今回は写真が多いンでいきなり本文。前回の有年行きより先に男木島に行ってました。金比羅参り用に買った回数券の消化です。
次の便でもフェリーに間に合うんですが、一本早い便で来て高松港見物。この日は何と自衛艦が寄港していました。掃海艇二隻と掃海母艦「うらが」だそうです。
艦内見学もできるそうで早くから列が出来てました。
掃海艇「あおしま」と「みやじま」。いかにも特殊用途の補助艇と言ったカンジの船尾が格好いい。
「うらが」の艦尾は掃海ヘリの発着甲板。艦尾の扉は掃海用具と機雷敷設用らしい。主力艦ではなく、こう言う補助艦艇が好きです。
高松港の北の端になるこの岸壁は初めて来ました。自衛艦が泊まってる所が5万トン級岸壁で、このずっと沖に延びてるのは玉藻防波堤と地図に出てます。これが徳島市内なら毎日散歩に来ますわ。
高速船乗り場の方に移動。9:20,大島に向かう「まつかぜ」(右手)と四国汽船の直島行き「サンダーバード」(船尾を向けてる船)が同時出帆。左端の派手な塗装のフェリーは国際両備フェリーの小豆島池田港行き第十一こくさい丸。
港外にでると競争・・・サンダーバード号は船尾が大賑わい。半分くらいは外人で、やはり直島は人気があります。前にも参考にさせてもらった「Sea Road」様のサイトによると、写真ではわかりませんが「まつかぜ」は珍しい三胴船だそうです。こちらに向かってくるのは四国フェリーの第二しょうどしま丸。
自衛艦の脇にはツバメマークの中国JRバス。多分、呉から要員を運んできたのでは?「うらが」の艦橋前にある柵で囲まれた台は後日装備の兵器設置場所で、艦橋頭部の四角い台はその指揮装置が装備される所ではないか?と想像します。
これから乗る女木島経由男木島行きフェリー「めおん」が到着。乗船券の販売は半時間前からで列に並びました。こちらも外人がけっこういました。
東側には屋島を背にして四国ドック。手前に第三しょうどしま丸が係船中。この前、琴電乗り鉄後に寄った時から居ました。千潮丸は千葉県の館山総合高の実習船だそうです。煙突を見ると海保の船かと思ってました。船形は499t型遠洋鮪延縄漁船とほぼ同じなカンジ。
出港したフェリーの後部から高松港を望むと立派なアリーナが存在感を出してます。
やはり業務用エアコンはダイキンやねぇ。潮風で錆んのかと気になります。ここは艦橋後のデッキで屋根も椅子も無し。一つ下に椅子もあるデッキがあるんですがこの日は満員でした。
20分で女木島に到着。左に屋島、右に高松市街が目と鼻の先。
女の子ではなく、防波堤に並ぶカモメのオブジェを撮っています。
女木島は通称・鬼ヶ島。半分くらいの方がここで下船。
消波ブロックを並べて砂浜を造った海水浴場がありますね。とにかく海も浜もキレイ。
お椀を伏せたような山が並ぶのは讃岐平野の特徴ですね。この中のどれかが讃岐富士と言われる飯野山だと思います。どれも屋島と同じく太古の火山活動の名残らしい。
去りゆく女木島。上空に男木島に向かって送電線が渡されてるの見えますか?
