毎月最終日曜に新町川沿いに市が立つんで、だいたい毎回行ってます。左のは気になる学校やったんで買ったんですが、カヌレの方は固くて歯が折れそうでしたわ。学園祭ならともかく、商品として売るならもうちょっと他のを見て欲しいなぁと思います。右のは毎週情報収集で見てる「よしの」様のとこでよく見かけるんで買ってみました。こっちは未だ食べてません。
最近の本の話。先ずは一番買おうか迷ったヤツ。中身は115でも撮影場所でエエとこ見つかるかもしれんとは思ったんですが、この本の楽しみな記事である貨物時刻表が東海道本線東京口で、今後行く予定もないんで結局パス。
貨物と言えばこちらの来月号の特集が待ち遠しい。今までこの欄に来月の特集が出るんは初めて。別冊のオハ35は前にも特集されてて持ってる。
紀行文がまるでぶらタモリを文字で読んでるような感じで、世間の評価も高いRJ誌は先月号を今読んでます。なんで先月号かと言うと、最近この本は図書館で借りられることが分かったんです。貸出解禁は次月号が出てからなんですよ。
ちょっと古いですが、これも借りて来ました。私鉄と言えば新京成が京成に吸収されるとか、箱根登山鉄道の社名から登山鉄道が外されるらしいと言うのがボビダスで出てました。新京成は関東唯一の「準大手」だったそうで、これで関東から準大手はなくなるらしい。そうなんやと思って検索すると、相鉄は「大手」になっていて、神鉄は準大手から中小に格下げされたそうです。
これが今年の初撮り。初詣臨の上りを撮るために中洲へ。ゾロ目の555Dから開始です。
去年の正月は工事中だった阿波銀子会社の建物が完成して、線路に近づけるようになりました。
三河家の建物の真横です。古い洋館には冬の曇り空がよう似合う。
カモメの水兵さんも整列完了。
ヘッドマーク入れな意味ないなと思ったんですが、ここはあんまり良うないですね。だいたい、正月から下り勾配っちゅうんがアカン。
この日は弁天山に初詣に行くんで富田駅に。やって来た534Dが今年の40・47初撮り。
富田の駅は緩い勾配途中に無理矢理ホームをくっつけた様な停留所タイプ。
やっぱり幌枠があると顔が引き締まります。
弁天山の最寄駅、地蔵橋駅で535D。今は中途半端に家が増えて撮りづらくなりました。
夕刻、再び初詣臨上りを撮りにかちどき橋へ。夕陽を浴びて555Dが来ます。
この日は橋の上で逆光で撮影。
4556Dは順光側に回りました。
明治42年と言えば1909年。百年以上前の鉄橋です。
ここはやはり三河家住宅とセットで一枚。
カモメを蹴散らします。
顔は少し陰になりましたが、ヘッドマークは見えます。
後追い。下りを撮れば良いんですが、寒くて早起きしとうないんですわ。
上の写真で道路に掛かる桁は戦後製でした。
ここからは松が開けた平日の朝、風がなく比較的暖かいと言う予報で早起きして527Dから。
曇ってるので朝は逆光となる上流側から撮りました。
阿南以遠からの始発522D。まだ日の出が7時過ぎで、おまけに曇りだと銀色車体は映えません。
ここらも昔よく撮りに来ました。
1968年。
524Dは少し離れて富田橋の袂から。こちら側の岸にいるのは青鷺。
3連は526D。
5052Dは富田橋の上から撮ったんですが全く映えず失敗です。
次の40・47の534Dまで1時間くらいあるんで公園の方に行く途中、市役所前で入換に出て来た1200。8:37でした。
更に立体交差の所で4002Dで着いた編成の半分と思われる185。こちらは8:42。
公園内の線路際で532Dの到着を。
撮った場所から駅方向を見ています。手前の堀は城跡のお濠に繋がってて、昔は寺島川を介して新町川にも繋がってました。
洗浄線にはさっき入れ換えしていた185が入ってます。
この辺は昔のまま。県庁所在地で、駅裏に車両基地があるところも珍しくなってきました。四国だともう徳島だけかな。
城跡ですから所々石垣も残ってます。向こうの建物は今にも潰れそう。
駅のホーム。中央はJR系ホテルで、脇の木造ホーム屋根はまるで国鉄駅に乗り入れていた地方私鉄の駅みたいです。
時間になったので最初の場所に戻って撮りました。
そのうち灌木や草が茂って視界が遮られそう。これを撮ってオシマイです。
今でもニュースのトップは能登の震災関連。そんな中、先日は阪神・淡路大震災から29年との報道。あの頃、私は親会社に出向中で、当日の朝はそこの休憩室にあるテレビで横倒しになった阪神高速の映像を見たのを鮮明に憶えています。このカップは神戸に本社があるUCCが支援・応援のお返しとして取引先に配った物で、今でも愛用しています。但し、飲んでるのはUCCではなく、同じく神戸に本社があるネスカフェのエクセラですが。
前に載せた、通っていた幼稚園が取り壊された件の続報。
正門横の桜の木が気になって確認してきました。
これは南門?から見たところ。建物はすっかり解体されて更地になってますが、桜の木は残ってます。近所の方に聞いてみると、この木は残るそうだと関係者が話してたとのことでした。跡地は周囲の低い石垣を撤去して市役所の駐車場になるらしいとのこと。そう言えば、水道局の跡地も駐車場になってますが、まだまだ足らんのですねぇ。結局、旧・文化センター跡地も「取り敢えず」駐車場になるんでは?
