徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

今年も下総基地祭行って来ました

2010-10-31 21:12:49 | 基地祭

前回までが予想以上に長引いてもう10月も終わろうとしているので急ぎ掲載。

去年に続き二度目の海自・下総基地祭です。

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この日は朝185系湘南色を追っていたので基地に着いた時には展示飛行のローパスが終わる頃でした。折角今年は高倍率コンデジ持って来とんのにぃ~。

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基地に入っての最初の一枚が展示飛行を終えて帰ってきたP3Cになりました。

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後で気付いたんですが尾翼にあった203空のマークがありません。厚木あたりの機が飛来してるのかと思いマシタが翼端がオレンジに塗られてるので訓練用の機体のようです。

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タキシングしてる機を見ていると時々片翼のエンジンを止めていました。キャタピラ車みたいに曲がるときは片方止めるのか思いマシタが曲がる方と反対なのでそうでもないようで・・・

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去年来た時にも滑走路脇に置いてあったYS2機。ネットで調べると現役機のための部品取り用だそうです。

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すぐ隣にはP3Cも。こっちはどうなんでしょう、去年の写真と機番比べて確認しないとです。

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なぜか海保機までいます。ネットで調べると自前の機だけでは部品が不足するので取り寄せたようです。機体はピカピカなのにエンジン廻りはだいぶ無くなってるようです。

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展示機を見ていきます。

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今年の目玉は(個人的には)この川西二式大艇Ⅲ世です。

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カッコええ~。去年はいかにも試験機という塗装でしたが、今年は海自機の一番好きな(小生が)塗色になっています。

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機首に装備された舫い綱?がいかにも空飛ぶ艇体、といったカンジです。

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松茂からも来てました。去年も来てましたね、ここと松茂は仲良しでこちらのP3Cも松茂基地祭に行ってるようです。

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こういう説明板はまちまちなので各機自前で持ってくるんでしょうね。

202空からは週2~3回の頻度で計器飛行訓練のため飛来するそうです。ちなみに情報は「アルパの飛行情報館」様を参照させていただきました。

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陸自機の主役はこれ。いつみてもロボコップみたいな戦闘マシンそのものと言った表情。

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異様に長いテール。

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商売もぬかりなく。あちこち基地祭行って思うのは海自が一番商売っ気ないですね。

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陸自と言えばこれが欠かせません。恒例の習志野空挺団降下展示。降ろしているのは木更津のチヌークですが、C-1等の固定翼機に乗るときはここ下総基地からだそうです。そんなわけでこうして毎年展示があるんでしょうね。

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降下が終わって落下傘を畳むとこを初めて見ました。先の大戦では「空の神兵」なんて言う表現がありました。

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確か小牧の所属だったかな。垂直尾翼の部隊マークの下に何やら書いてあるので海外派遣の回数かと思ってアップにしてみると

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方向舵調整口のカバーかな。

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今回の展示機で本当の目玉はこのYS-11T。「一般公開では最後のお披露目」だそうです。

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美しいです。YSは未だ海自・空自で色んな用途に使われていますが、そろそろ余剰気味のP3Cで代替する話があるようです。

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1969年に松茂の基地祭で撮った写真があったので追加します。同じ205空ですが機番は関連無いようです。

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ここの基地祭では売店も開放されています。

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この娘なんていうんだろう、陸自の方のようですね。

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営業中です。

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さすがにこちらは閉めていました。

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ネプチューン欲しかったんですが高すぎます。

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第203整備補給隊のが渋くて良いですね。マスコットは無事カエル。

写真取り忘れましたが、その後2店営業中の食堂の内で居酒屋のチムニーが運営する店の定食で昼食。

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午後はYSとP3各3機を用いての体験搭乗が始まります。

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まるでタッチアンドゴーの訓練かのようにピストン輸送。

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角度によっては人相悪い。

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じゃんじゃん飛んでくれたおかげで、百里では惨敗だった飛行中の機体も何度目にかは追いつくようになりました。

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ジェット戦闘機の機動飛行と違ってプロペラ機の、それも離着陸時なんて追いつけて当たり前なんでしょうが・・・

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この練習の成果が今週の入間で発揮できれば良いんですがねぇ。それにしても周囲が暗くなるのはなんでだろう。