航跡を横切る漁船。遠方左は八栗山、中央の台形は屋島の先端「長崎の鼻」と言われる所だと思います。
瀬戸大橋も望めます。形から左端が北備讃瀬戸大橋、右端が岩黒島橋かな?フェリーは四国汽船の「なおしま」で背後は与島でしょう。
男木島に入港。予備船となってる「めおん2」が係船されてました。ネットでは2027年に引退し代船が建造されると出ていました。
沖の方を豊徳丸が航行中。艦尾の波の感じだと潮の流れに逆らって航行中か?背後は煙突があるんで直島かと思ってましたが、後で地図を見るとどうも玉野市の南端みたいです。
この男木島も高松市内になるそうで、中央の島が女木島、遠方は四国の陸地。
下船してから「めおん」の外観を。名前は女木島と男木島からとったとのこと。
「めおん2」は入梁時の代船や繁忙時の助っ人とかに使うらしいですが、キレイな状態です。
これは港のシンボルで待合所らしい。他にもセトゲー作品が色々あります。
ネットにはこの島も猫が多いと出てましたが、私は滞在中一匹しか見かけませんでした。
こう言うのんびりした風景が好きです。しばらくボンヤリしていたい眺め。
飛行機雲二条。
高松港に戻る便まで2時間ちょっとなんで灯台に向かって歩き始めます。ほとんどの方は見所や店が多い反対の南側に行かれました。
1キロちょっとかなぁと思ってましたが、地図で見ると高低差は分からん。
あっという間に高台へ。
県境の大槌島とその先の瀬戸大橋。
途中、葦が被さってトンネル状になったところもあり、この道でエエンかなぁと心配になりましたが道標が見えてホッとしました。
何度かアップダウンを繰り返し灯台に到着。途中すれ違った方は三名でした。
まあ場所の割には適正な価格。
キャンプ設備もあり。
素敵な浜とキレイな海。流れが速く、残念ながら遊泳禁止です。
絵になる風景ですわ。
ここで昼食。歩き始める前に出会った地元の方に、灯台の方に食べ物を売ってる店を尋ねたら無いと言われ、この日島の学校の運動会と言うことで配られた寿司を譲っていただきました。カロリーメイトしか持ってなかったんで助かりました。ありがとうございました。
無理してこの灯台まで来たのは、ここと対岸の豊島の間が地図で見ると瀬戸内海の東西を結ぶ主要航路になっていたんで、いっぱい船が見られるだろうと思ったからです。ファンネルにJFEのマークを付けたこの船は何と徳島の千羽海運所有の「白隆」。一昨年12月就航のまだ新しい船で運航はJFE物流、RORO式の鋼材運搬船だそうです。
裏手を登ると更に眺めがエエとこがあるそうなんですが、しんどいのでこの辺で止めました。
確かに通る船は多いんですが、ほとんどは内航タンカー。船を見るだけなら舞子で明石海峡を見ていた方が効率良さそうです。
鳴門海峡並に潮が速そう。
港に戻る途中で東航する帆船に遭遇。
日本丸でした。
港に戻ると程なく折返となる「めおん」が到着、また観光客が降りて来ます。
午前中とは違う方だと思います。あの梯子は持参だろうなぁ。
サイドスラスタ装備なのか、あの狭い港内で向きが変えられます。
飛行機雲が崩れた筋雲。こう言うの見るとつい撮ってしまいます。
高松港に帰着。行き帰りともこの方々が同じ便に乗ってました。
高松駅前に飾られてる宇高連絡船「讃岐丸」の錨を撮ってオシマイです。
大型連休も明日で終わりと言うところで5月最初の日曜です。今回はひょっとしたら6月かもしれんと言う一枚です。旧庁舎の市役所前を行くのは穴吹から上って来た列車の小松島への回送だと思います。137号機はこの頃全検を受けた様でまだキレイです。そのせいか徳島蒸機最終日も稼働していました。私の知ってるC11では小松島所属機で唯一増炭板を装備していて遠くからでも特定出来ました。連結器とナンバープレートの間で口を開けてるのは通風口だと思います。バック運転が多いC11ならでは装備だと思います。
また新町橋北詰の写真です。右の黒っぽいビルもだいぶ前から空きビル状態やないかなぁ。
唯一残っていたこちらの乾物屋も遂に移転。移転先のビルは子供の頃、ビル名とおなじ店名の喫茶店があったところ。今はラーメン屋が入ってますね。屋上の大きな広告塔はだいぶ前から「広告募集」のままです。
前回お話ししましたが、ボケ老人は時刻表を買いにまた神戸へ行く羽目に。この日の朝は鳴門海峡に霧か靄が掛かっていました。私の心を反映したような天候ですわ。
始発の高速バスで、本屋が開くまで時間の時間を利用して気になっていた場所の下見です。奥に見える茶色いビルはマンションではなくて関西大学。
中途半端な撮り鉄は止めて、先ずは新快速で高槻に。ここから線路沿いに島本方向に。