解体や閉鎖の話が続いてアレなんですが、新町橋の袂にあったみずほ銀行徳島支店が駅前にある系列証券会社と同居することになって移転しました。
有人窓口を残すと言うことで効率化を図るなら移転は止む無しですが、さてこの戦前からあると言う建物はどうなるんでしょう?
2023年の撮り納めは、やっぱり本線で貨物列車撮りたくて神戸方面へ。
いつものように始発の高速バスで出発、須磨海浜公園西方の踏切で55レから開始。
日は昇ってますがまだ125分の一秒。もっと前にシャッター切ろうと思っても合焦できず辛うじてはまりました。やっぱりR10が欲しいなあ・・・
大好物の1051レです。こう言う整った編成が撮れただけでも寒い中4時に起きた甲斐があります。
今や貴重となりつつある桃太郎のオリジナル塗装車がよう似合う。
街中を走る配達のトラックもこの塗装になってきてますね。私は未だにこの会社と言えば緑の印象です。
次は1053レ。機関車が通過した所の踏切ならホーム横を傾いて通過するところが撮れるんとちゃうか?と思ったんですが。
初めてここに来たときチェックしたハズやし、その後撮ってないんはアカンと言うことか。「関西・関東鉄道辞典」様のサイトでもファンスが邪魔になるとありました。そのうちもういっぺん見に行ってみます。
2号線を潜るところですが、斜めに横切るんで片側にしかトラスがない様に見えます。
ここで気動車特急。後で画像見たら正面に何か貼ってある。検索したら鳥取県がコナンのステッカーを貼ってるらしいです。
いつも運転?の8053・8059レ。信号機入れようとしたら無理な構図になりました。
この列車もオリジナル塗装機。
やっとマンションの隙間から陽が射すようになりました。
変顔が並ぶ。「ブッサイクな顔やなぁ」「お前に言われとうないわっ!」と言う様な会話が聞こえて来そう。
年末輸送に入る前から蟹のシーズンは6両みたいです。国鉄特急色にしたらナンチャッテ82系にならんかなぁ。
下り貨物が続く時間帯が終わったんで、上り用に須磨駅東側踏切に移動。ここでも気動車特急。
ホーム横で編成がうねるとこを撮りたいんですが無理そう。
障害物検知器は我慢せなアカン。
5060レはいつも機関車次位4両空コキ。
後が揃ってるだけにホンマにもったいない。
モノクラスで振り子は無しですが、450馬力×2台だそうですから初期のDD13並です。
須磨の踏切はあんまり上手いこといかんので、名所・さくら夙川に移動。3050レと思われる列車から開始です。先端で低い位置から撮りたい所ですが、さすがに先客が居て後方の高い位置からです。
先端がアカンので下りも撮ります。これはたぶん2073レ。こちら側では動画を撮ってる方が居ました。
ここで楽しみにしていた1050レですが、なんと機関車次位に空コキ・・・後がこの列車らしい編成なんに悔しい。これ以前の何本かは来なかったんですが、この列車は定時で来ました。
どうも上りが来ないし、動画を撮ってた方が移動されたんで大阪方端に来ました。なかなかエエ感じです。
ビルの隙間から冬の低い光線が縞模様を作ってるが良いです。正面気味ですから空コキもあんまり気にならん。上り列車が写り込んでくれるともっと良いんですがね。
列車は73レだろうと思うんですが・・・カメラの時計で11時丁度、西宮の発車時刻が私の想像と違った様です。
神戸方には更にもうひとかた増え、列車は来ないので摂津本山に再移動。
時間通りなら8080レのスジで来た列車が撮り納め。この後は以前載せた2023年最高のラーメンで昼食しました。
城山を背景にクレーンが三基。
地検の建替工事が進行中。市内では解体工事の方がはるかに多いですが。
先日、この橋を初めて歩いて渡りました。県内に一箇所しか無いドンキへ家から5キロを1時間でしたからまあまあかな。
