徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

続・帰郷後初の県外撮り鉄

2021-10-31 21:07:43 | 関西での撮り鉄


見た目だけは秋が進行中。


先日、散髪の帰りに有名店の看板が目に入り時間もちょうど良かったので迷ったんですが、ここ数年は塩分恐怖症なんでパス。


その先では秋冬の高級食材が日向ぼっこ中。


眉山がキレイに見えた日、赤の看板が引き立ちます。昔は市内で一番美味しいパンを売ってました。ふとワカメ最中を思い出して検索するも市内では見当たらず。


元・東署の建物がもうすぐ無くなりそうで、この辺で昔風の撮影が出来るかもしれません。クーメリウドンバと言う会社はウチの近所のビルも解体してましたが、公共施設も請け負う地元有名企業?



前回の続きが中途半端な状態で始まります。うずしお6号を併結した南風6号が岡山に向けて出発。2700形7両が吹き上げる爆煙で辺りが霞みます。


入れ替わりに岡山からやって来たのはしおかぜ5号。


伊予のハチロク、8600形も良い顔してますね。


8600が登場した頃JR各社の特急車両は似たような顔したんが多いんですが、此奴は良い意味で個性的です。それに続く2700はなんであんな塗色になったんか・・・


特に専門のデザイナーに頼んでなくて、JR社員が中心で考えたらしいです。


ひとつ上の写真とは別列車、数分後に高松からいしづち5号が二両で到着。


先着してるしおかぜと併結。こうやって見ると車掌さんがリモコンで操作してる様な錯覚。


端岡からICOCAで入場したままなんで出入りを兼ねてゴールドタワーの方に行って見ました。ゴールドタワーは高すぎてここからでは収まりきらん。左は近年開業の四国水族館。


海辺の左手には巨大なゴライアスクレーン。あのドックは戦艦大和を二隻並べて建造できるサイズだそうです。手前の照明灯はサッカー場でもあるんかと思ってましたが、地図で見ると競艇場の様です。


空の貨物船が航行中。木材運搬船ではないかと思います。


久々に見る瀬戸内海、やっぱりエエなぁ。


場所的には丸亀辺り。一帯が造船関係みたいです。


再入場して今度は上りホーム端に来てます。高松から来た下り各停の背後には番の州にある川重のクレーンが見えます。


しおかぜ7号と南風8号は遠くで離合。


で、しおかぜ7号が5両で到着。


続いていしづち7号が高松より三両で到着。


併結して松山へ。


上りホームへ移ったのは3071レを撮るためでした。


もとより短い列車なのにスカスカ・・・


8600も分割・併結可能です。


先ずいしづち12号が高松に向けて発車。


直ぐに後部5両のしおかぜ12号が瀬戸大橋線に入っていきます。


次は讃岐府中に来ました。帰りの時間から逆算し、3079レはまた端岡で撮るしかないなと思ってましたが、朝寄ったときにあんまりエエ場所でないなと思ったんで、第二候補の府中に寄って今後の下見です。


二面二線のカーブした高架駅。


地元の方のブログでエエなあと思っていましたが、実際はもっとエエ場所でした。


ホームもなかなかですが、時間があるんで改札を出て、ここは高松方の道路から。


逆光になるんが残念です。


手前に田圃、後ろに木立があり編成撮りに向いてます。


線路の下を潜る道で反対側に出れば当然順光。これは上り列車を撮ってます。


振り向くと下り特急。さすが高松、複線電化区間を電車が行き交います。


上りホームから高松方。


3079レもここで撮りたいんですが、そうするとおやつの時間に帰れない・・・


で、また端岡に移動して多度津方に来ました。端岡はマリンライナーは通過するものの予讃線の快速は停まるんで府中より本数が多く、うずしおに間に合うんです。


三島行き3079レは65の牽引。


まあ駅から5分ぐらいですから文句は言えません。


今回は上り列車に乗るんでこの改札前の零番線で良いんですが、下りに乗るには遙か向こうの跨線橋を渡らんといかんので時間がかかりそう。


高松駅の連絡船うどんが復活してました。乗換時間少なかったんですが肉うどんを久しぶりにすすりました。塩分を控えてるんでここ数年麺類のタレは飲まんようにしとんですが、ここと橋本の生そばだけは別です。
次回は遂に海を越えての撮り鉄に行った件について。