高槻電車区の南側に遺跡公園があるところです。案の定、線路脇には高いフェンスが。
右の白いベンチ?に上がって撮ろうと思ったんですが人がいたので止めました。
少し進むと踏切があります。
ここも金網に囲まれて撮影には使えません。
電車区の端の方で、洗浄線があるようです。連絡先が異様に長い。本区は網干で、支所は明石、の高槻派出所。
写ってるのは電車線上りを行くはるか4号(たぶん)。脚立なしでも上り線は辛うじて車体は写る。
ここは古墳公園の終端付近。少し地面が盛り上がってて、どうにかフェンスがクリア出来ます。
但し下りはあきません。
毎週拝見してる「吹田の素人」様のブログでよく見る場所だと確信しました。上りは良いカンジで撮れそうです。
そこから更に次の目的地目指して住宅街を曲がりくねって進むと小さな川の土手に行き当たり。かなり天井川で、川面は左の宅地より高い所にありますね。
上の写真で踏み分けられた土手をJR線路まで行ってみたら向こうに渡る橋は無し。
反対側に進んでも見えていたのは阪急の鉄橋で、車も人も通れません。
過去に何度もこう言う経験をしました。たまたま通りかかった地元の方にお伺いし、畜産メーカーの社宅辺りから元の道を廻って線路の向こう側へ抜けました。親切でも大阪弁はコワい。
線路の山側にある西国街道を東に進み、やっとさっきの川の向こう岸にあった踏切に到達。
島本方、線路を越える道路がある辺りが目的地。
架線柱が賑やかですが上下共撮れんことはないか・・・
ちょうど下り貨物が来ました。たぶん1081レ。
こんな川でも一級河川とは驚きです。
さらに西国街道を進んでいよいよ目的地近く。
お立ち台通信はじめネットで良く紹介されてる上牧築堤はこの辺だろうと思います。
JR線と反対側は阪急とイオン。
下りを撮るには申し分ない場所で、心配していた上りの下回りもこれくらい離れるとなんとか写ります。
地図で見ると表示は梶原で、「梶原の築堤」と紹介されていたサイトもありました。昔は阪急上牧駅付近でも撮れたんでしょうが、今はマンション林立してしまいました。
新しい高架道路が建設中。高槻から随分歩いてきましたが島本駅はあの送電線の先のカーブを曲がった更に先。鉄道の距離は5.3キロですからそんでもないんですが、やはり線路沿いに進めないせいでしょう。
当たり前ですが、線路に近づくと上り列車の下回りは写らず。
歩き疲れたのでバスで高槻駅に戻ろうと171号の方へ阪急線を渡ります。イオン裏に警報器付きの小さな踏切があったんですが取付部はこんなカンジ。
遮断棒も付いたちゃんとした踏切ですが、
反対側の取付部もほとんど使えないような状態。草ぼうぼうの金網の隙間が入口です。左側に階段はありますが、どうも道ではない扱い。
R171のバスはなんと高槻市の市営バスでした。それもマイクロバスに毛が生えた様な小型車ではなくノンステップの大型車で混んでて座れませんでした。途中、JR駅まで行かず、阪急の高槻市駅から準急で正雀駅へ。「しょうじゃく」と読むんやと初めて知りました。
5分くらいでJR線路へ。直ぐ先が岸辺駅。
ここもネットで見てどうかなと思って来てみました。
おお66が居ます、それも2両。ほんまに久しぶりに見た気がします。後の建物がコワい。うちの家系は循環器系が弱いんです。
後は阪急の工場。アルナは阪急の一味でしたね。
少し千里丘方向に進むとフェンスが低い所があります。狭い道の割にトラックなんかの通行が多いのが気になりますが撮れそう。手前から2本目が下り列車線で遠方がカーブしてるので下まで写せます。
上りも良いカンジ。ここなら上下貨物が気楽に撮れるなぁと思っていました。
ところが、1050レと思われる列車が遙か向こうを通過して行きます。
「配線略図.net」様のサイトで拝見すると、茨木-千里丘間で下り貨物は西側に移って吹田貨物へ入るようです。岸辺駅は吹田貨物の南側にあって、写真の道路側は貨物は通らない様です。
がっかりして岸辺駅のホームから吹田貨物の方を見たところ。
京都方ホーム端。そう言えば吹田の素人様もここで撮られてますね。
1071レと思われる列車を撮ってから、この日の本題である貨物時刻表再購入に向かいました。
去年の散歩の途中で撮ったヤツ。
先ずはちょうど1年前の今日。えべっさんに行く前に撮りました。べた凪です。
1月13日。気温は高めでしたが午後から雨になりました。
上のとどっちにしようか迷ったんで両方載せます。
2月20日。
3月11日。前日から20度越で手袋止めました。今年も早う春にならんかなぁ。
3月12日。この日も20度越で春霞?
