徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

地蔵橋~勝浦川1969年

2008-08-31 23:21:41 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

またしても再作成。前もそうでしたがかなり記事を作ってちょっとタバコして戻ると画像が取り込めなくなりあげくに再ログインしろと・・・年寄りには不向きなんでしょうか、落ち込みます。

今週末は18切符最後の一回で飯山線を完乗するべく我ながら良くできた行程を組んでいたんですが寝坊、昼前発で外房線完乗に変更。結局房総方面では久留里線が残ってしまい、18切符を半日無駄にしてしまいました。

さて今回は前回に続き牟岐線、ちょっと先の地蔵橋駅から勝浦川鉄橋にかけてデス。

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地蔵橋駅にC11牽引の牟岐線上り貨物が進入中。両端がY字分岐の島式ホーム1面という典型的ローカル駅。’69年4月の写真ですがまもなくホームに近代的な屋根が設置されます。

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地蔵橋駅に到着した牟岐線下り521レ。交換列車を待ちます。

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交換の小松島発穴吹行き425レがやって来ました。

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待ちかねたように521レ発車。こんな小さな駅でも6~7両の列車が交換可能、有効長にはまだ余裕がアリマス。さすがは国鉄デス。

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二軒屋方を望んだところ。右手奥に小山が見えます。

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地蔵橋駅を出た521レが勝浦川に向かいます。駅裏にも小山がありますがこの辺一帯は昔松島みたいな小島の浮かぶ海が隆起したのではないでしょうか。

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小山の一つに登って勝浦川鉄橋への築堤を駆け上る列車を撮りました。遠くの山は津田の国道脇にある日の峰でしょうか。

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勝浦川鉄橋を渡り終えた池田行き列車の回送が地蔵橋へ向かいます。この築堤は徳島では撮影名所のようです。午後はこちら側から撮ると順光ですが

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反対側から逆光にした写真もよく撮りました。(上の二枚の写真は’70年1月の撮影デス)

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最後に一番地蔵橋らしい一枚を。列車はもうすぐ法花の踏切に差しかかる辺りでしょうか。’69年4月2日の撮影デス。

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犬山、園瀬川1969年

2008-08-26 23:15:51 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

今日で夏休み終わり、明日からまた会社デス。今回は地元での撮り鉄が充実してたのでなにやら虚脱感がアリマス。この夏の写真は別の機会に紹介シマス。

さて、タイトルの「犬山」は牟岐線二軒屋-地蔵橋間の園瀬川鉄橋のチョイ先にある踏切デス。

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上は犬山踏切から二軒屋方を望んだところです。C58-332牽引の回送が園瀬川鉄橋を渡り終えたところです。ちょっと切り通し風になっています。

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反対側の地蔵橋方。列車は法花の踏切を通過しています。左のクルマは初代サニーだと思います。

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↑これは法花の踏切から犬山方面を望んだところです

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↑二枚目の写真とほぼ同じアングル。この辺も今はすっかり住宅地になりました。

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↑犬山踏切を通過して園瀬川鉄橋に向かう回送(徳島から池田行き423レ)

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↑犬山踏切横の切り通しを反対側の園瀬川鉄橋方から望んだところです。

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園瀬川を渡り終え切り通しに突っ込んで行くところ。’68年の項でも紹介しましたがここは良く通ったところデス。

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↑珍しく早起きして午前中に撮った写真。こちら側は午前中が順光なのは分かっているんですが起きられません。。。列車は穴吹始発の424レ小松島行きですがC11がなんと9両も牽いて快走しています。今は1000系4両が限界なのに・・・

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↑「二軒屋を出た牟岐行き521レが園瀬川鉄橋へ駆け上がって来ます。眉山も裏から見るとスカイラインの造成跡が痛々しいデス。

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上の列車が園瀬川鉄橋を渡っているところですが、1両目の客車は窓配置から元・特ロのスロ51をリクライニングシートからいきなりロングシート通勤改造したオハ41・350台だと思います。当時、小松島に350台3両と元スロ53の450台1両が居ました。

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ここはどっちに向いても視界が開け(当時は)午後一杯で回送中心ですが6本の蒸機が撮れるので

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こんな事になった8月まではずいぶん通ったものでした。

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出来島~佐古1969年

2008-08-17 23:05:13 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

どうも最近は年数を間違えてばかりで。歳なので気を付けないと・・・

今回は徳島駅西方の出来島付近から佐古にかけてデス。

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手前の徳バスが止まってる踏切が本当の出来島踏切かもしれませんが当時私はC58がさしかかっている踏切を「出来島の踏切」と呼んでいました。何れも警手のいる立派な踏切デシタ。

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その「出来島の踏切」を行く高徳線上り貨物。少年の背後には刑務所の煉瓦塀がありました。

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別の日ですが上の写真と同じ列車デス。367号機は四国に在籍したC58の最大番号だと思います。

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こちらは池田行423レを牽く333号。前年はハチロク牽引でしたが他区から転入したC58達がいつの間にか取って代わりました。

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同じ333号牽引の高徳線上り貨物。写真は7月28日の撮影ですが、小松島の項で紹介した通り翌月には休車になりました(というよりC58自体の運用がなくなったのですが)この列車は佐古でコンテナ車を連結するので先回りして吉野川付近でもう一度撮ることが出来ました。

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同じ列車が田宮川を渡って佐古駅に進入するところ。上の333号と続番ですが333は多度津、この332は高知からの転入デス。

