徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

41年前の4月29日

2009-04-26 22:54:30 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

本来なら今回は「糸崎の夜’71年8月、その1」として

掲載する予定だったんですが準備不足で次回にします。

写真は結構あるんですがネガホルダーには日付と使用フィルムと

フィルム現像のデータしかなく撮影順番すら不明。

自分の記憶だけでは心許なく当時の時刻表もないので

昨日早めに退いて図書館で時刻表1971年8月号の東海道本線・山陽本線

米原-岩国間を上下ともコピーしてきました。

改めてみるとすごいモンです、深夜から明け方にかけてでさえ

15分以上列車がない時間はありません。

新幹線開業前の幹線の稠密ぶりにしばし見とれていました。

ところで時刻表といえばJTB時刻表は今月号が1000号記念号。

だいぶ前から情報は入っていましたが

そういえば、と思い出したのが一昨日。

帰りに上野の本屋を覗いてみると既になし・・・

昨日、図書館帰りに初めて寄った小さな本屋にありました!

一冊取ってみると下は全て弘済出版のJR時刻表、最後の一冊でした。

本屋のおばあさん曰く「どこにもなかったでしょう、ウチは多めに仕入れたから」

おばあさんの商売感に救われました。

これで夏の帰省ルートでも考えることにします。

S19680429_02

やっとタイトルの41年前、1968(昭和43)年の4月29日に撮った写真です。

当時は天皇誕生日。

写真は牟岐線二軒屋-地蔵橋間にある犬山踏切から地蔵橋方を望んでいます。

C11は写真ではわかりにくいんですが戦時型ドームの320号機。

レンゲの花が盛りですが今はレンゲを植えるのを見なくなりました。

当時、レンゲの花はちょうどイチゴ(もちろん露地物)の旬と重なっていました。

木箱に入ったイチゴが懐かしいです。

画面右端、真っ茶色の棕櫚が季節感を台無しにしています。おまけに

ピンぼけな上に天気が良くないので発色も悪く古いのだけが取り柄です。

フィルムはフジカラーN100。

色が悪いのはスキャンが下手なせいもあると思います。

保存が悪かったのか水洗い不足なのか紙のネガホルダーがネガに付着して

左上のほうにシミのようになって見えます。が、懲りずにもう一枚。

S19680429_01

こちらは反対側、二軒屋方を望んだところで手前が犬山踏切です。

切り通しのような先は園瀬川鉄橋があります。

撮った順番はこちらの方が先で、列車は小松島への回送です。

当時、徳島本線には3往復の蒸機牽引の客車列車がありました。

うち2往復は夕方下って翌朝上ってくるんですが

一往復は朝下って昼前に帰って来る運用で、

その回送だろうと思います。(たぶん)

連休はちょっと乗り鉄も予定していますが、資料を整え

次回は「糸崎の夜」を載せる予定です。

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鉄道の本の話

2009-04-19 23:52:43 | 本と雑誌

気に入ってる本の話を。

S03

S04

まずは中公新書「列車ダイヤの話」

ずいぶん黄ばんでいますが、確か中学の時に父が買ってくれたものです。

昭和39(1964)年といえば東京オリンピックと新幹線開業の年。

この本自体は中公新書でも絶版になっているようですが

現代の人に新幹線開業前のダイヤうんぬんと言ってもピンとこないからでしょう。

私はこの本のおかげでそれまで車両一辺倒だった鉄道趣味の奥行きが増えました。

時刻表を「見る」から「読む」に変わったときです。

平行ダイヤの効能なんかもこの本で初めて知りました。

圧巻はまだ上野駅に高架ホームが未完成でホームに空きがなく、

かつ大宮駅北方で高崎線と東北線が平面交差していた時代に

急行を一本増発する苦労が書かれていますが

先行する荷物列車を1両減車してスジをたたせる、なんてことまでしています。

次は最近入手した本で、宇田賢吉氏の「鉄路100万キロ走行記」。

S01

S02

以前、鉄道ファン誌に連載されていて、続けて読みたいなとは思っていましたが

この連載だけでファン誌を毎号買うわけにもいかず諦めていました。

ところが昨年、一冊にまとめた単行本が出ているのネットで知り早速購入。

蒸機・電機・電車と気動車を除く動力車の運転に実際に関わっていること、

かつ氏が夢を実現した鉄道少年出身で、乗務員でないと撮れない写真が満載なのが魅力。

おまけに振り出しは私も思い出の多い糸崎機関区です。

素人ファンにはわからない技術的なこと、例えば

ブルトレ牽引は電動機出力2550kwのEF65より1900kwのEF58の方が適任、

などのくだりは実際の乗務に関わった方の話として目からウロコになります。

写真のほうはネコパブの「国鉄時代」№13”山陽路を行く”に少し紹介されていますが

是非まとめて写真集として出してもらいたいものです。

その気になればおもしろいので一晩で読破出来そうなくらいですが

もったいないのと、最近は団塊中年狙いの「国鉄~」とか「昭和~」という

特集の本が増えてつい手が出ていまい未読が溜まっていて未だ半分くらいの所です。

しかもさらに買いたい本がある・・・

次回からはこの前紹介した鍜治屋原線探訪の翌日(’71年8月13日)から三度目の

「糸崎の夜」を撮影に行った時の写真を数回に分けて載せる予定です。

S1971081301

宇田さんが配属された未電化時代から比べればずっと後のことですが

翌年3月には山陽新幹線が岡山まで開業して夜行列車も本数を減らすので

いい時期だったと思います。

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厚木基地に行って来ました

2009-04-13 00:24:51 | 基地祭

桜が終わると一気に初夏のような毎日です。

昨日は横須賀で海自の新型護衛艦「ひゅうが」が公開されていたそうです。

へり空母みたいな海自最大の護衛艦だそうで

行きたかったんですが毎年この時期は年度末業務で休めません。

その代わり先月末、厚木基地の「日米親善さくら祭」に行って来ました。

フネも飛行機も結構好きで去年は熊谷・館山・立川・入間の自衛隊基地に

行ったんですが米軍基地は今回が初めてです。

高崎沿線の我が家から横浜まで湘南新宿ラインで丁度2時間。

さらに相鉄線に乗り換え、相模大塚から今度はバス。

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だいたいどこの基地でも入り口には退役した機体を展示してあります。