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帰郷後初の県外撮り鉄

2021-10-24 21:36:22 | 県外(糸崎、布原 ほか)


寒い、急激な変化に体の反応が追いつかんわ。一番列車から撮ろうと日の出前から出掛けたら寒くて閉口。首にタオルを巻き手袋も填めたんですが、鼻水は出るし何よりマスクで眼鏡が曇って撮りづらい。イヤな季節になりました。


既に木枯らし一号が吹いた所もあるそうで、徳島はさすがに未だですが陽が差さないとホンマに寒い。


陽の当たる眉山を撮ろうと思ったら、塗料がハゲて迷彩塗装状態の街路灯に目が行きました。いわゆる一級国道なんですけどね。


10月になってやっと制限が解除され始めたんで遂に越境撮り鉄敢行。手始めは高松駅での駅撮りから。


高松なら土日限定で、特急が使えるトクトク切符があるんでこれを利用。徳島から始発特急に乗って7時前には高松着。


サンライズの到着は始発で来んと撮れません。


ポイントで巨体をくねらせるとこを狙っていたんですが、意外とすんなり入線。


こいつの顔もインパクトありますね。


最近はこの7次車がよう当たる。


小生は嫌いなデザインですが、瀬戸内の疾風と呼ばれた電車。


高松は四国の首都みたいな所ですから、こんな光景が見られるのもここだけ。


気動車は我が高徳線、7次型が華を添えます。


やっぱり7次型だけは異次元の格好良さ。


そう言えば「電車」を撮るのも帰郷後初めて。


サンライズはこの日も琴平延長。折り返しの停車時間は35分。


8:02に琴平に向け発車。


高松-琴平間だけの乗車は認めてないせいか案内放送は一切無し。


ここでもポイントを渡るとこ狙ってます。到着時よりは良かったものの高徳線ホームから撮った方がええんかな?


さて、この日の第二目標は貨物列車を撮ることです。四国では数少ない貨物の71レを、高松でサンライズの発車後に撮ろうとすると端岡しかありません。


いやぁホンマに久しぶりに桃太郎が牽くコンテナ列車が撮れましたわ。


端岡に来たのは初めてで、変わった配線に戸惑いました。


この区間は四国では貴重な複線電化区間。ここは上下列車とも待避可能な駅ですが、上下ホームがタンデム配置。


しかも上り線は本線と待避線が別ホームになってます。


上手いこと説明出来んのですが、下りホームに行くには駅舎前の上り本線ホーム端にある跨線橋を渡る必要があります。奧に見えてる跨線橋は上り待避線ホームに渡るもの。


撮ってる途中、8:45には千年物語回送が通過。


次の目的は宇多津。コンデジ時代にいっぺん撮り来たことがあって、この勾配と分割・併合作業が見物です。これは分割作業を終えたいしづち8号が高松に向かうところ。


右の坂を上る複線は瀬戸大橋線で、予讃線上り線を越えていきます。


このシーンを狙って来たんです。これでもかなりトリミングしてるんですが、ほんとはもっと長いレンズで強調したい。


いしづち8号を切り離して岡山に向かうしおかぜ8号と瀬戸大橋を渡ってきた南風3号。時刻表ではこの列車がここですれ違うことはないと思うんですが、南風が早着したんか小生の時刻表が古いんか(未だに2021年3月号を使用中)。


この日の赤アンパンマンは最後尾の一両が一般色でした。


ホーム端から左手を見ると瀬戸大橋で一番四国側の南備讃瀬戸大橋が望めます。


9:41に琴平からのサンライズ回送が到着。


琴平への延長運転はコロナ禍でも設定臨として続けられてる様です。運転台の向こうはゴールドタワー。


高松方向から2700が入線してきます。徳島から来たうずしお6号です。南風は高松に行かんし、この区間を走る2700はうずしお2往復としまんとだけ。


今日は三両です。


一時サンライズ回送と並び。この時点ではまだうずしおは尾灯点灯中。


サンライズ回送は直ぐに発車です。


一方うずしおの方には相方の黄色アンパンマンが接近中。


同じ2700でも塗色が違うと別形式みたいですよ。


うずしおに前照灯が点って出発準備完了。岡山に直通するうずしおは高松と宇多津の二カ所で進行方向が変わります。
今回は久しぶりの遠征で撮りすぎたんで二回に分けます。で、前編はここまで。







