄時代の香り漂う583系のデッキ。

長岡で「きたぐに」を待っていたのは20人位。最初、すぐ後に来る上り「MLえちご」を待つ人もいるのかと思っていましたが全員「きたぐに」のようでした。

入線してくる列車を覗いてみると1ボックスに2人位座っているので、こりゃ座れてもきついな、と思っていると長岡下車の方が多く、目標の4号車で1ボックス占拠出来ました。

周りのボックスには東京や新潟のイベント帰りと思しき若者が多く、大阪まで乗る人は少なそう。

案の定、柏崎・直江津・糸魚川とどんどん下車してガラガラになります。その時撮ったのが↓

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4号車はパンタ付き。昔、寝台使用時に狙い目と言われた車端パンタ下の2段寝台部分です。それにしても40年前、昼夜兼行電車特急車両として寝台の格納方法は凄いです。基本はオロネ10等のプルマン式と言われるタイプですが、2段のロネと違って3段分を格納し且つ昼間は座席特急として使用できるよう空間を確保しています。写真の荷物棚は寝台設廃時通路側に反転させ中・上段寝台が通るスペースを作ります。

この時写真撮っておいて良かったです。糸魚川を過ぎると今度は大阪方面への始発列車となって海外旅行に出かけると思しき巨大なスーツケースを持った方などが乗り込んで来て敦賀下車時点では1ボックスに1~2人といった状態でした。

ボックスシートとはいえ特急に使っていたのでシートピッチは広く、昔の並ロ(オロ35・40)と同じ位あるそうです。

皆さん色んな寝方を試していましたが、下車時に寝付いた姿を観察すると線路と直角方向つまり横二人分の座布団に体を折りたたんで寝ている方が多いようでした。

たばこは車掌さん確認するとやはり5号車デッキで吸えるとのこと。そのせいか深夜でも前から来る人がときどきいました。

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↑何の写真かわからないと思いますので解説しておくと、敦賀下車後に走り去る583きたぐにを撮ったものです。「流し」の師匠ごっさん様をまねてみましたがトホホな結果に終わりました。

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約2時間何もする事がない・・・洗面場所を探して無人の改札を出てみると駅前にタクシーが1台待機していました。日の出前の午前4時過ぎ、誰も降りなくても夜行列車を待つ公共交通機関に敬意を表します。