3月27日。桜が目立ち始めた。
3月29日。
3月29日。春爛漫。
4月4日。
4月5日。
4月5日。ボートを漕いでいた。
4月17日。中央警察署の前から。
5月4日。
5月6日。
5月8日。
5月9日。田岡病院の裏から。
5月12日。
5月15日。5月・6月が一年で一番好きです。
7月19日。
7月20日。去年はこの日に18切符購入。
7月29日。熱中症警報発令中。
8月6日。阿波踊り準備が進む藍場浜公園。
8月6日。台風が接近していた。
8月6日。久々の阿波踊り本格開催。
8月6日。
8月26日。なかなか入道雲が撮れん。
8月26日。
8月26日。どんどん形が変わる。
8月26日。
9月18日。
10月11日。昼寝に使っていた茣蓙を仕舞いました。
10月23日。
11月1日。
12月13日。
12月31日。翌日、能登で大地震。
こう言うのに乗ってきたんです。
もちろん空路ではなく、船で半時間。列車だと宮崎空港発-新千歳空港行きとか、米子空港発-成田空港行きなんかは全国のみどりの窓口買えますね。
思い立ったのは前回南海フェリーで和歌山に行く際に色々調べててこのサイト↑を見つけたからです。10月中旬のことで、11月5日までの土休日は数えるほどしか残ってない。天気の良い週末を選んで行くことにし、ついでに復活した関空-神戸空港間の航路も乗ってみようと計画しました。
徳島駅前から淡路交通の路線バスで洲本バスセンターに向かいます。空いてるかなと思ったら10人弱の利用あり。徳島駅もこうやってみると立派に見えます。
約1時間半で洲本バスセンター着。広い乗り場です。途中のバス停でも阪神方面に向かうバスを待つ方が結構居ました。
バスセンターの直ぐ先が洲本港。向こうに見える煉瓦の建物は元・鐘紡の工場だそうです。
この建物の中に乗船券売り場があり、右手に桟橋があります。
深日からの高速艇が到着。これの折り返し便に乗ります。
いわゆる双胴船。角張ってて、私の印象としては70年代の共産圏仕様みたいな感じです。
乗って直ぐにガッカリ!デッキに出られん・・・
飲料が売られてましたが、ごっつい安いわ。
これも予想外の乗船率。
反対側の岸にこの同型船が3隻停泊中。これも南海フェリー船上から見たパイロットボートで、「大型船雲MARU」様のブログによると、大阪湾水先区水先人会が大阪湾水先艇(株)に運航受託してるそうです。友が島水道は全国にいくつかある強制水先区域で一万トン以上の船はパイロットの乗船が義務づけられてるそうです。乗船場所は友が島灯台南方0.7マイル付近だそうですから、南海フェリーから見えたんでしょう。
その友が島水道はこの日漁船多数。凄い数ですが何を獲ってるんでしょうか?この辺は鳴門・明石に並んで鯛が有名らしいですが。手前の船もその一隻かな?何やら重装備で格好いいです。
まもなく深日に着くと言う所で大きな工場が岸に建ってます。
55分で深日港に到着。シニア割で1350円でした。自転車が降ろされてますが、前輪を外すという条件で載せられるそうです。「車両」は載せられないんでしょう。
壮大な名前の船ですわ。それにしても素晴らしい好天。波もないしデッキで撮れたらなぁ。
桟橋から二三分で深日港駅。多奈川線は1時間に一本で、だいぶ時間があるはずだったんですが、歩いてる途中で踏切が鳴って電車が来たんで急いで乗りました。
深日港駅のホームから既に終点の多奈川駅ホームが見えます。
これで南海電車はあと高師浜線と汐見橋への支線が未乗。とは言え、高野線に乗ったんは60年以上前のことですが・・・
立派な駅です。