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旧吉野川の鉄橋付近

2021-10-17 21:52:32 | 徳島で


10月なんに暑いなぁと言ってたら、今日はいきなり前日比8度弱の減。慌てて長袖出しました。


だいぶ前に新町川沿いから撮った眉山。県庁も入って良い角度なんですが、墓石の様にそびえる地元銀行のビルが目障り。


こちらは別の地元銀行の支店ビル。以前は徳島の象徴である眉山の景観に皆配慮していたと聞きましたが銀行は例外か。ここは支店が無人になってATMコーナーに落ちぶれました。
いよいよ寒くなってくると早起きが益々つらくなる・・・


前回の記事の朝は旧吉野川に掛かる鉄橋に行ってました。当日、朝イチの各停で勝瑞に着いたところ。昔撮ってた頃は徳島-小松島間中心で、高徳線旧吉野川鉄橋や徳島線鮎喰川鉄橋は行ったことがなかったんで今回初訪になります。


10分ほど歩いて旧吉野川に掛かる市場橋に到着。潜水橋に低い欄干を付けたような狭い橋です。


下流側に見えるんは取水口か?


最初は312D。4両だと思ってたら、どうも土日は二両なのかも。


同じ二両ですが先頭が7次車で来た951D。


この橋は真ん中辺りに待避所が設けてありますが、途中で撮ってると邪魔になりそうで気を遣います。


3004Dは土日も5連みたいです。ちょっと引き過ぎやった・・・北岸は護岸工事が中途半端な状態です。新しい橋を架ける準備でもしとんか?