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続々・西日暮里から赤羽の辺り

2010-10-24 21:59:49 | まち歩き

ダラダラと3回目になってしまいました、先を急ぎます。

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ここは機関区の中に公道があるような所で機関車好きなら退屈しません。右側建物の向こうが客車区になります。

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その道を赤羽方に進むと老人ホームがありました。鉄には最高の場所です。木立の奥に電車が見えますか?終日ホイッスルとタイフォンが聞けるはずです。北区民専用かな・・・

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更に進むと昭和の名残のような光景。もうこの辺は機関区から離れて客車区に沿って歩いています。

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直ぐに現れるこの建物は尾久駅出口脇から客車区の下を潜ってきた地下道の出口。機関区目当てなら最短ルートです。

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客車区沿いの通りを行くと古い木造アパートなどが並んでいて客車の方も名残程度にしか見当たりません。

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一番右端のはカシオペア電源車の予備として24系から改造されたヤツですね。

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結局客車区を大廻りしたカンジでやっと尾久駅北方の踏切に到達。

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踏切から赤羽方を望んだ所。右の複線が東北本線。左側の2線は客車区からの長大な引き上げ線です。

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この踏切はエレベータしかない立派な跨線橋があります。今はそんなに無いと思いますが、昔は客車の入れ換え時に踏切が塞がれたのでその対策の様です。

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当然登って客車区全景を、なんですが金網入りガラスでこんな写真です。

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引き続き赤羽方に更に歩きます。前方を横切る高架は東北新幹線、背景の森は王子の飛鳥山です。

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で着いたのが今回の目玉、王子第二踏切。踏切を通っているのが東北線、上を行くのが新幹線ですが

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奥を見ると京浜東北線も通っています。

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脇にはそれらをまとめて越える(あるいは潜る)複雑な構造の跨線橋があります。

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この跨線橋はこれでもかというくらい金網で囲ってあります。ここまでするなら屋根を着けた方が利便性も向上して良いと思うのですが。

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渡っていくと湘南新宿ライン(東北貨物線)も越えています。一番手前の線路は田端操から王子駅脇を通っていく日本製紙への引き込み線です。朝、DEがコキを引いているのを時々見かけます。

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跨線橋はこの辺で新幹線とレベルになります。

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天気が良ければスカイツリーももっとキレイに見えたと思います。

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50mほど先には都電まで走っています。

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ちょうど大阪市電色にした車両が来ました。直ぐ先が王子駅前です。

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もうすぐカシオペアが来る時間だなと待っているとすっかり暗くなってきました。実はカシオペアが隔日運転だということを恥ずかしながら初めて知りました。。。

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踏切の方向指示が上下両方を示したのでカシオペヤに備え上野方に構えていると上りは総合検測車でした。

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別の日ですが、今度は赤羽から王子方向に歩いています。埼京線と別れ暫く進んで東北線の線路脇に出たとたん貨物が来ました。15:5215:12撮影。

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ここは土曜出勤の時などにイベント列車があると撮り鉄の方々をよく見かける場所です。

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平和橋という跨線橋の先が東十条駅。左手の新幹線高架下は昔、下十条電車区(モセ区)がありましたが今の正式名称はどうなんでしょうか。

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こちらが東十条南口側。線路に沿って起伏のある道が続いていてカメラ散歩に最適なコース。

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王子方に進むと踏切があります。通過本数日本一だそうです。手前から湘南新宿ライン(東北貨物線)・東北本線・京浜東北線ですから朝のラッシュ時はスゴイと思います。

先の記事に書いたようにヨン・サン・トウ直前に赤羽-大宮間は踏切が全廃されました。その後赤羽駅完全高架化で同駅南側の踏切が無くなった今、この踏切は大宮までの最後の踏切だと思います。

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更に王子方にもうひとつ踏切がありました。

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牽引機は京浜東北に被られてしまいました。16:12通過、結構貨物も来るんですね。

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王子を目指して歩き続けると跨線橋がありました。列車撮影に最適な場所ですがご覧の通り金網のガードが厳しくあまり使い物になりません。

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新幹線の高架下を右に別れていくのが日本製紙への引き込み線。