普通は上の写真のように置いてあるんですが

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こういう動きのある展示が良いです。

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CVW5は確か空母ジョージ・ワシントン。左の土手の向こうは

ゴルフコースがありました。実は基地のゲートが瓦葺きでおもしろかったんですが

神奈川県警が警備をしていて「ここでは写真は撮れません」と放送していたので

諦めました。

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桜はまだまだでしたが飛行機が目的なので気になりません。

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グラウンドでは米軍基地名物だという巨大なピザの売店やライブが行われています。

ここは何も買わずに素通り。

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こちらは消防隊。いよいよ米軍基地らしくなってきます。

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まさにアメリカな消防車です。今回はここの売店でTシャツを買いました。

基地巡りをしたときはお土産にTシャツを一枚だけ買うようにしてるんですが

実はこの後もっと米軍基地らしいのがたくさんありました。

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展示の様子。

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厚木は海自もいるのでP3とYS11が展示されていました。

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米軍の要人輸送用へりだそうです。海自機には形だけ柵がありましたが

米軍機はすべて柵なし。触ったり中を覗いたりできる反面、どうしても

人が写り込んでしまいます。

よそ様のブログを見ると顔が写った写真には修整が加えるのがマナーの

ようなので初めてまねしてみました。かなりめんどい!

次からは顔が正面にならないように気を付けた方が後で楽です。

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展示は各部隊一機で展示機の前で各隊のグッズを販売しています。

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展示機の中で一番派手だったSH60。大戦中からノーズアートが有名な国ですが

日本の駐留部隊らしさが出てて良い、かな。

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E2C、空自のコウモリマーク入りは入間で見たことがありますが

こちらはジョージ・ワシントンの艦載機。機首に「超」と書いてあります。

それにしてもミキサーの底みたいなプロペラはどういう効能があるんでしょうか。

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ゴールデンドラゴンズのFA18。尾翼の間の星条旗は開かれたエアブレーキに描かれています。

ところでこの機の番号:300のように各番台トップは各部隊の隊長機(CAG機)で派手な塗装はCAG機の証だそうです。

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有名機「チッピー・ホー」。ネットでよく写真を見かけますが実機は初めて見ました。

ハセガワから模型も出てるようです。

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伝統のダイヤモンド・バックス。ベトナム戦争の頃F4ファントムでの写真をよく見ました。

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売店はやはりこの部隊が一番人気だったと思います。

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どちらも実機を初めて見たEA6とC2。EA6は機首に「攻」と書いてあります。

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このSH60も良いデザイン。女性パイロットもいました。

と、ずいぶん長くなったのでお終い。

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鍛冶屋原線1971年8月その3

2009-04-05 23:09:16 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

今日は横須賀米軍基地の桜祭りに行こうと思っていましたが

年度末業務の疲れで断念、テポドン騒ぎの中でも実施されたのでしょうか。

だらだらと3回目になる鍛冶屋原線ですが、その前に

四国放送TV50周年を祝ってこちらの写真から↓

S19670900_10

’67(昭和42)年9月にオリンパスペンDで撮ったハーフの写真ですが

どこが50周年かというと遠くに写っている徳新本社ビル屋上鉄塔の

ネオンが点いているのが見えるでしょうか?

赤で「徳島新聞」、緑で「四国放送」だったと思います。

撮った場所は現在東署があるあたり、寺島川が埋め立て途中です。

さて、鍛冶屋原線神宅駅の続き。

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駅入り口から駅前通りを望んだところ。

どちらも雑貨屋さんとおぼしき店が向かい合っていますが

棲み分け出来ていたんでしょう。

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駅近くの店です。履き物と写真屋さんのコラボショップ。

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こちらは駅内。ステテコ姿の人は立った一人の駅員さんです。

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列車間隔がたっぷりあります。これはこれで大変だと思います。

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待ちに待った列車(単行ですが)がやって来ました。

キハ30が走っているので線路があることがわかりますが

とても国鉄営業路線とは思えないような光景です。

S1971081287

先ほどの駅員さんも仕事モードに。

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夏休みで、且つお盆ですが高校生を中心に結構利用があります。

S1971081244

日中のローカル線には不向きと思われるキハ30の唯一の利点は

両開き扉が荷扱いに便利なことでしょうか。

荷物車を付けるほど利用のない閑散線では一部を仕切って荷扱いする

例はよくありますが(高崎線では今も新聞輸送をこの方法でやっています)

当時の鍛冶屋原線では特に仕切はなかったと思います。

S19710812138

たった一人の駅員さんは集札業務に追われているため

見送りなし。出発信号もないので勝手に発車していきます。

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降ろした小荷物をそのままにキハ30は再び草むらに分け入って行きます。

鍛冶屋原線の項、おしまい。

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