3004Dと池谷で交換していた4303D。


土休は上り一番の4301Dがウヤなんで、その車両かもしれません。平日ならこの時間に単行はさすがにないと思います。


鉄橋の向こうの豆腐のような建物は日亜化学の新工場。


特急の下り一番列車3001Dは2600系ですよ。連結面寄りの意匠が少し違うのと窓下のラインがイヤらしい黄緑やなしに落ち着いた黄土色です。


続いて47二連の318D。


前は40+47やったと思うんですが、土日運用?それともコロナで変わったんか。


減ったとは言え、鳴門線がある分だけ徳島線や牟岐線より40・47の率は高いと思います。


4連の305D。朝の通勤・通学用で徳島には8時前着。ただ、その後の8時台着は鳴門線・高徳線各一本と寂しい。


これは952Dの後追い。この列車が一番光った。


955D。鳴門で滞泊していた車両のハズ。


小生好みの阿讃山脈背景。


河川敷は雑草の繁茂がひどい。


3003D。これも盛大にトリミングしてます。


とても川には見えない。


やや開いて309D。線路脇の屋根はイイ感じなんですが障害物多し。


カーブして上って来るところが格好いいんで、後で踏切の所まで行って見ます。


いわゆる四国色を守ってるのは他に愛媛の32くらいか?54はステンでも一応四国色と言えるかもですね。


この色は四国の自然の中で本当に映えます。これを撮ってると1500や1200はどーどでもようなるんですわ。


しつこく撮りまくり。


岡山行き5006D。前は三両やったんですけどね・・・併結相手がアンパンマンで通常型はかえって目立ちます。


北岸に渡って来ました。


市場踏切、と言うことはこの先に旧・市場駅のホーム跡があるんか。


この感じは那賀川鉄橋の所と似てますね。


良いカーブではあるんですが、障害物が多くてこれ以上の構図が撮れないので、これだけで止めときました。


再び橋に戻って311D。高徳線では希少な1000形で、土休は単行になります。


右端に写ってる小屋の辺りなら鉄橋を行く列車を撮るのに良さそうなんで接近を試みましたが、繁茂する雑草に阻まれ断念。


雲がイイ感じだったんでまた北岸に渡りました。


さすがに動き回るのがしんどくなって3005Dと、


続く4959Dはここで撮りました。


この後追いを撮ってから前回記事の勝瑞駅北方に移動しました。
次回は帰郷後初の県外進出です。








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勝瑞の昔撮った辺り

2021-10-10 22:04:08 | 徳島で


10月になったのに30度超えの毎日。ネットで見ると「残暑」が使えるのはせいぜい9月中とのこと。


暑いのが苦手な東北出身者が居るんで未だ冷房使用中です。


その東北出身者は徳島ラーメンも苦手で、先日そごうが出て行ったビルで開かれたラーメンフェアにはもちろん参戦。使い捨て容器でいただく神戸しょうゆラーメンに890円支払。


その後、神戸在住の元CEOより頂戴したのがこちら。愚妻も大喜び、ごちそうさまでした。


最近スキャンした写真見てて、そういや勝瑞は帰郷後全然行ってないなと思い50数年ぶりに再訪。


勝瑞の池谷方、場内信号の所で大きくカーブして旧吉野川に掛かる鉄橋に向かうところです。


上の写真は今回スキャンしたものですが、これは以前に掲載済みです。手前の自転車は小生の愛車。


これも何度か載せてますね。阿讃山脈を背景にしたこの構図が好きで、今回面影を探しに行ったんです。


手前はみかん畑。通信線の電柱は木製で、ハエ叩きの姿を残してますが通信線自体は集合線に変わってるようです。


これは今回スキャン分。夕方のC11牽引鳴門行き722レだと思います。


キハユニ15の付いた編成。高徳線のユニは高松の車両だったと思ってるんで鳴門線かいな?


こちらが現在の場内信号付近。山並みは変わってないはずですが、線路沿いは家も増えて面影なし。


引いて撮るとこんなカンジ。上を通ってるのは高速道だと思ってましたが、地図で確認すると県道でした。


振り子列車の登場で昔に比べカントはキツくなってると思います。


彼岸花が咲いてたんで入れましたが、周りが荒れすぎ。


今は警報器付きの踏切になりました。陸橋の向こうに見えるのは池谷でも見えた日亜化学の新工場。


家が増え、線路両側にあった蜜柑畑が消滅しました。


振り子が効いてるんが分かると思います。


今度は同じ場所から勝瑞駅方向を見たところ。何度か載せた写真で、このキハ28はパノラミックウィンドとスカートを装備した1000番台で、当時の最新型ですが冷房は未だでした。


これも再掲の上り貨物。


243号機は予讃本線でお召し列車を牽いたことがあるそうです。


たぶん上の写真と同じ場所のハズ。中継信号機があるのは、家が増えて見通しが悪くなったと言うことだと思います。


この踏切に落ちていたアイピース(下辺中央付近)。池谷のみつまた第一踏切でも見つけたことがあります。ここらも撮り鉄が来てるということですね、


踏切から遠望すると遠くに列車が。ひょっとして吉成駅に停車中かいな。


下りの特急。自然の力で線路が緑化されてます。


さっき遠くに見えたのは3007Dを吉成で待避していた4332Dでした。


勝瑞は一線スルー駅で、各停は上下とも駅舎側の一番線に入って、跨線橋を渡らなくて済むように気遣いしてます。


駅横踏切の辺りは柵が古枕木でイイ感じなのでちょっと撮影。


勝瑞駅のある藍住町は徳島で一番人口急増中の人気地区らしいです。道路整備は追いついてないようなんで、上手く対応すれば利用客増やせそうなんですけどね。こういう時に二両編成で後部締切扱いのワンマン列車が立ち客一杯で来るとホンマになんとかならんのかと腹立ちます。