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北区の象徴「北とぴあ」が見えてきてやっと終わりです。

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続・西日暮里から赤羽の辺り

2010-10-17 23:14:13 | まち歩き

前回、第二下田端踏切で終わりましたがその続き。

先ずは下手くそな略図を作りましたのでご覧クダサイ。

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前回から用意出来てればこの複雑な配線が少しは分かり易くなったかもしれませんが。

下田端第三、第二踏切と来て第一を探して上野方向に歩いて行きましたが着いたのは

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手前は与美東踏切、ガードの向こうが与美西踏切です。

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手前の高架は上野駅高架ホームに入る東北線上り線、奥は地平ホームに入る上り線です。

で、地平の踏切は手前が尾久客車区からの出区線、ガードの先の西踏切は入区線です。

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東踏切から尾久方を望んでいます。下田端第二踏切の項でも少し見えていましたが、地平ホームに出入りする線を潜ってこちら側に出区線が廻り込んできています。

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反対側の上野方を見たところ。土盛りの外側に高架で後付線増された高架ホームへの上り線が客車区からの出区線を乗り越えていきます。

高架の構造物は意外に新しくヨン・サン・トウ(1968年10月改正)の直前だったようです。

鉄ピク・アーカイブス#7「国鉄ダイヤ改正 43-10の頃」に「改正当時の鉄道事情と世相を探る」という記事があり、この中で「赤羽-大宮間3複線化と上野付近改良」という項を設けこの付近のことが書かれています。

要約すると

①赤羽-大宮間の3複線化完成

 意外ですが、東海道新幹線が出来て既に4年経ったこの改正まで同区間は単なる複々線で、京浜東線電車と大宮以遠の列車が同じ線(現在の京浜東北線)を共用していて、現在の東北・高崎線が走る線は貨物専用だったそうです。当時はそれ程貨物が多かったと言うことですが列車増発は限界で「通勤5方面作戦」の一環として5年掛けて西側に新しい貨物線を設け、やっと列車線と電車線の分離が出来たと言うことです。

②日暮里-尾久間の立体交差化

 これが今回の事になります。まさに直前の9月28日切替。従来、上野駅高架・地平ホームの振り分けは日暮里駅構内で、その先の尾久方で尾久客車区入出区する回送線と平面交差していたそうです。これも上野発着列車増発のネックとなっていたので、写真にあるようにこれを立体交差化し(井堀第一)、高架・地平の振り分けはもっと尾久方(井堀第二)移設されたそうです。

③常磐線の立体交差化

 従来、高架ホームしか使えなかった常磐線も鶯谷付近に高架・地平の分岐点を設け立体交差を新設して地平ホームにも発着出来るようになったそうです

43-10での設備改良といえば東北本線全線電化や新車による増発が有名ですが目立たないこれらの改良が未曾有の大改正を支えたのですね。

ちょっと話がそれますが

立体交差化で気になるのが大宮駅北方での高崎線と東北線の立体交差はいつ完成したのかいうことです。昭和39年に書かれた中公新書「列車ダイヤの話」では未だ出来ておらず東北下りと高崎上りの平面交差が増発の大きな障害になっていたそうですが43-10よりは前に完成していたようです。

話を戻します。

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西踏切から尾久方を見たところ。従来の土盛り区間に線増されたのが分かります。

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反対側の上野方を見たところ。上を行くのは高架ホームを出た東北下り線です。この先、前回の記事にある常磐貨物線を越える辺りで高架・地平両方の線から分岐した線がひとつになり高架からの下り線の下を潜って客車区に降りて来ます。

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西踏切から見た全容。そういえば昔人から聞いた話ですが

数ある上野駅の各列車ホームを出た線が複雑な収束を繰り返し最後には尾久駅手前で単なる複線になるわけですが、各ポイントの常に本線側を辿っていくと現在の14・15番線ホームに至るという話です。

要は上り線では一度もポイントを分岐側に行くことなく進むと15番線に入ると言うことなんですが同ホームは中央改札の真っ正面であり、昔は軽井沢や那須に向かわれる皇族の列車もこのホームから出ていて常に優等列車専用だったように記憶しています。今はどうかわかりませんが・・・

再び話を戻します。

与美西踏切から西に進むと田端機関区(今の正式名称は知りませんが)に行き当たります。

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奥は新幹線の留置線。JR東日本と貨物の機関車が同居しているようです。