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上の写真の反対側から。この年の夏休みは佐古から吉野川によく通いました。

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上の写真と同じ日(4月1日)の同じ列車。佐古駅西方、今は高架になっていますが徳島線と分かれて高徳線が吉野川にカーブしていく所デス。こうして一日で同じ列車を二度撮れ、かつ下り貨物も同様に二度撮れて半日で効率よく撮影出来るのが佐古の魅力デシタ。

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二度撮りが出来る理由のコンテナ車増結風景。下り貨物の解放作業はよく撮りましたが上り貨物は周りが立て込んでいるのでこの一枚しかありません。佐古駅西方の踏切より撮影。104は高松→松山と異動。

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最後は増結を終わって佐古駅を発車するところデス。8月に撮ったこれらの写真は火の入ったC58としては最後の勇姿デス。

だいぶ長くなったので下り貨物は次回にシマス。

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吉野川付近1968年←1969年デシタ

2008-08-11 00:26:57 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

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前回に続きまた間違えました、タイトルは1969年デス。

ここは高徳線吉野川と鮎喰川の間にある川です。吉野川鉄橋を渡り終えた下り貨物がその川に架かる鉄橋を渡っていますが右手には鮎喰川に架かる鉄橋がある場所デス。高徳線の貨物は佐古で貨車の大半を解結するので、ここで撮影後佐古にチャリをとばせば佐古の発車も撮れました。写真は重連ですが同日佐古で撮った写真を見ると補機位置が155号機、本務が88号機でいずれかが有火回送デス。

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別の日ですが上の鉄橋に近寄った所デス。手前のヘロヘロの潜水橋はかっぱ橋と呼ばれていました。

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この頃C58がこの列車で回送されて来るのに何度か出会いました。小松島の項で書きましたが四国各区をDLに追われたC58が続々と集まっていたのです。

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こちらは鮎喰川鉄橋を渡る上り貨物。高徳線貨物は県内で唯一コンテナが運用されていてワムも80000型が多く近代的な感じです。

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それと冷蔵車も上下ともよく繋がれていました。鳴門線貨物にもよく入っていたので継送されていたのでしょうか。

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最後はその鳴門線貨物。この年の改正では徳島発が夜になって撮影不能となりましたが・・・

鮎喰川鉄橋のこの場所は背景に眉山が写し込める良い場所なんですが午後はご覧のように逆光になってしまうのが難点デス。

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小松島1969年その2

2008-08-10 23:29:36 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

前回の記事では年数を間違え失礼シマシタ。最近ずっと’70年のスキャンをしてたので混同してしまいました。

さて「その2」のトップは5月に撮った機関区全景。前回のその1と大差ありませんが3ヶ月後にはC58が全運用を失うのです。

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次は客車と貨車を

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スハ32です。幹線の各停には一般的だったようですが小松島には3両だけ。40両以上いた60系に比べ急行型標準の88席(オハ61は96席も詰め込みます)かつ背もたれもクッション付き(60系は板張り!)と優等普通車デシタ。外観も隣の戦後の鋼改車オハ61が既にベコベコなのに比べ戦前の丁寧な工作がうかがえます。

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次は「ロ・ワフ」。ヨンサントウで2軸貨車も2段リンク式走り装置で最高速度が75kmhに引き上げられましたが対象からもれた車両は写真の様に黄色い帯を巻かれ四国と北海道に閉じこめられました。四国には高速貨物がなく65kmhのままだったのでしょう。

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その1で少し触れた竜華から来た78680デス。キャブ下が直角にカットされているのが分かると思います。一般的なハチロクはRが付いています(極初期型はS字カーブと呼ばれるさらに緩いカーブですが見たことはありません)

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ハチロクの話題をもうひとつ。68692のキャブですが区名札差しの下に小さく「ボイラ48681」というプレートが貼ってあるのが見えるでしょうか?この48681は記録を調べると’68年7月に多度津区を最後に廃車となっています。載せ替えたいうことのようで、他の58685なんかはかなり古い8677という’61年10月廃車のボイラの銘が付いています。ちなみに製造は「大12日船」となっていますが日立造船笠戸工場の略号デス。

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こちらはC58-333のキャブです。8月24日の撮影ですが7月には佐古で元気な姿を撮っているのに廃車回送の準備がされています。

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こうして同日の673レで小松島C58で唯一250W前照灯装備の333号機も廃車かと思っていたんですがなんと・・・

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10月12日に小松島にいってみるといました。この頃既にC58は運用がなく火は入っていませんがランボードの白線は引き直され真鍮の磨き出し、さらにタイヤにも色が入っています。クランクも付いているので何かのイベントに使用されるのだろうと思っていましたが今考えると保存の準備だったようです。

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ナンバーやメーカーズプレートも磨き出しされています。徳島で保存されたわけではないのに運用のない小松島になぜわざわざ還ってきたのか謎デス。

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こちらは同じ日に撮った58623。ナンバープレートが少し傾いていますが、この時期他の58623や68692も同じように傾いて哀れな感じデシタ。この機は日車製造のハチロク1号機だそうで豊川工場に保存されてるとのことです。

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今回おまけは5月に赤石で撮った牟岐線586レ。中田以南で撮った唯一の写真デス。赤石というと入り江の脇にある駅という印象でしたが、昨夏帰省したときここを通ってみると全く風景は変わっていました。

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