昨夜チャットモンチーをまだ2度目ですがテレビで見ました(結局録画能わず)。橋本さんの衣装がどんどん変になっていくような気がするんですが若い人たちにはあれで良いんでしょうね?(下書き状態で一週間放置していたので以下は少しずれてイマス)
連休だったので本来ならN瀬戸編成製作に着手する予定で準備していたのですが、最近不調だったパソコンのテレビ視聴ソフトが全く起動しなくなりました。削除・再インストールを数回試行シマシタがなぜか肝心のソフトだけインストールされません、丁度2年間何事もなく使ってきたのに・・・我が家は録画をこれに頼っていたので何か対策を立てねばなりません。
さて、蒸機最終月まであと二週間。今回は宇高連絡船のことを少し。きっかけは時々おじゃましているごっさん様のこちらの記事デス
http://gossan.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-848a.html
私が利用していたときは緑色でしたが、この当時はJR四国色というのかキハ47のような配色だったのですね。宇高航路時代は4隻の同型船が四国の旧国名を付け各県を象徴する色に塗り分けられていました。ちなみに阿波丸の赤は阿波踊りの情熱・・・だったと思います。
写真が無いので記念切符で代用します。この当時の讃岐丸は先代の船です。阿波・伊予・土佐の3隻は「伊予丸型」という同型船ですが讃岐丸だけ一世代前の船で残っていて、これが当たるとなんかがっかりしたものです。真ん中の貨車渡船「第3宇高丸」は讃岐丸が伊予丸型に置き換えられて航送能力がアップすると姿を消しました。その結果、一番新しい讃岐丸(1974年、内海造船瀬戸田工場製)が航路廃止後も残ったのだと思います。宇高航路引退後、納涼船みたいな運行をしているのを時刻表で見て帰省の際に乗りにいってみたいなぁと思ってはいましたがそれっきりになってしまいました。
連絡船の楽しみは100円で乗れる(当初)グリーン船室で駅弁を食べながら備讃瀬戸の風景を眺める事でした。普通船室後部のデッキで連絡船うどんを食べるのが醍醐味という人も多かったようですがグリーン船室利用にはもう一つ利点があります。特に下りの混雑時、高徳線には指定席が無く、かつ高松から乗車の人が先に席をかなり占めているので連絡船からの乗り継ぎ乗車はダッシュしないと席にありつけませんがグリーン船室は船客が少ないためスタートで優位に立てます。タラップは一カ所で船内案内所を挟んで左右に別れます。接岸前に殆どの人が席を立って列を作りますがグリーンなら最後部でも普通船室の三分の一位に匹敵シマス。左側の券は船内発行のものです。
上りは接続列車の指定さえ取れれば特にグリーンでなくてもいいんですが。写真は徳島駅で取った指定です(「うずしお」は昔々新大阪-宇野間の特急でした)。既に初代マルスが導入されていましたが徳島駅でブロックしていた分があったのでしょうか、写真のような券も使われていました。「うずしお3号」は元「ゆうなぎ」だったと思います。この列車の船内案内所発行券を取ってあったと思っていましたが見つかりませんでした。
今回は切符ばかりです。上は「船急行券」デス。「とびうお号」、キャッチフレーズは「海の新幹線」だったと思います。改札を一旦出て岸壁に向かいスカートをまたぐ長いタラップを渡った記憶があります。通常1時間掛かる航路を約20分で走破シマスが、接続列車も1時間毎の設定なのでひとつ前の列車に乗れる訳ではなく余裕をもって席の確保が出来る、というくらいだったと思います。2回使っているようですが確か空いていたと思います。
残っている最新の船グ券です。2枚あるので女房も一緒だったようです。この後一回だけ連絡船を使いましたが子供が小さかったこともあって殆どこちらになりました↓
以上、今回は自前写真ゼロでお送りしました。