昔は両側に線路があったんでしょうね。「艦艇つれづれ」様のブログで「南海多奈川線・幻の造船所」と言う記事を拝見すると、終戦間近に川崎重工泉州工場が造られ、その工員輸送のためそれなりの設備を有してるとのことでした。造船所は終戦で短期間稼働しただけで用済みとなったそうです。
忘れ去られたようなバス乗り場。
郵便ポストに公衆電話ボックス、自販機と駅前の必要最小限な物は揃ってますね。
ここの切符自販機に南海フェリーセット券「好きっぷ」があるのに感激。
乗って来た想定外の電車は深日洲本ライナーの運行に合わせた臨時便と判明。ネットで見たときには気がつかんかった。
駅横に船から見えた工場があります。
さて、乗って来た臨時電車は直ぐに折り返して行き、次の電車は深日港から乗ろうと思っていた電車で、これに乗ると深日港駅が観察できないので15分ほど線路沿いを歩いて深日港駅へ。構外から見たホームは全てが昔懐かしい雰囲気。
反対側には岬町役場。ここは泉南郡岬町深日です。
深日港駅横の踏切から。後の工場の専用駅の様にも見えます。
桟橋側に回ると臨時改札口があります。昔は深日-徳島のフェリーが運航されていたんでシーズンは混んだでしょう。当時、南海フェリーは小松島発着でしたから徳島にはこっちのルートが便利やったんです。連絡列車も運行されてたそうです。
横には古い街並みも。この前の水間観音や加太も含め、ゆっくり散策したい街が多い。
この壮大なホームはかつて大量の船車連絡客を捌いた名残ですね。
今は二両ワンマンで、ホームは途中の柵で仕切られてますが、昔は6両くらい停まれた感じです。直ぐ先に多奈川駅が見え、その左側の扇形の空き地はたぶん留置線があったんではないでしょうか。
1時間弱の滞在で次の目的地、関空へ向かいます。
途中、みさき公園駅で乗換。昔、南海が運営する大遊園地がありましたね。小さいときに一度行ったことがあるはずなんですが、ほとんど記憶にない。
泉佐野で更に関空急行に乗り換えたんですが、これが混雑してて大きな荷物で立ってる場所にも苦労する状態。
関空からは神戸空港行きの高速艇に乗るため、桟橋行きバスに並びます。これも利用する人は少ないだろなと思っていたら大ハズレ!羽田空港のランプバスみたいな大きいヤツで続行便も出ました。
関空は昔何回か利用したことがあって、割とゆったりした分かりやすい空港という印象があったんですが、今は国際線が大盛況で人が多く、乗船券売り場を探すのに一苦労しました。
また双胴船です。
この後も続々乗ってきてきてほぼ満席で出港。残念なことにこの船もデッキに出られず。
せっかく素晴らしい天気なのに、また薄汚れた窓ガラス越しの写真。
真ん中に薄ら見えてるのはあべのハルカスか?
大阪港には船がいっぱい。外から撮りたかったなぁ。
これは六甲アイランド?ガントリークレーンがずらりと並んでますが荷役中の船がおらんのが寂しい。
ポートライナーの走ってる神戸スカイブリッジを潜って到着。桟橋は空港島の山側です。
明石海峡大橋も遠望できました。
明石海峡の夕焼けは舞子の高速バス待合室から。これもガラス越し。。。
最後は高速バスの窓ガラス越しに撮った大阪湾の夕焼け。右側の鉄塔はラジオ関西の送信塔だそうです。
6年前の5月26日に野洲-篠原間の有名撮影地で撮りました。今年も天気の良い日を待って行こうと、ダイヤ作成中です。いや、その前にも行きたいとこはいっぱいあるんですが、天候に恵まれず。
この日の朝、高徳線特急に乗るために駅に行く途中、小さな公園の桜の木に実がなっていました。要はサクランボですよね。店で売ってるのよりは小さいけど食べれるんか?