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ちょっと前まで特急牽引機だった機関車達が休んでいます。

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これも有名機ですね。よく紹介されてる場所で今回行ってみたいと思っていた場所のひとつです。

写真はいずれも敷地外から撮っていますがここも柵が高く結構苦労します。あと午後だと逆光ですね。それでも運転所公開時に展示されてるのよりははるかに良い表情が撮れると思います。

疲れたので続きは更に次回へ持ち越します。

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西日暮里から赤羽の辺り

2010-10-10 22:31:37 | まち歩き

今日は予報が外れて晴れましたね。天気に関わらず湘南色185系を撮りに行きたかったんですが都合でパス。こう晴れると余計に悔しい。。。

気が付けば全然撮らないうちに高崎線から消えた115系の二の舞にならないよう211系を少しずつ撮っています。高崎から先や中央線に残る115系を淘汰するために211系転用の噂がありますからね。

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115系も未だ高崎から先で湘南色のまま盛んに走ってますが3~4両の短編成。211系も転用されるとこれくらいの長さでしょう。15両の長大編成を撮るなら今のウチです。

タイトルの尾久駅前後は通勤時に車窓を見ていて前から気になっていたのでロケハンを兼ねて探訪しました。

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最初に目指したのは尾久駅を出た上り列車が田端から三河島に向かう貨物線を越える鉄橋のの先に線路と並行する道路があって撮り鉄してるのを見かける場所です。

西日暮里を出て線路沿いに田端方向に歩くと地平を走る貨物線に行き当たります。

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常磐貨物線片瀬道踏切とあります。

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踏切から望んだ写真。逆光で見辛いですが正面の緑の鉄橋がこれから行こうとしているところ。その下の線路は田端操に続いています。

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同じ踏切から反対側を望んでいます。先に進むと三河島を通って隅田川貨物に繋がっています。高架を走るのは京成線。

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ほとんど列車は通らないだろうと思っていたら丁度金太郎が来ました。分かってれば反対側で撮ったんですが・・・

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踏切を過ぎ、上の写真で左下にある東北線を潜り脇の階段を上がると東北線と同レベルにある道路に出ます。手前の坂道を進んでいくと田端駅に出ます。

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線路沿いの道から上野方向を望んだところ。見通しの良い直線区間ですが如何せん2m近い柵があって撮りやすい場所ではありません。撮り鉄の方々が段々増えてきました。この後自転車でやって来る方も多く羨ましい。

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鉄橋の下の常磐貨物線も良い眺めですが、こちらも高い金網があります。

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隅田川から出て来たコンテナ列車が到着。端に少し隙間があります。

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200系がやって来ました。新幹線の向こう側に京浜東北・山手線が走っていて、中央の高いビルの辺りがたぶん田端駅のはずです。

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「こら何やぁ~?」、「カシオペやぁ~!」

撮り鉄の方々が待っていたのはこれだったようです。柵に足を掛け片手で撮影。脚立が欲しいところ。

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複々線のように見えますが、一番手前は上野駅高架ホームを出る下り線。カシオペヤが走ってるのが地平ホーム発の下り線で向こう側には上り線も同様に別れています。更にそれぞれの間に尾久客車区に出入りする線があって複雑です。

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これは一番外側の高架ホームに向かう211系。直ぐ隣の線が尾久からの出区線で高架・地平の両方にこの辺りで合流します。

広角なので長く見えますが10両。15両の迫力を上手く納める場所を探しています。

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柵さえなければ本数も多いし貨物も撮れる良い場所なんですが・・・ところで高崎線の211系は全車シングルアームパンタに交換されています。201系の発生品だそうですが。

別の日ですが今度は尾久・田端界隈。

通勤電車から見て気になっていた踏切を探してみます。先ずは尾久駅を出て右手線路沿いに進みます。駅の脇には客車区の下を潜る地下道がありますが今回は踏切目当てなので地上を歩きます。

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尾久駅ホーム脇の道路から上野方向を望むとスカイツリーが見えます。

なにせ広大な客車区で随分歩いて反対側に渡る踏切に到着。

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踏切から尾久・田端方を見たところ。右端にチラッと写り込んでるのが尾久を出た東北線でこれから高度を上げて高架になります。左手建物の影が寝台特急牽引機が屯してる所です。