人が多いと利用もあるのか特急もけっこう停まります。通過列車は右側の二番線を通りますが、各停同様に停車列車は一番線に入ります。


最後は勝瑞駅の吉成方。勝瑞駅を出て徳島に向かう下り列車。


こちらは逆に勝瑞駅に侵入する上り貨物列車。偶然どちらも集煙装置未装備時代の110番。


これは下り貨物列車の後追い。


上のコンテナ貨物とほぼ同じ辺りのはず。


勝瑞駅方向でモノクロのC58牽引旅客列車と同じ角度。今は右手木立の中は県立高校になってますが、当時は東邦レーヨンの工場があって、勝瑞駅から引込線が伸びてました。


ちょうどアンパンマンの時間となり、ここで撮る羽目に。


左は高校の望遠鏡、右は徳新の印刷工場らしい。


駅の両側で撮ってるのになんで引込線撮ってないんだろと悔やまれます。小さなスイッチャーが居た様ですが、見たことは無く朝日新聞「世界の鉄道1970」で知りました。


ここまで来たんで吉成まで歩くことにしました。これはいわゆる勝手踏切。秩父鉄道でこれを渡って咎められた議員さんがいましたね。


この先が40・47撮影名所の勝瑞ストレートになると思うんですが、実は来たことがなくて正確な場所は知りません。


たぶんここら辺やと思うんですが・・・


木立の向こうは化学工場。


開けてるし手前は田圃で良い雰囲気です。穭が伸びて田植え後の様なカンジです。


何度か行き止まりの道にハマりながら駅舎がなくなって待合室だけになった吉成着。

今回はこれでおしまいです。








 

 

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1967・1968年の小松島と徳島刑務所横

2021-10-03 21:36:15 | 蒸機時代の徳島で撮ったん


10月、待ちに待った制限緩和!不安材料は色々あるようですが「注意して進め」くらいになったんかと思います。
今回スキャンしたネガは春と夏ばっかりなんで、10月分は以前から何回か載せたヤツの使い回しです。直ぐ右手に徳島公園のお堀端から駅の方に渡る跨線橋がある場所です。立体交差が出来るまではここに警手のいる踏切がありました。入換中の車両はキユニ15で、中間車から改造された特異な全面は四国独特です。高徳線には線内用にこの他キユニ17も撮ったことがあります。


冒頭に書いたように制限緩和と言うことで、県外に行ってきました。引越前は埼玉県内、引越後も徳島県内でずっと自粛していて、「県外」撮り鉄は去年の6月以来になります。パンタグラフが付いた車両を撮るんはホンマに久しぶり・・・


10月って言うと一昨年までは数年連続で北海道へ行ってました。この時期、5日間全道の特急も乗り放題と言う格安切符があって、今年も出てる様です。行きたいんけど、徳島から北海道は遠いわぁ。

長雨のさなかに始めたスキャンが完了したので少しずつ載せていきます。今回は枚数の関係で小松島と徳島の旧・刑務所横で撮ったヤツを。


最初は1967(昭和42)年春の小松島駅ホームから見た中田・徳島方。このホームは駅舎前にあって、別に臨港線の小さなホームが右の方にありました。画面を横切る踏切は、右手が港で左に行くと三条通・二条通と交差して神田瀬川に至ります。正面は機関庫、その奧左手には当時東洋紡の工場(今の日赤病院の所)があり、右奥には当時日赤病院が金長神社の脇にありました。


駅舎を過ぎて神田瀬川河口の旧港横に広がる側線です。左端に写ってるのが小松島駅貨物上屋。その向こうが駅舎になります。


上とは逆方向、貨物上屋手前から河口方を見たところです。右側が旧港で、トラックが船と荷役中です。C11が貨車を牽いて来ていますが、ここでの貨物扱いは当時既に終わっていて、牽いてる貨車は左手の客貨車支区での検修車両の入替だと思います。


139号機は形式入りナンバープレートです。記録では137・139・140が小松島に居たことがあるようですが、137は最後まで居たので随分撮ったものの他の二機はほとんど撮っていません。


春に撮った一連の写真の最後は機関区のヤツを。門デフの59号機も小生はほとんど撮ってないんですが、今回のスキャンで初めて確認できたのは隣の38622です。高校時代の記憶では68692・58623・58685の三機で、38622は初めて気付きました。