前回使った切符が良かったんで使えるウチにと、また土讃線へ。今回も朝の特急「剣山」で出発。早くホームを空けろ!と高松行き47を追い立てる様に迫ってます。
前回で第2鉄橋は冬場は午後の方が光線状態が良いのが分かったんで、今回は先ず三縄に来ました。
三好橋の袂でバスを降り、10分弱早歩きして31D+2003Dの通過に間に合いました。
この日は朝方霧が出ていて雨が降ったように濡れて良い感じです。
36D通過時には背後の山にはまだ霧が掛かったまま。
後追い。背後の山の山頂付近にやっと陽が当たるようになりました。ここの25パーミル勾配も望遠で上手く撮りたいなと以前から試行錯誤中。
特急の通過時刻表にあんパンマンの表示があったり、千年物語の時刻と運転日が出ていて地元の方のお手振りに応えてます。
阿讃山脈に掛かる陰は手前の山か、あるいは雲か?左端の水色の橋は三好橋。
反対側の高知方。霧と製材所の蒸気で良い雰囲気です。こんな時に来てくれると良いんですが。
2005Dは三好橋を入れようと跨線橋の上から。
だいぶ陽が差してきて、さっきと少し雰囲気が変わってしまいました。
約50分後の38Dは下りホーム端から。もう完全に逆光状態ですが、これはこれで良かったと思います。
ホントはホーから降りて、もう少しローアングルで撮りたいところですが、そんなことは決してしません。
これもホームの上から。もっと背後の山を入れたい。
33Dです。右手に老人施設があって、これは隠したい。
午後はまた第2鉄橋へ行くつもりなんで、バスの乗車に備え三好橋に移動。この橋はウィキによれば完成時は吊り橋だったものをアーチ橋に改修したらしいです。
橋の上から北の方を見たところ。この先に池田ダムがあって、ここらは池田湖と呼ばれてます。赤い橋は国道32号の池田大橋、背後の高い所を通ってるのは高速道。山の中腹は白地の集落か?
橋の上から40Dが三縄駅を通過するところを撮ります。だいぶトリミングしてます。
あの中継信号付近で地上から撮れる場所があると良いんですがねぇ。
この橋の上から撮るんは初めてです。
次は池田方に向いて35Dを撮ります。
良いS字カーブで、後で下のグランドに降りて撮れそうな場所を探しましたが、見つかりませんでした。
その後はバスでいつもの第2吉野川鉄橋へ行き、42Dから開始。落葉樹は完全に枝だけになってます。
貴重な各停4227D。
振り子でない一般車は制限55キロ。
千年物語はサイドから撮るべく、遊歩道を高知方に移動。
オシ16を彷彿させる中間車は元キロハです。先頭車の前寄りにあった乗降口は特大のガラス張り展望窓になってます。
橋上はぼぼ停止状態、その後は微速で通過。
赤あんパンマンで来る37Dは今回も流してみました。
ゆっくりだと流すのはかえって難しい。
この次はキュートなドキンちゃんを狙います。
さっきの4227Dが大歩危で折り返して来た4230D。いつもガラガラで大歩危の車窓を眺めるのに最適です。40分後を走るバスもあるし、次の改正で生き残ってるか心配です。
またこの構図に戻って金比羅カラーの44D。
この季節なら赤あんパンマンよりこっちの方が映えます。
最後尾の半室グリーン車は結構乗ってました。これを最後にバスで池田に戻りました。このお得なパスはもういっぺんくらい使いたい。
去年の散歩の途中で撮ったヤツ。
先ずはちょうど1年前の今日。えべっさんに行く前に撮りました。べた凪です。
1月13日。気温は高めでしたが午後から雨になりました。
上のとどっちにしようか迷ったんで両方載せます。
2月20日。
3月11日。前日から20度越で手袋止めました。今年も早う春にならんかなぁ。
3月12日。この日も20度越で春霞?