一昔前は交流機や交直流機の牙城であった敦賀で新快速を見ようとは思ってもいませんでした。

Simg_0020

時間潰しに期待していた貨物列車は思ったほど来ませんでしたがEF510を一度だけ見ることが出来ました。写真は北陸線名物「薄汚れた81」です。

Simg_0021

北陸線には5時台からバシバシ列車がやって来ます。なのに小浜線始発まで後1時間もあります。奥のユニットは近郊改造の413と元・急行型475の組み合わせ。

だいぶ長くなったので続きは明日にシマス。

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徳島のダイヤ

2009-08-16 21:51:01 | ダイヤと車両

徳島では阿波踊りも終わってしまったようですが

お盆の時期は電車が空いていて通勤が楽で良いです。

ここ数年、お盆休みが分散したと言われていましたが

今年は12日以降に集中していてような気がしました。

さて、南東風の休みはこれからですが

徳島での撮り鉄に備え2分目ダイヤをエクセルで作成しました。

「21natu.xls」をダウンロード

今回行きたいなと考えている

土讃線箸蔵、第1・第2吉野川鉄橋、徳島線川島

それに高徳線大坂峠を含む区間です。

地元の方はもっと良い資料をお持ちかとは思いますが

良ければお使いクダサイ。

原型は一昨年の夏、阿佐海岸鉄道初乗のついでに

牟岐線で撮ろうとしたところ

あまりに本数が少なく効率的に撮れる場所と時間を探すために作ったのが最初でした。

各停は全駅の発着時刻が出ていますが

さすがに特急の運転停車までは出ていません。

スジを引いてみると高徳線大宮や相生、

土讃線では箸蔵で特急同士の交換があるようですが

時刻がわからないので前後の列車からの想像です。

駅に行けば通過列車の時刻も出ているようですが。

高徳線のシートでは徳島駅ホーム4線の在線状況を表示しようとしたんですが

こちらも番線情報や仕立てか駅折りかがわからず中途半端なものになってしまい残念です。

さて、こうしてダイヤを見てみると

徳島線は比較的きれいなネットダイヤになっていますが

高徳線の方はちょっとひどいですね。

理由としては特急の本数の多さ(各停に比べて)もありますが

佐古-吉成、板野-大宮、大宮-相生と

長い閉塞区間が介在しているのも一因と思います。

本数の多い佐古-吉成間で吉野川鉄橋南岸の鮎喰川との間に客扱いはしなくても信号場の様な行き違い設備を設けると列車間隔も揃い本数も増やせると思うんですが。

あとはダイヤにずいぶん余裕を持たせてるというか、もう一駅先で待避出来るだろうとか、何でそんなに停まってるんだというような場面がままあります。

もうひとつ、単線の閉塞区間の長い区間で各停が特急の追い越しを受けるとどうしても長時間停車が必要となります。

追い越しを受ける側の各停は通過待ちする駅に着いて以降、後から来る特急が前後の2閉塞区間を通過する間動けません。

閉塞区間が短い場合はともかく、これが原因の10′分近い停車が散見されます。

徳島-池谷間では高徳線と鳴門線の列車が別列車として運転されていて同区間の頻繁運転を確保しているようですが、これが逆に長時間停車を招くようなら池谷で両線の列車を分割・併合して徳島まで併結運転も考えられます。