ここからは同年夏に撮った写真です。小松島港駅に停車中の阿佐+いしづちです。通常は2+2の4両だったんですが、夏なんで多分阿佐が一両増結されとんだろうと思います。


車体側面を見ればキハ26も二両混じってますね。左手が岸壁で、奧の踏切を通ってる人はバスやタクシー利用者でしょう。


港駅と反対の本駅方向を見たところ。キハ30系が停まってるのが本駅の臨港線ホーム。交差する通りを右に進むと、この記事冒頭の写真にある踏切の通りと交わります。


さて、謎の写真です。上で写っていたキハ30+35が阿佐・いしづちの編成に増結されているように見えます。港駅のホームは6両が限界のようで、先頭のキハ30はまったくホームに掛かっていません。なにより、なんぼ多客期でもロングシート車増結するんかなぁと思います。キハ20は結構急行に増結されてましたが・・・


機関庫手前で撮った阿佐・いしづちの発車。上の写真とは違う日のようで、この日は4両です。


後追い。いしづちを利用して和歌山航路から松山に向かう旅客はどれくらいいたんだろう。


ハチロクはこの当時でも50歳くらいですが、均整のとれた格好いい機関車でした。大きめのデフもよく似合ってます。


庫の奧のターンテーブルの所。さっき38622を初めて確認したんですが、今度は68631が写ってます。38622は他の場所でも何枚か写ってますが、68631は休車状態のこの写真だけです。何れも形式入りナンバーで、68631の方は68692と同じく花文字です。1965年には小松島にハチロクが5両在籍になってるんで、この二両と68692・58623・58685だろうと思います。


このターンテーブル奧は休車を置くところで、二両とも休車札が差してあるようです。1965年の小松島はハチロク5両にC58は9両。その二年前はハチロク・C58共に7両ずつ、更にその前1961年はハチロク8両でC58はゼロとなってます。高松や高知にDF50が本格的に配置されたのが1959年で、その両区や多度津からC58が小松島と松山に来てハチロクと入れ替わっていきました。


また駅奧の留置線で救援車オエ70です。戦災復旧車の再改造で、17m級。ピントが悪くて31番か51番か判別出来ませんが、ウィキによるとオエ70←スニ75←オハ70←オハ31またはオハニ30と辿れます。


かなり傷んだ状態で、翌年ここで撮った時にはオハユニ61改造のオエ61に替わっていました。


ここから1968年春の写真。320号機が牽く回送列車の発車。


角形ドームが残る戦時型で、たしか関東から来たハズ。夕方、小松島から客扱いする425レと言う穴吹行きがありましたが、編成後部を見ると臨港駅か客車留置線から出て来たカンジですから回送だと思います。


機関庫奧には38622が居ます。休車札は無く、キャブには焚き付け用と思われる古枕木が見えます。ひょっとして給湯ボイラー代用?


小松島の写真が少ないので徳島駅西方で撮ったヤツも載せときます。先ずは1967年春に出来島踏切で撮った急行。まだ二両ともキハ26ですね。警手の居る踏切でした。背後の松原機械工具店は今も同じ場所にあります。眉山で桜が満開のようです。


右手の煉瓦塀が刑務所で、現在は市立体育館があるところです。踏切の上には歩道橋が出来てますね。


同じ場所から駅方向を見たところで、右端は信号扱い所です。南海ビルや駅舎は変わりましたが、C58が発車してる両側のホームは跨線橋も含め今もほとんど変わってないと思います。


ハーフサイズなんで縦型の構図が多いんです。46号機も今回のスキャンで初めて撮っていたことに気づきました。


上の列車の後追いです。何度か記事に書いてますが、夕方高松に向かう列車の後部には板野から鍛冶屋原に向かう列車が機関車ごと付いてました。C12から客車4両が鍛冶屋原行きで、その先マニ36?から前が高松行きです。今回のスキャンで鍛冶屋原行きにはオハニ61が組み込まれていたことが分かりました。板野までの各駅では鍛冶屋原編成はホームに掛からないはずです。


こっちは1968年3月と月が判明しています。


’68年になると池田行きもC58の牽引になったんですが、さて3月で既に代わっていたか?


110号機は王子から来たんですが、転入当初は集煙装置が付いていませんでした。これで大坂峠のトンネルを抜けるのは大変だったでしょうね。
今回はここまで。








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