3月27日。桜が目立ち始めた。
3月29日。
3月29日。春爛漫。
4月4日。
4月5日。
4月5日。ボートを漕いでいた。
4月17日。中央警察署の前から。
5月4日。
5月6日。
5月8日。
5月9日。田岡病院の裏から。
5月12日。
5月15日。5月・6月が一年で一番好きです。
7月19日。
7月20日。去年はこの日に18切符購入。
7月29日。熱中症警報発令中。
8月6日。阿波踊り準備が進む藍場浜公園。
8月6日。台風が接近していた。
8月6日。久々の阿波踊り本格開催。
8月6日。
8月26日。なかなか入道雲が撮れん。
8月26日。
8月26日。どんどん形が変わる。
8月26日。
9月18日。
10月11日。昼寝に使っていた茣蓙を仕舞いました。
10月23日。
11月1日。
12月13日。
12月31日。翌日、能登で大地震。
あけましておめでとうございます
なんとも波乱の年明け。大晦日が日曜だったんで、年が明けて一週間経ってしまいましたが、本年も拙ブログをよろしくお願いいたします。
さて、今年最初の月初の一枚は夏の写真ですが、「さあ架けよう鳴門↔明石を結ぶ橋」と言う標語が新年らしくてエエんやないかと。寺島川が埋め立て寸前の頃。昔は新町川に繋がっていて、ここに材木が筏で貯木されていました。背後は現在「千秋閣」となっている当時は自治会館。右端には当時市役所の隣にあった東消防署の火の見櫓が写っています。左側の建物は医師会館ですが、ひょっとして今の建物は当時のまま?
徳島(小松島区)で唯一の門デフ装備機だった33号機が牽くこの列車は朝の池田発小松島港行きの422レではないかと思います。ただ、’67年8月ならこの列車はハチロクが牽いていたと思ってるんで、別の回送列車かもしれません。
同機は九州から四国に転属してきたようですから、この写真で付けている門デフも九州で装着されたんだろうと思います。ネットで検索すると、北海道に渡ってからは門デフを外され、北海道型の寸詰まりなヤツに交換されたようです。操車掛の作業性向上のため前端を切り詰めたデフはD51の写真をよく見かけますが、C58にも装備されたとは知りませんでした。前照灯は大型に換わりスノウプラウも付いていかにも北海道型と言う感じでした。最後は釧路で他機から移設された後藤デフ?を装備し、JNRマークも付いて同区のスターだった様です。現在も斜里郡清里町で静態保存されてるそうです。
去年の暮れ、撮り納めで神戸方面へ行き、昼食はテレビで紹介されていた「恵愛」に行くことに決めていました。少し油の付いたような店内が街中華のあるべき姿。
住吉の国道2号線からちょっと入った所。なんと元CEOがこの店の常連で、テレビに出る前から人気店だと言われてました。
初めてですから定番のネギラーメンと半チャーハンのセット。ストレートの細麺にそこそこ辛いスープ。そして程よい量の半チャーハンが絶妙です!去年食べた最高のラーメンでした。
年初から閉鎖・解体の話題はアレなんですが、年末目に付いたのを二件。先ずは新町橋袂にあった元交番。もう随分昔から交番としては使われてませんでしたが、いよいよ解体される様です。
去年の11月撮影。円形で横は小さな公園です。背後の川向こうはアミコ(旧・そごう)とスマイルホテル(旧・東急イン)。
年末に見たら板囲いされて建物は姿を消してました。背後の赤い広告塔が載ってる建物は再開発対象ですから、その関連かもしれません。
同じ日に撮ったのがこちら。
後のヨコシマ模様の建物は市役所。私は左側の建物のばら組でしたね。先生の名前は忘れてしもうた。11月くらいに周囲の荒れ放題な生け垣を刈ってたんですが、解体の準備だったんですね。まあ、少なくとも70年近くもよく残っていたもんだと思います。検索すると、2018年3月に閉園式があって105年の歴史に幕とありました。最後の園児は14人だったそうです。
さて、やっと本題に入ります。50数年ぶりに帰郷して市内を歩いてると、ここはなんやったかいなと思うことが多い反面、ここはまだがんばっとんやなぁと感心するとこもあります。今回は両国橋北詰から旧・両国ロータリーの方に向かって行く通りで気になった所です。
最初は両国橋袂で、交番(現在改築中)を背にして撮ってます。中央の建物は今は焼き鳥屋ですが、昔は「おおぎや」と言う喫茶店でした。子供の頃、連れてってもらったことのある喫茶店はここと新町橋南の「さくらま」でした。さくらまがあった場所は今はラーメン屋みたいですね。