とはいえ、現行の池谷駅の配線では無理ですね。手前の勝瑞で分割・併合ということになるでしょうか。そうなると勝瑞-池谷間は複線化できればなお良いなあ・・・

とまあ、思いつくまま勝手のことを書いてきましたが現実はそうもいかない事情があるんだと思いますが、こういうのも「脳内鉄」になるんでしょうか。

夏の徳島らしい天気を期待してます、後は早起きだけです。

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38年前の阿波踊り

2009-08-09 23:04:32 | 蒸機を撮んりょった頃に徳島でな

徳島は大雨だとニュースで言ってました、と始めようと思ったんですが

関東でも地震がありました。

だいたいこの夏関東は8月も半ばになろうかというのに

スカッと晴れた日がほとんどありません。

それでも今週は旧盆、電車が空いて通勤が楽になります。

徳島では阿波踊りに向けて盛り上げっているのが

リンク先の身内のブログから伝わってきます。

で、南東風はちょっと前の阿波踊りの写真を。

S19710814_1844

一連の写真は1971(昭和46)年8月14日(もしくは15日)撮影。

この年の夏、鍜治屋原線→「糸崎な夜」→阿波踊りと連続撮影です。

「糸崎な夜」でネオパンSSSが余ったのか、糸崎と同じ1600増感です。

S19710814_1842

↑両国の演舞場だと思います。

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↑三和銀行の建物が見えるので

新町橋の北詰から駅方向を望んでいると思います。

今なら中央右手にそごうが写るはずですが

当時は真っ暗です。

S19710814_1838

↑こちらは同じく新町橋の南詰めから眉山方向を望んだところ。

両側のアーケード街も元気だった頃です。

ワシントン椰子は地下駐車場工事で一時避難でしょうか。

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↑2枚とも場所不明です。

阿波踊りの夜は街全体が沸騰しているような雰囲気に包まれるのが良いですね。

S19710814_1829

↑これも場所不明。最初は「えべっさん」の前かと思ったんですが

向こうの通りの様子からちょっと違う気がします。

ペットボトルも自販機も無かった当時、

大きな氷を入れてどぶ漬けにして冷やした瓶ジュースが懐かしいです。

S19710814_1830

↑鳴り物の方でしょうか、かき氷で一服。

こちらも場所は不明ですが

水道局の隣の店かなと思っています。

S19710814_1831_2 

↑これは通町でしょう。右の建物は郵便局。

丁度写真を撮っている場所に

昔、粉屋さんがありました。

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↑徳島本町の歩道橋から望んだ城東高グラウンド。

臨時駐車場になっていますが、

当時から観光バスがずいぶん来ていたのがわかります。

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↑埋立の終わった元・寺島川も臨時駐車場に。

向こうは市役所前の桟敷。

市役所旧庁舎とともに東消防署の火の見櫓も見えます。

撮っている場所はちょうど現在の東消防署の辺りです。

S19710814_1834

↑前回の記事にも登場した市役所前の跨線橋から。

正面の掲示板は今でもあるそうです。

S19710814_1840_2

あと3日、台風も過ぎて天気も良いのでは。

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42年前の8月、市役所前

2009-08-02 23:56:58 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

徳島では梅雨が明けたそうですが

ここ関東内陸部は戻り梅雨が絶好調です。

ちょっと前にリンク先の身内のブログに出てた写真が元で

市役所前のワシントン椰子についてやり取りしたことがありました。

http://blogs.yahoo.co.jp/kaas1110/18384323.htm

で、その時は昔々元町や両国のロータリーから移植したんだろう

なんて書いたんですが、

どうもそうではなさそうです。

S19670900_03

今から40年以上前になりますが

1967(昭和42)年8月の撮影です。

日にちは不明ですが阿波踊り期間中なのは明らか。

地元の方に場所の説明は不要だと思いますが

右手は市役所前の桟敷、

文化センター脇の跨線橋からの撮影です。

左手にはまだ東署があったかもしれません。

ちなみにこの写真は私が初めて撮ったカラー写真で

ハーフのオリンパス・ペンDで撮影。

中央遠景は県庁旧庁舎、その手前は

埋立前の寺島川です。

さて、ワシントン椰子ですが、もちろんありません。

でもよく見ると丈の低い熱帯植物が植えられています。

正解はこいつが大きく育ったということでしょうか・・・

夾竹桃だけは今と変わらず花盛りです。

子供の頃、親から「毒やけん触ったらあかん」

と言われていました。(実家にも植わってました)

ネットで調べてみると「強毒」だそうです。

結構あちこちに植えられているので

注意が必要だと思うんですが。

千秋閣(自治会館)も古い建物です。

自治会館と線路の間にある木造建物の一番手前は

定食屋さんだったと思います。なぜか

ガラスケースの中に並んだ、桜でんぶのいっぱいかかった

ちらし寿司の皿盛りが記憶に残っています。

写っている列車は小松島港-松山・高知間の

「いしづち」+「阿佐」です。

通常はキハ26・28の2両+2両ですが

お盆の時期とあってかキハ20が一両増結されています。

キハ20で急行料金というと不当な感じもしますが

デッキは無いもののシートピッチは変わらず

どのみち冷房なしの時代なので座席の提供がサービスでした。

この列車は気動車の利点を活かした併結運転のお手本

のような列車で、特に下り「いしづち」は松山までに

あと2回併結相手を替え、終点まで単独走行することはありません。

詳しくは拙ブログの古い記事をhttp://blog.goo.ne.jp/mazenannpuu260915uptodate/d/20080302

今回、改めて写真をよく見てみると

いくつか判ったことがありました。

その①

当時は、かちどき橋から立体交差に至る

寺島川沿いの通りにも桟敷があった。

その②

この頃、寺島川は未だ埋め立てられてはなかった。

実は拙ブログでは今まで

「寺島川は立体交差を開削した土で埋め立てた」

と、さんざん書いてきました。

今更ですが、すみません間違いでした。。。

立体交差は完成してから既に6年経っています。

寺島川に丸太で足を組んで鉄管が新町川から

延びて来ているのが見えると思いますが

これは新町川を浚渫した泥を送り込むものです。

こちらの写真をご覧ください↓

S19670900_04

最初の写真と同じ時期に

富田橋からかちどき橋方向を望んでいます。

新町川の真ん中に浮かんでいるのが浚渫船。

左側の吸い口を川底に入れ泥を浚い

寺島川に送るパイプが延びています。

こちらの列車は徳島から池田行き423レとなる

小松島からの回送列車です。

後にC58牽引となりますが当時は未だ8620です。

機関車の向こうに共同汽船の上屋がチラッと見えます。

当時、少なくとも共正海運だけは

県庁前の新町川から阪神航路を未だ運行していました。

昔の徳島の事になると次々と思い出が浮かんできます。

今夏も帰省したら写真をいっぱい撮ろうと思っています。

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