今回の企画は岡山在住の友人からの誘いで、以前メールで写真が送られて来たときに地図で確認してると、下津井電鉄廃線跡が遊歩道になっていて貸し自転車も完備してるのが分かったんです。
児島駅前で10時待ち合わせやったんで、一本早く行って高松港を観察。駅から桟橋に向かう通路からは屋島も望めます。
小豆島の池田港に向かうフェリーが間もなく出港。
片やオリーブラインのフェリーは間もなく到着。高松-小豆島間はフェリーの他に高速船も頻繁運航。
上の写真で左側に写ってる、船首に渡り板を装備する戦車揚陸艦みたいな船を船名から検索すると、重機メーカーのタダノが所有するバージ船でした。海外向け大型重機は志度にある工場から高松港までの陸送に制約が多いのでこの艀を使うそうです。
池田港行きが離岸、向こう側ではオリーブラインが接岸中。
船尾と船首両方が泡だってます。バウスラスターを使って港内でクルリと転向。
窓とかにはRが一切無く簡素な造りに見えます。オリーブラインと一緒に入港してきた右の船はLNGタンカーでした。
さて、いきなり下津井瀬戸大橋の直下から開始です。
サイクリングと思っていたんですが、友人が6~7キロだから歩こうと言い出し、車に乗せられてここまで来ました。靄が掛かってますが、向こう岸に坂出の工場地帯が見えます。
再度車で、たぶん第2展望台と思われる駐車場まで移動。ここから歩きを始めます。
おっ列車が来たぞ、撮れ撮れ!と催促されて。時間からすると35D南風5号だと思います。運転日だとこの辺であんパンマントロッコとすれ違うと思います。
巡視艇が通過中。船名から検索すると6管水島所属の「りゅうおう」でした。消防機能強化型だそうで、確かに放水銃がいっぱいあります。
向こうを自動車運搬船が水島方向に向かってます。水島の三菱自工に行くんだろうと思いますが、これも船名から検索すると日藤海運の日昇丸の様です。内航用自動車運搬船では最大級らしい。船がいっぱい見られるんでしばらくボンヤリしてたい所です。
ここは多分第1展望台の近く。有名な石碑だそうですが、確かに名言ですね。
けっこうな急坂を上って、たぶんここが山頂。まあなんとも瀬戸内海らしい眺めです。下津井瀬戸大橋で繋がってるのは櫃石島。
フィールドアスレチックみたいな岩場を上り下津井瀬戸大橋直上に到着。こんな山道上ると分かってればそれなりの靴履いて来たんになあと愚痴。
山頂から下っていよいよ廃線跡。ここは鷲羽山駅跡で、ホーム跡で駅舎の様に見えるのは公衆便所。
ここから下津井まで廃線跡歩き。所々に架線柱が残ってます。いや、残してあると言った方がエエんでしょうか。
眼下に漁港が見えます。下津井電鉄は山の中腹付近を通っていて、集落から駅までは坂道を上下する必要があったそうです。中央に見える三角形の島が岡山・香川県境にある大槌島。
廃線跡の「風の道」はサイクリングロードにもなってますが、未舗装箇所も多い。
切り通しを抜けた先に線路が現れると旧・下津井駅。(駅が現存してないせいか変換すると「下津胃液」・・・)
車両もかなり保存されています。
児島-下津井間だけ残っていた時に一度だけ乗ったことがありました。ちょっと位置関係が分からず。
動物園で柵の近くに餌をもらいに寄ってきたみたいなカンジ。
車端に荷台の付いたタイプは昔のローカル私鉄の写真でよく見ました。
今回廃線跡を歩いたのはホンの少しでしたが、地図を見るとこの先茶屋町まで所々廃線跡が確認できる様です。
直ぐ横に屋内展示物もあった様ですが今回はスルー。
ここからは下津井の街並みを抜けます。
祇園神社。下から階段見たときにはたじろぎましたが上る価値ありの眺め。ここで友人持参のパンで昼食。
町並の通りに戻って鷲羽山方向へ。ここは歯医者さん、現役かなぁ?
通りの向こうに下津井瀬戸大橋が見える。
岩合さんなら寄って来るんでしょうが、私がカメラ向けるとスタスタと行ってしまいました。
由緒あるこちらのお店で羊羹購入。少し塩っぱくて美味しかったです。もっと買っておけば良かった。
分かれ道。どっちに進んだか忘れた・・・
古い街並みから階段を上って振り返るとこんな看板が。夜は分からんだろうな。
友人の後をついて行くと廃線跡の風の道に戻りました。この友人はトレッカーで、全国の山に登ってるんで階段途中でもフツーに喋ってますが、こっちは息も絶え絶えで返事どころではありません。
鷲羽山駅跡の近くにある有名な名曲喫茶で休憩。店内では会話が出来ないそうなんでテラス席にて。シックなネコが接客してくれました。
最後はまた児島駅まで送って貰い、山陽イエローの電車を撮ってオシマイです。久しぶりに宇野とかも行ってみたくなりましたよ。