両国通りを挟んで反対側にあるのが元「やっこ食堂」。看板の「こ」の字は「古」を崩したやつかなぁ?飲食店検索サイトにはまだ店名がどこも載ってますが、投稿された最新は2011年1月でした。けっこう最近まで営業されてたんですね。一度だけ入ったことがあります。うどん屋と言うか食堂と言うか、橋の向こうで今も営業中の「福助」さんと似た感じだったと思います。
花環装飾のイマデヤ。建物は変わりましたが、場所は昔から変わってません。左側の駐車場になってる所は古い地図を見るとパチンコ「甲子園」だった様です。この通りには何軒かパチンコ屋がありました。写真右手に紳士服「ボストン屋」、通りの反対側に「たけだ」果物店と何れも写真撮り忘れてますが、今も営業中です。
「いずみや」洋品店。ここも昔と変わらぬ場所で営業中。高校の頃、この付近に「レコードショップ りょーごく」と言うレコード屋があったハズです。友人がピンキーとキラーズのファンで、ドーナツ盤を買うのに付き合った記憶があります。
市役所裏から続く新内町通りとの角にあるライオン薬局、ここも昔から続いてます。写真では切れてますが、右手には「八百利」と言う乾物屋があったんですが、だいぶ前にコインパーキングになりました。奥に続く道の右側は二層の両国館モータープールですが、ここも昔はその名の映画館がありました。
上の写真を撮った場所から反対側の市役所方向を見たところ。
上の写真で左側の灰色の壁の所は現在コインランドリーですが、私は全然記憶にないものの、古い地図ではユーハイムがあったことになってます。壁の意匠は名残でしょうか?私が小さい頃、ここにおもちゃ屋があったと思うんですが・・・中央の木造住宅の背後は市役所。
ちょっと市役所寄りに入った所にある吉田米穀店、ここも昔から続いてますね。木箱にガラス戸の入れ物で豆類を扱ってるのに懐かしさを感じます。
前にも一度載せたことがあると思いますが、中央の店は高田商店と言う青果店。左隣は昔「かもや」と言う履物屋があったようです。狭い空き地を挟んだ更に左のシャッターが閉まった店は庄野肉店。
別の日に撮った写真。青果店は高齢のおじいさんが一人で営業されてるような感じです。
上の青果店の向かいは久米乳母車。ここも昔から続いてます。少子化で乳母車の需要は減っておもちゃや高齢者用補助器具を扱ってるんかな?右隣はメトロと言うパチコン屋だった様です。更に古い地図では左隣が小山助学館になってます。私には本屋があった記憶はないんですが。
中通町との角にあるヤラカス、ここも昔からあります。ヤラカスというと秋田町に立派なホールがありますが、本社はここのようです。
上の写真から中通町を両国橋寄りに渡った所で、右手がヤラカスです。横断歩道を渡った先のシャッターが閉まった所は昔は小男鹿の店舗がありました。その小男鹿の店のあったビルの裏手には昔はホテル赤石だったようですが、今はホステルになっていて大きな荷物を持った若人や外人が出てくるのを見かけます。
今度は小男鹿の店があったところから市役所方向を見ています。屋上にピンクの広告塔を載せて遠くからでも目立つこの建物は、今は老人ホームですが以前はこのままの外観でマーストングリーンというホテルでした。更に昔、私が小さい頃は両国オデオンと言う大きなパチンコ屋でした。あの頃冷房があるんはパチンコや喫茶店ぐらいで、父に連れられて入った記憶があります。
お茶屋さんの立石園。元ロータリーの所の三好園と共に古くから続く店です。ここの左側、ヤラカスとの間には昔JTBの店舗がありました。グーグルの地図を見ても表記がありますが、看板等は全然ありません。
立石園の向かい側から元ローターリーの方を見ていて、背後はコンビニのローソンがある所です。右の鉄塔は四国電力。中央左手は愛媛銀行徳島支店で、やはり昔からこの場所にあります。少し前に小さく改築されたんでATMコーナーに格下げされたんかと思ったら、ちゃんと窓口営業継続されてました。直ぐ近くには高知の四国銀行もあり、どちらも頑張ってます。今はローソンになってる通町との角には昔「スミヨシ」鞄店と徳島画廊がありました。ローソンは以前、さっきのコインランドリーの隣にあったんですが、いつの間にかこっちに移転してました。やっぱりコンビニは駐車場が無いとアカンのですね。
ダラダラと書いてきて、だいぶ長くなったんで今回はこの辺で止めておきます。