徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

小松島1968年その1

2008-02-27 18:51:26 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

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徳島で蒸機といえば小松島(当時は支区になっていましたが)です。
写真右側、給水塔の手前の線が新港岸壁への貨物線で、当時まだC11が貨車を扱っていました(残念ながら一枚も撮りませんでした・・・)。中央の給炭台の奥には転車台がありました。この写真の反対側に踏切があり、その先に駅本屋と客貨車区がありました。

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徳島から回送列車を牽引してきたC11が客留から転線して給炭台に向かいます。66号機は確か保存されていますね。

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こちらは別の日、137号機はずっと四国にいましたが、66号機の前配置は大曲でした。137は上に開いた増炭板を付けており遠くからでも識別出来ました。

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給炭と給水を終え客留に向かう320号機。前配置は渋川や武蔵五日市と関東出身です。右手にある小さなクレーンのようなものは蒸機の焚き付け用に古枕木を粉砕する機械です。当時は知りませんでしたが、TMS394号の「小松島機関区」の制作記事で後になって知りました。

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整備中のC58。’68年3月の配置表では小松島にはC58は9両配置になっていますが、午後のこの時間で区にいるのはせいぜい1~2両で、徳島に居る方が多かったようです。
写真の143号機は重油併燃装置付き。前配置が高松なので土讃線運用車だったのでしょう。土讃線といえば’50年代、高知区にD51が10両ほど配置されていたようです。’59年頃からDF50が高松・高知両区に配属されだしD51は転属、また両区のC58は松山・小松島の8620を置き換えたようで、小松島でも最盛期16両だったハチロクがこの頃は5両になっていました。

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給炭台から客留に向かうハチロク。機関車の向きから徳島発池田行きの牽引機だと思います。給水塔に木造詰め所、ハチロクがよく似合うお気に入りの一枚です。

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夕方になると徳島本線2本、牟岐線1本の徳島発列車の回送が次々と出区して行きます。ハチロクはこれくらいの角度で撮ると一番格好良く、いかにも旅客機というカンジがします。

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徳島から17:22発池田行き423レとなる回687レ(たぶん・・・)。小松島線の列車番号は徳島方面が奇数となっていました。これは直通列車の多かった徳島本線の延長部分として扱われたせいだそうです。なので徳島-中田間では同方向に奇数と偶数の列車番号がありました。

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徳島に向かうもうひとつのハチロクによる回送が回685レ。徳島で機廻しして牟岐行き521レとなります。

今回はここまで。

コメント (2)
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はじめまして。

2008-02-04 15:21:36 | インポート
    • S19670900_05

    • 昭和42~45年頃撮った写真をスキャンして掲載することから始めました。
    • 掲載写真を他で使用する場合はご一報下さい。
    •  
    •  
    • 既に当時の写真は底をつきかけています。だんだん関東の話が多くなって来ましたが、時々徳島の写真も載せますんでよろしくお願いします。

      ※OCN「ブログ人」から越して来ました。これからぼちぼち整理していきます。

 

コメント (9)
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