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東北回送線・第三下田端踏切。

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丁度211系が帰ってきました。

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反対の上野方を見たところ。左側の線路はこの先で東北線の下を潜って向こう側に出る上野駅への出区線です。

ちょっと先にも踏切があるので行ってみます。

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予想どおり第二踏切でした。

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第一踏切の方を望んでいます。右手、東北線本線が高度を上げていくのが分かります。

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上を行く東北・高崎線電車からも良く見える割に通行量の多い踏切です。

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上野方です。上野駅への出区線が東北線の下を抜けて向こう側に廻っていくのがよく分かります。

ここまで来ると第一踏切も見てみたくなって更に先へ進みました。

実は第一下田端踏切というのは見つからなかったんですが続きは次回。

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文化財の宝庫、足尾駅

2010-10-03 22:03:29 | 関東近郊、JR特定線区外と私鉄

徳島県人の皆様(香川も)、有楽町に新しいアンテナショップが出来ました。場所は有楽町駅前の交通会館一階。

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先日、徳新ウェブ版で開店を知って当日金曜日に行こうと思ったんですが夜は7時までとのことで断念。翌日出勤時にカメラを持って撮って来ました。

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当然ですが朝早いので未だ開店前。間口から見ても狭そうです(発表では14坪強)。隣は秋田県の物産店。このフロアには超有名店のどさんこプラザやむらからまちから館があります。

アンテナショップ好きの愚妻の話では有名県の店でも人気が出るまで一年くらいはかかるそうで気長に頑張ってもらいたいものです。そういえば神谷町のあるでよ徳島ももう一年行ってません。

ここから本題。

前回書ききれなかったわたらせ渓谷鐵道(=わ鐵)の足尾駅です。

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この駅本屋を含めこの駅だけで5施設が国の登録有形文化財に指定されています。

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ホーム側から。国鉄足尾線時代をそのまま残したカンジです。

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この駅のスゴイところは構内に跨線橋が無いこと。無人化・ワンマン化が進むと殆どの駅に跨線橋が設けられ国鉄時代(有人駅時代)の印象が無くなってしまいました。

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昔は田舎の駅と言えばこんな風にホーム中央で渡るか、端のスロープを下って構内踏切を渡るかの何れかでしたね。長い階段を上り下りする跨線橋よりはるかに弱者にも優しいと思います。

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琺瑯引きの駅名票が懐かしい。

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入り口から出札口を見たところ。

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鋳物製の郵便ポストは足下を見ると近年移設されてきたようですね。

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無人化されても往時の雰囲気が残っています。

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ご当地娘。足尾なら「さなえ」より「こがね」とか「こっぱー」の方が良いなぁ。

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この駅の更に凄いところは駅本屋や旅客ホームだけでなく貨物ホームと上屋が残っているところです。

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だいぶ痛んでいますが登録遺産。(たぶん)

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貨物ホームにはキハ30が2両留置されています。

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いかにも素人が塗ったという仕上がりですが、やはり旧国鉄色は良いですね。他系統よりやや明るめだったキハ35系の色が良く再現されています。

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さらに先にはタキがいます。

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こちらJOTはお馴染みですが

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こちら古河金属機械表記のタキ29300は貴重では。

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殿にはカバーが掛けられているものの貨車移動機と分かる車両も。

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貨物ホーム跡では別のスイッチャーの整備が行われていました。

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保存に携わるNPO法人方々のようです。

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キハ30の車内撮影を快諾して頂けました。何かのイベント時のイルミ灯がそのままです。

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他にも2両います。

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昔はかなりの規模の貨物扱い駅だったようで側線の一部は隣の新しい建物の駐車場に消えていきます。

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さらにその脇の安全第一と標語のある建物は

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昔は全国津々浦々、貨物扱い駅には必ずあったマル通の事務所。看板はうっすらと両毛通運と読めます。

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駅の裏側にも大量の側線跡があります。

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こういうのが大好きで

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そこはかとなく良いですねぇ。

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線路の間に落ちたのであろう木の実が立派な木になっています。

夢中で撮っているとこんな注意書きが

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危険「ワナがあります」と。そういえば神戸駅でどこそこでまたクマが出たと地元の方が話していました。即退散です。

最後にもう一枚。

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紅葉の季節に沿線に残る小学校の旧校舎探訪も兼ねて再訪するぞ。

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